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【歩き遍路】傾向と対策 [巡拝] 御杖

床の間に御杖

何はともあれ「お杖」である。弘法大師の化身とも云われる大事な道具である。軽い杉製のものと重い檜のものがある。私は堅くて丈夫そうな檜にした。杖の頭部を覆う帽子は紺色のものにした。

杖を突いていると形が出来てくる。いかにもお遍路さんになった気がする。歩いていても杖を突く音がいいリズムになってくる。

御杖と歩く

最初、慣れない内はよく杖を置き忘れた。もうたびたび杖を置き忘れている。

一度はトイレに立ち寄った無人駅の待合室。そこからうどん屋に行って食べ終えてから杖がないのに気がついた。駅に置いてきたのだ。仕方が無いのでうどん屋にいた若いカップルの車に乗せてもらって駅まで引き返した。

あるときは宿を出てから15分ほど歩いたところで杖を持っていないのに気がついた。また宿まで引き返して往復30分のロスだった。これは精神的なダメージと徒労感が大きかった。

またお昼を食べて出てきたところで食堂のおばさんが「お杖、お杖」と言って追いかけてきたこともある。やれやれ。

堅い檜の杖を買ったのだけれども、3週間使った後では130cmあった杖がもう5cmほど短くなっている。それだけ減ったということだ。結願近い人の杖はもう10cm以上すり減って短くなっている。お杖の先が広がって花のようになっている。杉の軽い杖ほど減りが早いようだ。

杖の頭部に付けてあった鈴はすぐちぎれてしまった。帽子をくくりつけてある紐も何回も切れてしまい、最後は結束バンドでしばって使っていた。

休憩

【使ってみて】

次回はもう杖は使わないな、と思った。
お大師様には申し訳ないが、杖が歩きのさまたげになるからだ。杖は心と身体の支えではあるのだけれども、私はもう持たないだろうと思う。

徳島の休息日にマッサージをしてもらった。一番凝っているのは脚やふくらはぎではなく、肩だった。それも右の方が凝っているという。常に杖を突いているからだ。

常に杖のことを気にかけているのも負担だった。宿に着いたら杖を洗う、宿の部屋の床の間に置く、橋の上では杖を突かないという決まりごと、またお寺では沢山の杖が立てかけてあって自分の杖がどれだか見失うこともあった。移動する際、車内で杖がなにかと邪魔になるのもたしかだ。

杖を置き忘れて来るのではないかと常に気を張っているのが重荷だった。2週間もすればもう杖なしにはリズムがつかなくなるので、置き忘れるということはないのだが、それでも頭のどこかで気にかけていたような気がする。

お杖は区切り打ちの最後のお寺に、お布施と共に納めてきた。
なので、次回は杖なしで行ってみようと思う。

(追記)
道中で出会った中年のご婦人は木の枝のをお持ちだった。もう何回もお遍路に来ているというその人は、四国に着いたその日に手ごろな木の枝を見つけてそれを御杖としているのだそうだ。区分打ちで四国を離れる時はその杖をお寺に置いてくるそうだ。いい話だと思った。


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