#猫を棄てる感想文

父から受け継ぐということ

「猫を棄てる」という猫好きな私には少しショッキングな題が気になり、この作品を読んでみました。棄てられた猫の顛末はハッピーエンドのようで安心しました。

作者の村上氏によれば、このことがきっかけになって父のことを書くことができたとあります。私もこの作品を読んでいるうち、亡き父の思い出が思いのほかすらすらと自然に出てきました。

そこで私はこの作品の心に残った部分について思ったことや父のことを書いてみようと思いました。

村上氏はこの作品の中で御自身の尊父だけでなく祖先や御家族のことを淡々と述べており、所々で御自身の思うことを少しずつ加えております。私はその所々で村上氏から「〜と思うのだが君はどう考える?」と問いかけられていると頭の中で巡らせ、それに対して私の意見を見つけながらこの作品を読んでいきました。

私の特に印象に残った箇所は「息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。」(P52)の部分です。最初この部分を読んだとき、父から重い受け継ぐものがあるという意味の記述の後、いきなり歴史という大きな時間の概念の言葉が初めて現れて、ここはどう解釈すればいいのか少し戸惑いました。

私は村上氏がここで歴史という言葉を使った意図を読み取ってみようと自分なりの答えを探してみました。そして、父から息子へ受け継ぐものがあるということ、このことは特定の人だけにあてはまることではなく、全ての人にあてはまるものであるということ。そのことを村上氏は歴史という一語で表現したと私は解釈しました。

村上氏の尊父は戦争中、人が殺されるのを見たという大変な経験をされました。一方私の父は戦争中は初陣するには若すぎて、ほとんどの時間を工場動員として過ごしました。赤紙が来れば喜んで出征するつもりだった、でも軍事訓練とビンタの制裁はいやだったと振り返る一方で、夜に寄宿舎から空襲でやられた隣り街の火事の様子を見物していた、と呑気なことも話していました。

戦争に行く行かないの違いありますが、村上氏と尊父との関係、私と父との関係あるいは多くの息子とその父との関係で共通する点があると思われます。それは息子が若いころに様々なことで父との間で大きな断絶があってもやがて互いに和解することです。

しかし村上氏はそれでもなお尊父に対して「残滓」という形で心の中に悔いを残していると述べています。私には父に対してそのようなものは思いあたりません。この違いはどこから来るのだろう。私が父から受け継いでなくて村上氏が尊父から受け継いでいるもの。それは戦争で傷ついた尊父の心の闇であり、村上氏はそれに寄り添えなかったことを悔やんでいるのではないか。私は父のことを考えながらそう思いました。

この作品を何度も読み返しました。

感想文をまとめているうちに、私はふと気づきました。私はここで人の心の中をえぐり出すようなことを好き勝手に書いているが、そういう私自身は父から受け継いだものをちゃんと人に説明できるのか。少しばかりの財産と性格の一部分なんて答えにならんぞ。

それはこれまで考えていたようで全く考えていなかった宿題となりました。

説明できない…。

私はいつかこの答えが出せるのかどうか、いずれにせよ、無口だけど優しかった父のことを思い出すたびにこの宿題も思い出すでしょう。そのきっかけを与えてくれた村上春樹氏の「猫を棄てる」という作品とともに。




















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