サウジアラビアのKAUSTで有給インターンシップをしている話 3

皆さん、明けましておめでとうございます。怠惰がたたって更新が途絶えていましたが、なんとか楽しいサウジアラビア生活を満喫しています。

学内のバドミントンコミュニティ

私は高校生の時からバドミントンをやっています。KAUSTでもバドミントンができるかもしれないと思い、ラケットを日本から持って行っていたのですが、その甲斐あってKAUSTでバドミントンをするコミュニティを見つけることができました。コミュニティの活動は基本的に金曜日、日曜日、火曜日の夜の週3回あります。体育館の使用料は無料なので、基本的にはシャトル代のみを払って参加することができます。

メンバーの構成としては、中国出身が90%以上で残りはインドやフィリピンなどの他の国の出身者です。グループがWeChatで運営されているため、WeChatをインストールしました。コミュニティはオープンで、学生だけでなくポスドクや教授、大学職員などさまざまな人が参加しています。

もちろん、バドミントン以外にも、卓球やテニス、バレーボール、バスケットボールなどさまざまなスポーツのコミュニティがあります。

学内大会

そして、11月にはバドミントンの学内大会がありました。たまたま私とVSRPでKAUSTに滞在している私と同じ境遇の学生がいたので、彼をペアを組んでシングルス、ダブルスに出場しました。この彼がめちゃくちゃバドミントンが上手で、スロベニアの代表選手とも練習をするほどの実力でした。私自身はお世辞にも上手とは言えないのですが、彼に引っ張られる形でダブルスでは準優勝することができました。シングルスは3回戦敗退でした。景品として、新しいバドミントンラケットと準優勝トロフィーを貰いました。私のペアはシングルスでも優勝し、最新のラケット2本と2つのトロフィーをもらっていました。彼は12月半ばにインターンを終えて帰国したのですが、トロフィーが嵩張って荷造りに苦労していました。


栄誉ある準優勝トロフィー。嵩張る&重いので預け入れ荷物泣かせ。

学内の大会だしどうせ小規模な大会だろうと思っていたのですが、開会式では学長がやってきて挨拶をしたり、昼食、デザート、夕食が無料で振る舞われたりして、参加費無料の大会としては破格の待遇でした。PhDの友人が言うには昔はもっとすごかったそうです。なんでも、景品がiPadだったりしたとか。しかしながら、昨今は政府の予算削減の影響を直に受け、景品やサポートが年々しょぼくなっているとのことでした。個人的には流石にiPad景品はやり過ぎなんじゃないかと思うので、現在の景品で十分魅力的です。

ダブルスで優勝したペアの一人は58歳のマレーシア人の教授でした。彼は58歳とは思えないほどパワフルで、教授を定年退職したらバドミントンに専念できるといつも嬉しそうに話しており、彼のようにエネルギッシュに生きたいと思う日々です。


大会のポスター。

境界線

バドミントンコミュニティの人たちはみんな優しいのですが、コミュニティの中の唯一の日本人なので、どうしても疎外感を感じるときがあります。この経験をうまく言語化するのは非常に難しいのですが、見えない境界線が私と彼らの間に引かれているような感覚とでも言えば良いのでしょうか?

連絡手段がWeChatであること、中国人同士で会話するときは中国語を使い、中国語母語話者ではない私や他のメンバーと話す時だけ英語を使うこと、バドミントン以外のハングアウトには私は滅多に誘われないことなど、メンバーの大多数が中国系であるコミュニティ運営を円滑にするために当たり前のように行われていることひとつ一つが積み重なってこのような疎外感を作り上げているように感じます。

マイノリティになるということ

もちろんこれは中国系のコミュニティに限った話ではありません。例えば、VSRPの学生には中南米出身の学生が多く、必然的に私の友達の多数がスペイン語母語話者なのですが、彼らと会って話す時にはスペイン語が飛び交うことがよくあります。英語で会話するときも、彼らの話すジョークに中南米固有の文化やキリスト教の文脈が入っているときは私は完全に理解できません。

コミュニティのマイノリティになることとはまさにそういうことだと思います。コモンセンスの欠如、日常の小さな出来事における小さな負担の増加、情報リソースへのアクセスの制約などが山積してこのような疎外感につながるのだと実感しています。

逆にいうと、コミュニティのマジョリティになることというのは、このような違和感に対して無自覚でいられることを指すのだと思います。日本にいたときは言わずもがな、ヨーロッパで留学していた時でさえ、周りに多くの日本人留学生がいたからか、このような肩身の狭い思いをすることはありませんでした。

いまだに私以外の日本人学生を発見することができていないため(そもそもそれほど見つけようと努力しているわけではありませんが)、必然的に自分はコミュニティにマイノリティとして属することになります。高校の英語の教科書のような「さまざまな国、多様なバックグラウンドを持つ学生が仲良くなってコミュニティを作る」ということがいつも起こるわけではありません。世界人口の割合や大学のロケーションなどに依存してどうしてもコミュニティの中でマイノリティ、マジョリティが生まれます。

今ここで私ができる数少ないことは、所属するコミュニティの数を増やして共通点を持つ他者を増やすことと、日本に帰ったのちに自分がマジョリティになったときに、暗黙的に享受している利益を意識することとだと思います。

海外の語学留学の失敗談として「日本人同士でつるみ過ぎて全然語学が習得できなかった」という話はよく耳にしますし、それを避けるために意図的に海外で日本人との関わりを断つという人もいるのではないかと思います。しかしながら、第二言語の英語で表現できる25%の人格ではなく、母語で表現できる100%の人格を受け入れ、共通のコモンセンスを持ち、マイノリティとしての孤独を分かち合えるような共通母語話者の存在というのは、海外生活においてときに非常に重要になると感じています。

もちろん、だから日本に今すぐ帰りたいというわけではなく、そのような共通母語話者が存在する人たちのことがとても羨ましいというだけです。




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