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公共交通は『正便益・不採算』

本記事は2006年~2018年に土木学会誌・土木学会HPで連載していた「行動する技術者たち」を、note上で再構成したものです。記事中の用語・所属先等は取材当時のものです。

行動する技術者たち取材班
田上貴士 TAGAMI Takashi
(財)計量計画研究所都市・地域研究室 研究員

京都大学大学院工学研究科助教授 中川大氏

地域の店舗、醍醐寺、病院などの協力施設と個人パートナーが支える「市民共同方式」を構築し、行政の補助を受けないバスを運行し、運行開始後の一年間、順調な利用者獲得を達成。

つくられた常識を覆すために

地方の路線バスや鉄道では、利用者の減少に伴い不採算となった路線がつぎつぎと廃止されています。京都市醍醐地区も、こうした地域の1 つでしたが、住民が自らの力でバスを走らせることに成功し、利用者も毎年増加しています。
『自分たちの生活を支えるバスを走らせたい』という醍醐地区の住民の熱意と努力を支えた技術者がいます。京都大学大学院工学研究科助教授の中川大氏です。中川氏は「“公共交通の利用者は減り続ける”という常識を覆したい」と、各地の公共交通を支援しています。

公共交通は『正便益・不採算』

中川氏の公共交通に対する考え方は、事業採算性をベースとした従来のものとはまったく違います。
運賃収入で運行費用を賄えないのが“不採算”です。一方、事業収入にはならないけれども、公共交通は地域・住民にとっての利用価値、存在価値があります。それが“正便益”です。だからこそ、収入と支出が均衡していなくても、地域に不可欠で社会的な便益が大きければ、なんとしてでもやらなければなりません。それこそ『公共』の役割といえます。こうした考え方を中川氏は『正便益・不採算』という言葉で表現します。
醍醐コミュニティバスでは、運賃収入と運行費用の差分を、地域の企業や団体・個人からの協力金で補い運営しています。目的はバス事業の採算を確保することではなく、あくまでも『醍醐にバスを走らせること』です。それが地域の便益を非常に高めるのです。
『正便益・不採算』の考え方は『お金の計算に長けている人ほど早く理解』してもらえるようです。お金にシビアだからこそ、正便益がきちんと見えてくるわけです。正便益の議論をする前に事業採算(収益と費用)の話だけをしては、行政や民間の協力は得にくくなります。

熱い想いのぶつかり合い

さて、醍醐コミュニティバスは、地下鉄が延伸し、市営バスの撤退が決定したことに始まります。
地域のバスの必要性を熱く真剣に訴える「醍醐にバスを走らせる市民の会」(当時)のメンバーに相談された中川氏は「公共交通を基本から改革していくために本気で手伝わなければ」と感じました。
すでに市民の会では、市やバス事業者へ陳情し、社会実験の計画をたてていました。しかし結局は、採算性の問題から運行には至っていませんでした。
これに対し、中川氏は「『正便益・不採算』の考えを理解してもらえれば必ず実現できる」と説いて回り、住民とバスの実現に向けた議論を重ねました。
当初、行政は醍醐地区の活動に懐疑的でした。というのも、本気でバスを走らせようという住民はこれまでいなかったからです。しかし、住民が繰り返し相談にいくうちに、行政に熱意と真剣さが伝わり、市も警察も運輸局も前向きに取り組んでくれるようになりました。

まず『おいしい料理』を

おいしくない料理を出しておいて『お客が来ないからやめました。』これまでの公共交通は例えばこんなレストランのようなものだったのではないでしょうか? お客さんに来てほしいなら、まず、おいしい料理を提供するのが先です。お客が増えればサービスが改善できますという発想では何も変わりません。「まず、人びとが利用したくなるような、魅力的な交通をつくることが先である」と、中川氏は主張します。

行動し続ける技術者

現在も醍醐コミュニティバスを支えている中川氏は、各地の公共交通の活性化に取り組んでいます。その1つがJR富山港線を短期間でLRTに転身させた富山ライトレールの取組みです。また、京都府綾部市では、バス事業者の破綻を受け、独自の市民バスとして、路線の維持、増便、値下げ、財政支出抑制の達成を支援しました。さらに富山県射水市では、利用率日本一を目指すコミュニティバスが、着実に地域の“足”となっています。

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『公共』のあり方を考え直すために

これらに共通することは、市民や自治体が事業の赤字の穴埋めをしていると考えるのではなく、住民や地域全体の利便性の向上、つまり『社会の便益増のためにそれに見合う負担をしている』と考えていることです。したがって、黒字の公共交通でも『市民や自治体の負担によってより高い便益を生み出す』という考え方が成り立ちます。
醍醐も、富山も、綾部も、常識にとらわれず、住民の目線で取組みが進められました。規制緩和前は地域に必要な公共交通を地域で実現することは不可能でしたが、新しい時代には新しいやり方があります。住民の熱意と技術者の知恵、そして互いの想いが結びついたとき、より良い公共交通が生まれました。ビジョンと熱意をもつことが、公共交通の実現に必要不可欠です。
これからの技術者に必要な素養は、制度や法律、技術に詳しいスキルだけではなく、『社会のニーズを的確に把握』し、住民に『自分たちのことを考えてくれている』と思われることも大切です。これは公共交通を含めた公共サービス全般にいえることであり、土木技術者は公共施設の整備だけでなく、その利用までを含めてプロデュースする役割が求められているのではないでしょうか。

■醍醐コミュニティバス市民の会代表 村井信夫氏に聞きました!
中川先生は私たちの熱意を、理論で裏づけてくれました。また、言葉だけでなく、関係機関との会議、地域への説明、協賛者への説明の際にも、昼夜を問わず参加していただきました。
専門家としてのアドバイスは常に的確で、醍醐コミュニティバス実現に欠かせない存在でした。私たちが社会実験を申し出たときに「本気でやるなら実験はいらない」と叱咤されました。いつも私たちと侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をしていただき、お互いの信頼関係を築くことができました。中川先生には本当に感謝しており、これからも「本気のつきあい」を継続させていただきたいと考えております。
初出:土木学会誌vol.92 no.3 March 2007
参考文献
1)醍醐コミュニティバス ホームページ
2)中川大「地域にとっての移動手段の価値 京都・醍醐コミュニティバス」、都市計画260、2006. 4
改めて読み返して
本記事は学会誌掲載が2007年で、取材は2006年になされたと聞いています。2021年の今、昨年からのコロナ禍の収束が未だ見えない中で、地方の公共交通は大変な苦境にあり、多くの事業者が存続の瀬戸際にあるとも聞きます。
15年以上前に語られた『正便益・不採算』の考え、『収入と支出が均衡していなくても、地域に不可欠で社会的な便益が大きければ、なんとしてでもやらなければなりません』という中川氏の『正便益・不採算』の考え方を、いま改めて、多くの方と考えるときなのかもしれません。
また『正便益・不採算』の考え方は公共交通分野だけではなく、教育や医療の分野においても相通じる考え方ではないかとも感じます。この国がさまざまな面で苦境にある今、改めて多くの方々と、公共が担う事業、『公共事業』の意味、意義はなにか、考える必要があるのではないかと感じました。


国内有数の工学系団体である土木学会は、「土木工学の進歩および土木事業の発達ならびに土木技術者の資質向上を図り、もって学術文化の進展と社会の発展に寄与する」ことを目指し、さまざまな活動を展開しています。 http://www.jsce.or.jp/