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流域治水とリスクの見える化

金尾 健司
論説委員
(独)水資源機構


流域治水関連法が2021年11月に全面施行された。

総合治水対策が世に出て約半世紀が経ち、ようやくという思いと同時に、これからの行く末が気になる。筆者は、1980年代にある地方自治体に勤務し、都市河川の総合治水対策を担当した。当時はバブル経済を迎える時期であり、その流域でも都市開発が盛んに行われ、流出増や浸水区域への資産集中に対して河川整備が追いつかず、そこに戦後最大規模の洪水が襲来し大水害となった。都市、農業などの関係部局に対して流域対策への協力を求めるものの、なかなか理解を示してもらえず、苦い思いをした。一方、最近では、気候変動の影響により計画規模を上回るような洪水が頻発し、全国各地で激甚な被害が発生している。社会背景に違いはあるが、水害だけでなく地震などの大規模災害が頻発し、防災の主流化が叫ばれるようになって、流域治水が市民権を得たことは望ましいことである。

降った雨は必ず行き場を求める。ある場所で水害リスクを下げるために水を排除しようとすれば、その水が行った先の水害リスクは高まる。したがって、氾濫原を含む流域全体で、どのようにリスク配分を行うかが水害対策の基本となる。しかし、河川整備が進み水害が日常的でなくなった現在、このような水害の特質が一般にはなかなか理解されない。自然地を舗装面で覆うことが流出増をもたらす、開発地内の排水路整備が下流水路の洪水集中を引き起こす、浸水区域内の盛土が周辺の浸水深を大きくする、ポンプ排水の増強が排水先河川の水位を上昇させるなど、理解のないままにリスクの転嫁が行われる。

河川整備を担う技術者にとって、河川計画を立案したり河川改修の施工順序を検討したりする際に、流域内のリスクバランスを考慮することが半ば不文律になっていたと思う。受益地域の重要度を勘案しながら、常に上下流・本支川の安全度のバランスを意識するよう先輩技術者から引き継がれてきた。1997年の河川法改正により河川計画制度は大きく見直され、20~30年の期間内の河川整備の内容を河川整備計画として定めることになった。

有識者や住民の意見聴取などの手続きが導入され、策定プロセスの透明性や計画内容の具体性が大きく前進した。一方で、計画策定が目的化し、定められた内容を実施することに専念するあまり、リスクバランスのチェックがおろそかになっていないだろうか。流域内のバランスを考慮した計画づくりだけでなく、そこに行き着くまでの通過点のバランスも不断にチェックすることが必要であろう。このことは自ら携わってきたことへの反省でもある。

そこで、流域治水を進めるに当たり大切なことは何か。それは、流域内の住民、事業者、行政といったあらゆるステークホルダーが、自らの立地や行為に伴う水害リスクを的確に認識することではないか。そのためには水害リスクの見える化が必要である。

リスクの見える化としてよく用いられているのが、浸水想定区域図である。ハザードとしての浸水深、浸水継続時間等を地図上に表したものであり、その発生頻度として想定最大や治水計画の規模、最近ではもっと頻度の高い(強度の小さい)雨ごとに作成されている。

さらにリスクの見える化を進める上で有効なのが、国土技術政策総合研究所が提唱する水害リスクカーブだ。これは、縦軸に想定被害、横軸に降雨の大きさをプロットしたグラフである。

水害リスクカーブの概念図
出典:国総研レポート2019「気候変動を見据えた新しい治水フレーム」(国土技術政策総合研究所)

カーブの形状から、どの程度の雨までは無被害で済むのか、どの程度の雨を超えれば被害が急増するのかといった、流域や場所ごとのリスクの特徴が理解できる。また、河川整備にせよ、都市開発にせよ、流域で行われる行為によるカーブの変化の仕方を見れば、その行為がリスクをどのように増減させるのかがわかり、対応策の必要性が判断できる。その対応策の効果もカーブの変化で評価できる。そして、縦軸を、被害額、被災人口、浸水する要配慮者利用施設数、さらには避難が困難となるまでのリードタイムなど、ステークホルダーの視点に合わせた指標とすることにより、ステークホルダーごとにカスタマイズした見える化が可能となる。

2016年の関東東北豪雨などを契機に水防災意識社会の再構築が提唱され、流域のあらゆるステークホルダーがリスクを知り行動することが求められている。そのためには、河川・流域に関するデータを保有する治水行政が、積極的にリスクの見える化を進めてほしい。そして、これまで以上にリーダーシップを発揮して流域のリスクマネジメントに取り組むことを期待する。

土木学会 第179回 論説・オピニオン(2022年4月版)



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