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286.【ボヤキ】「2022年」が無くてはならない年だったと、未来で自分が言ってますように。



ついにあと一日で2022年が終わる。

今年は地道に努力してひたすら自分に集中し続ける一年だった。

外野がワイワイやろうが、世の中ではこうだと言おうが、そういったものからとにかく離れて自分に集中し続けた1年だった。

春から夏にかけての間はかなり我慢の時間だった。

同じことを毎日繰り返しひたすら耐え続ける。

結果が出なかったとしてもひたすらやり続ける。

焦りという波が寄せては返りひたすら自分の不安との戦いだった。

「こんなに時間が掛かってていいのか?」
「でもじゃあ焦って行動したら前に失敗した道と同じ道を辿るではないか?」
「かといって自分と同じような境遇の人でもこんなに時間かけないんじゃないか?」
「いやいやその比較は何と比べてんだ?」

数時間でころころ不安と楽観がクルクルしてその対応が本当に大変だった。



また2022年は昨年から引き続き、自分の頭の中に知らず知らずにこべり付いた「世の中ってこういうもんだろ?」的固定観念を取り除く作業を常に行い続けた。

別に義務的にこういうことをしていたのではなく
単に興味があったからでもある。

政治の話、心理学の話、脳科学の話、野球の話、表現力の話、コミュニケーションの話・・・
そういった話をたくさんインプットして、たくさん自分の中で噛み砕き、できるだけ自分の性格フィルターを通して自分用にアレンジできないだろうか?実践できないだろうか?

そんなことを常に頭の中で無意識にぐちゃぐちゃ考えていた。

今までそういったものに受動的に出会うことは出来なかった。
たまに周りの環境、人間関係などの運がよく気が付いたら固定観念をぶち破るようなものに受動的に出会うことが出来た!
と話す人がいるが本当に羨ましく思う。
そしてそういったものに出会うことは大変珍しいことであると気づいていなかったりする。

自分はそういう運の良さを持っている人っていうのは本当に目に入ってしまう。
でもいつまでも羨ましく思ってたって自分は何も変わらないので、能動的に動いて固定観念をぶち破るようなものに出会えた時には見落とさないようにしよう!と思うようになった。

そしてそういう意識でいたことで、目から鱗のような体験は小さいけどちょっとずつ表れ始めた。

それが自分にとって目から鱗であると気づけているのも今年の成長かもしれない。



今年も櫻坂46に出会えて本当に良かった。
と思う瞬間が本当に多くあった。

楽曲、歌詞、ダンス、演出、そしてメンバーの感性、成長、表現力・・・
そういったものがこれから頑張っていくモチベーションになったり、悩むところ大変なところの感じ方が似ているな・・・と個人的に思ったりした。

なかなか言葉で説明しようとしてもビタっと明確に言えないのだが、とにかく今の櫻坂46は自分の感覚と非常に波長が合うのだ。

言葉で表現できない感覚的な居心地の良さがあるのだ。

もしかしてこういうことを表現しているのかな?
と思ったことがその通りだったりと
掘れば掘るほど、なんだか深い所で共感できている感じがして本当に飽きなかった。

ほぼ同世代の子達が頑張っているというのもどこか共感性が高いのかもしれない。

病気になったり事故にあったりして突然死ぬこともあるかもしれないが
少なくともそれまでは同じように年を重ねていくことが出来る。
それはひとつの安心感になっている気がする。
自分の人生と共に並行して櫻坂も進んでいく。

それが本当にたまらなく面白いと感じる。



2023年は自分にとって今年よりも具体的な選択をしていく年になる。

2022年にぽかんと宙に生まれた抽象的なイメージをさらに具体化していく必要がある。
2023年の年末、自分がどんな状態になっているか皆目見当がつかない。
そんな先を考えていられるような余裕はないからだ。

1ヶ月後、1週間後、明日。
一歩目の前のことだけに集中してそれを淡々と繰り返していく。
今年鍛錬したことが活用されることになっていくと思う。


・・・とまあ年始はいつもプレッシャーをかけてこけてしまうので
焦らずゆっくり。
を忘れず言い聞かせていきたい。


とにかく
「2022年」が無くてはならない年だったと、未来で自分が言えていますように。





発表された時はあんまり感じていなかったけど
やっぱり31日が近づいてくると紅白に櫻坂46がいないというのは結構寂しいですね笑

ひたすら過去の「さくみみ」を聞き返して紛らわします。


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