日記 20230123

久しぶりに日記的なものです。今日心躍った瞬間について書こうかな。

大学でのんびり飯食ってたら、向かいのテーブルの集団が「ある」と「いる」の話をしてたんです。最初はおそらく言語系の人たちなんだなあってただ眺めていたんですけど、何の名詞が接続されるのかって話をし始めました。私は1人でも常に結論を急いでるので、「生き物かどうかでしょ」って思ってその話を聴くのをやめました。

でもふと疑問に思ったんです。
「英語だと動物でもものでもis使ってね?」
いや正にその通りでした。今日一番心躍らせた瞬間ってのはこの違いっておもしろいなあと思ったよときだよというお話でした。

でもなぜ日本語では生命体か否かで判別するんだろうって思いますよね。ここからは完全に個人的な仮説です。昔読んだ養老孟司の「死の壁」では「日本の共同体の一員であるためには生きている必要がある」的な話をしていたんですよ(あまりにもざっくり+昔の記憶なので、細かいところはスルーしておいてください)。そのなかで死者に戒名をつけるのも、葬式後に塩を撒くのもある意味共同体から追い出すためって捉え方ができるってことが頭をよぎりました。実際、死体に対しては「ある」を使いますもんね。日本人的習慣に染まった私の感性で言ってしまえば、「生命でない」ことが大事なんでしょう。って仮説でした。

まあ非常にどうでもいいことをつらつら書いてみました。ひたすらぼんやりしているだけでも中々いい出会いに巡り会えるもんですね。ひとつだけもったいなかったなって思うのは、その話に混ざらなかったってことですかね。

今日はこんな感じで。ではまた。

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