辞めるということ

継続することの対極に辞めることがあると思う。
この選択を取ることの難しさについて考えてみたという回です。

会社でも部活でも何かしらのコミュニティに一度入ってしまったら、辞めるには大なり小なり手続きが必要になる。
端的に言うと、この手続きを踏むか否かが継続と辞めるの選択になる。

つまり、辞めるには手続きをするという多少の不快感を味わわなければならないと言うことだ。
逆に継続というのは現状に対する不満を消化できさえすれば何も問題ないということだ。

さてここで自分の話をしたい。

私は何も辞めたことがない。
中高の部活、塾、アルバイトなどに始まり、どんな些細なコミュニティでも一度入ったら辞められなくなってしまう。

これはその集団に属することでアイデンティティを確立してるというわけではない。(主観で本当のところはわからない。)
個人的には多少の不快感を避けることに固執して、不満を消化することでのみ生きながらえてきていると考えている。

つまり、辞め方がわからないのだ。

辞めるということ。
これはかつては悪とされていた。
ここ50年程度は終身雇用に始まり、継続することで大きなメリットを得られることが多かった。
それ以外にもリタイアする人間を卑下する文化が根付いていることもあるだろう。

しかし一概に全てを継続することがいいとは言えない。
孫子にも「拙速」という言葉がある通り、物事全てには潮時というものがあるはずだ。

今現在、5年前のものが古く、通用しなくなるなんてことはザラにある。
これからもその傾向は続くはずだ。
その傾向の中で一つのものにしがみつくことは、正しく自殺行為だ。
変化を厭わない姿勢と、実際に変化することの大切さなど語るまでもないだろう。

私の両親は継続の信奉者だ。
二人とも辞めないことにアイデンティティを持っている。
その環境で育った自分が辞め方をわからないのは当然だろう。
だから辞め方を学ぶためにも何かを辞めてみる必要がある。
簡単にできるとは思っていないが、やるしかない。

そんな決意と共に終わりにしたい。

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