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・土曜日。13:47新宿行きの山手線は人でいっぱいだった。すし詰めになった老若男女みんな少しずつピリピリしているようで若干の緊張感を感じた。中学生くらいの華奢な男の子がおじさんに思いっきり突き飛ばされてるのを見て、悲しくなった。休日の移動はやっぱり車がいい。たとえ渋滞に巻き込まれても、車同士では流石にぶつかることはできないし、「皆我慢しているんだから」感が強くてまだ我慢できる。満員電車ってなんであんなにみんながみんな自分のことしか考えていない感じなんだろう。人の流れを遮っても、列に割り込んでも、隣の人を押しのけても当然の顔して平気にしている。自分が予定通りの電車に乗れればオールオッケー、なんでもありの無法地帯で怖すぎる。少しでも和ませようと、申し訳なさそうな顔してたら完全になめられておじさんに突き飛ばされた。なんでなん。辞めさせてもらうわ。

・やっぱり文章を書くのが遅すぎる。考えられる原因としては、書くことが無い・自分の言葉でうまいこと言い換えようとしすぎている・自分の文体が無いことの3つが挙げられる。まず1個目に関しては、感受性がマヒしているようでかなり危機感を抱いている。1日過ごしていたら必ず何かしら受容して思考しているはずだけど、こうして1日の終わりに振り返ってみて何も残っていないってことは考えていないことと同じだと思う。答えの出せない思考は思考ではなくただの心配に過ぎない。余計な心配に時間を割くのは控えよう。2,3個目に関しては、色々な文学作品を読んできた結果、読みやすい文章、きれいな文章に対する感覚が少し鋭敏になって自分の稚拙な文章に耐えられなくなってしまったことが大きい、と思う。いきなり名作のようなきれいな文章が書けるとは思っていないけど、あまりにも自分の書く文章がこれまで好んできた文章と比べて稚拙すぎて情けなくなってしまう。だからこそ自分の言葉で上手く言い換えたいという欲が出てきて、文章を書くスピードが落ちてしまう。たくさんたくさん文章を書いて、自分の文体、自分の言葉を見つけたい。

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