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競馬雑記帳 2020/3/26

JRDB永野昌治です。

今週末は春のGⅠシリーズ開幕の高松宮記念。
競馬場が無観客で行われているため、来場を促す高畑充希サンや松坂桃李クンのCMがテレビでは流されていないが、開催は粛々と行われる。

高松宮記念は、現在は春のスプリント王決定戦として3月末に定着しているが、GⅠに格上げされた際は5月の中京開催で行われていた。この時期に行われたのは4年だけだが、結構印象深いレースが多い。しかも、この4年のうち先の2年は創設時の高松宮杯という名称で行われている。

GⅠとなった最初の年はフラワーパークが勝ったが、話題となったのが、天皇賞・春から2000Mの距離短縮で挑んだ三冠馬ナリタブライアン。スタートで後手を踏んだが終いの脚はさすが。と言っても前を行く3頭とは差は詰まっていない。結局ナリタブラアンにとってこれが最後のレースとなった。

翌年のレースは、今で言う「文春砲」の対象に。
岡部騎手騎乗のシンコウフォレストが勝ったのだが、トップトレナーの藤沢和師が禁止されているスパイク鉄を使用していたのではないかという報道。
写真入りで取り上げられたが、芝の切れ端が鋲に見えたということに決着。
当時4兆円産業として競馬が注目されていたことがわかる。


GⅠに格上げされる以前は夏の中京でGⅡとして行われており、3歳馬が4歳馬に挑戦するという図式になっていた。

88年の勝馬はオグリキャップ。中央へ移籍しての5連勝目がこのレース。8頭立てと少頭数ながら単勝1.2倍という圧倒的人気に応えている。負かした相手は前年のこのレースの勝馬のランドヒリュウ、同世代のオークス馬コスモドリームなど決して弱い相手ではなかった。このレースの出走馬の中には、障害の王者となったゴーカイを産んだユウミロクや、3年後の天皇賞・秋でメジロマックイーンが後続に6馬身の差を付けながら失格となった際の被害対象馬のプレジデントシチーの名前も見える。


私も一度だけ、現場でGⅡ時代の高松宮杯を見たことがある。91年のダイタクヘリオスの勝ったレースがそれ。安田記念を勝ったダイイチルビーの凱旋レースだったが、8頭立てで5番人気だったダイタクヘリオスがハナ差だけ凌いでいた。この後ダイタクヘリオスは参るCSを連覇する名マイラーへと成長する。

ただこの時の印象は、レースよりも、秋から導入される馬連のために、場内でマークカードの普及キャンペーンを行っていたこと。
30年の月日で馬券は口頭からネットへと移行した。

そんな変遷を経た高松宮記念だが、昨秋のスプリント王のタワーオブロンドンが参戦。

GⅠになって以降、宮記念→スプリンターズS勝ちは5頭。対してスプリンターズS→宮記念勝ちは3頭。(スプリンターズS→宮記念→スプリンターズSと制したロードカナロアはそれぞれ1とカウント)
スプリントGⅠ連勝は今回タワーオブロンドンが挑むパターンの方が難易度が高いのか。鞍上の福永騎手はGⅠ高松宮記念は3勝を挙げており、藤田伸騎手と並んでトップタイと相性の良いレースで、単独1位になるチャンス。

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