競馬雑記帳 2021/3/3
JRDB永野です。
競馬サークルは2月3月の境が人の面での年度替わり。
蛯名騎手と佐久間騎手がムチを置き、新たに新人騎手8人がデビュー。
一時期競馬学校の卒業生が減少していたが、一昨年に続く新人騎手8人が加わりJRAの現役騎手は141名に。
それでも騎手の人数は減っている。
調べるために、自宅の屋根裏部屋から古い競馬週刊誌を引っ張り出してきた。
発売が1993/12/27で94年の金杯号。表紙の写真はナリタブライアンの朝日杯のもので、メジロマックイーン引退のカラーグラフ特集が組まれている。
1993年の有馬記念直後の発売なので、各種成績は19930年度分がひとめでわかる。
関東のリーディングは岡部騎手、当時45歳で114勝。岡部騎手と同期の柴田政人騎手が113勝で2位。以下106位まで。
関西のリーディングは武豊騎手。当時24歳でこの年は137勝。2位の南井騎手が84勝で50勝以上差が開いている。以下90位まで。
東西で合計196人の騎手がいたので現在は3割ほど減っている計算に。
それでいて、レース数は当時より増えている筈だし、ひとレースあたりの出走頭数も現在の方が多いはず。
先週の競馬で大野騎手がJRA通算11000回騎乗を達成というニュースもあったが、この記録は史上37人目で、現役騎手24人目。
それだけ現在に近い騎手の方が騎乗数が多いということ。
ただ、勝ちクラに関しては上位の騎手に集中する傾向が近年の方が顕著。
よって早い時期に見切りを付け調教助手に転身する騎手も多い。
今後騎手不足にならないか心配される。
競艇は、ずんの飯尾サンらタレントを使ってのボートレーサー募集のCMをテレビで流しているが、JRAもグリーンチャンネルだけでなく、騎手や厩務員の募集を地上波でながせないのか。
余談だが、古い雑誌を見ていると「今思えば」というようなことも。
1993年の有馬記念当日の中山競馬場の入場者数は16万人。同じ日の阪神競馬場の入場者は9万2千人。馬券を買うのもひと苦労だったと思う。
JRAの理事長の抱負では、衛星放送で在宅の全レース視聴可能をこの年の10月から試験放送を開始して、翌年にはサービスを開始したいと。昨年開局25周年を迎えたグリーンチャンネルである。
この当時はPATの会員は30万人。それが今年の1月末では500万人を超えたというのだから。
この頃からの、在宅でのレース視聴とPATの普及があったから、このコロナ禍でも競馬を止めずに済んだのだと思う。
出走表等は、JRA発表のものをご確認ください
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