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【WEB版】『ディープインパクト誕生の裏に隠されたシナリオ』(17)

メジロマックイーン降着の真実

次に、シンボリルドルフが古馬になって唯一敗れたレース、天皇賞(秋)を見てみよう。
2頭は別々の年度に出走する。
 
平成3年 天皇賞(秋) メジロマックイーン(1番人気)
平成4年 天皇賞(秋) トウカイテイオー(1番人気)
 
2頭はともに1番人気に支持された。

平成3年の天皇賞(秋)で起きた歴史的大事件を覚えているだろうか。1位でゴールしたメジロマックイーンがまさかの18着降着となった事件。ルドルフの2分割馬として演じているマックイーンが、ルドルフが1番人気で敗退したレースを勝つことを許されるはずがない。また平成4年のテイオーもルドルフに習い7着に敗退する。

このようにオペレーションは鉄壁なのだ。ルドルフ2分割がわかっていれば天皇賞(秋)でこの2頭は消せる。絶対に勝てない馬は、オペレーション解読をやっていればわかるのである。

では、シンボリルドルフが出走を取り消した宝塚記念でメジロマックイーンが勝利できたのはなぜか。ルドルフを演じるだけなら同様に出走しないのがいいであろう。トウカイテイオーは出走しなかったのだから。そこでマックイーンの出走した宝塚記念を見てみよう。平成2年と平成5年の2年が該当する。

平成3年の宝塚記念は通常の阪神開催ではなく、京都競馬場で施行された。だから出走を許可された。

では、平成5年はどうか。阪神開催の宝塚記念であるが、「皇太子殿下御成婚奉祝競走」として施行されている。レース名が変更されたことにより、シンボリルドルフが出走取消したレースではなくなったから出走を許可されたことになる。それに天皇賞馬が皇太子殿下の御成婚をお祝いする競走に出走しないわけにはいかないだろう。

オペレーションには例外がない。ルドルフが取り消した宝塚記念への出走をマックイーンが許可された背景には、こうした理由があるのだ。

≪補足≫メジロマックイーンの降着について

1991年(平成3年)の1月5日から降着制度がスタートした。
つまり、メジロマックイーンは降着制度の新システム証明馬ということ。

そしてこの年から馬連馬券が発売された初年度であり、馬連馬券発売初のGIであった。
メジロマックイーンが降着となり、繰り上がりで1着プレクラスニー、2着カリブソングとなったこと。
馬連10-13の馬券を持っていた人は不的中となるが、枠連5-7の馬券を持っていた人は的中。
主催者はこの年に導入された降着制度のシステムと、枠連馬券と馬連馬券の違いを示したのだ。(馬連馬券発売初のGIだから)

故高本公夫氏の名言『枠が走る日本の競馬』

日本の競馬は枠が基本。

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