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パンドラの本

私は昔はかなり本を読んでいたのですが、読むのはほとんど娯楽小説です。物語の本。
しかも「深い話」「いい話」みたいなものではなくて、人が殺されて事件が解決したり、誰かが復讐を企てて成功したりというような、「何か大きな動きがあって、それが終わる」みたいな話が一番好き、ここ十年、二十年では東野圭吾さんとか宮部みゆきさんとか、そういう感じです。あとは昔なら星新一さんみたいな、シニカルなユーモアというか、そんな感じも好きでした。

ちょっと捻くれた人間だからなのか、「心温まるいい話」みたいな本は絵空事のように感じるというか、素敵なものを素敵と感じる素直さに欠けているというか、決してそういう本の良さが「全くわからない」というわけではなくて、読めば読んだで「あー面白かった」とか「いい話だなー」くらいは思うんですけど、特に積極的に読みたい気持ちにはならないんですよね。

同じように実用書だとか、新書だとか、何かを学ぶため、知るためみたいな本も、あまり興味が持てない。必要な時にはネットや本で最低限の知識は得ようとするけど、本を一冊丸ごとちゃんと読むほどの興味は湧いて来ない。必要に迫られてなくて、自分でちょっと興味を持ったみたいなことも、やはりネットで概要だけわかればもうそれでいい、それ以上しっかりと深掘りしたい、みたいな興味は湧いてこない。

そんなわけで、いつも基本的にはエンタメ性の高い物語の本しか読んでいないのですが、最近SNSで「特定の文庫縛りの本を三冊読む」というチャレンジをしておりまして、先日ちくま文庫の本を読みました。ちくま文庫、お話の本がすごく少ない。それでも二冊は探せたんですけど、もう一冊はこれにしました。

そもそも買った理由は、小説の選択からもにも滲んでいるのですが、私は、人間の残酷さ、愚かさ、醜さを知っておきたいみたいな気持ちがあるような、心配性な割に、そういう話に関心を持ってしまうところがあるように思います。で、買った時にはもっと「虐待」の部分に触れているのかと思っていたのですが、そうではありませんでした。

元・被虐待児だった人たちが成長した後の心に焦点を当てた本。普通の人は「死にたい」というところを、虐待をされていた人は「消えたい」という、前者はには「こう生きたい」という希望や理想、あるいは楽しく生きた経験がある、後者には元々それがない。普通の人生を送っている人と彼らはそもそも異なる世界で生きているのではないか、存在の感覚や心理状態が根本的に違うのではないか、ということを論じている、そんな本でした。

この本で取り上げられているのは
・日にちの感覚が弱い、曜日がわからないという人。
→一度もぐっすりと眠ったことがなく、寝ても意識が完全に途切れることがないため1日の区切りが曖昧になる。
・過去がないという人
→母親に無視されたり放っておかれたためにアイデンティティが曖昧になっている

と言ったような事例なのですが、曜日の話はは「へぇーそんなことある?大変だったんだね…」みたいな気持ちで読んでいたのに、「過去がない」のあたりからだんだん「ちょっとわかる・・・・」みたいな気持ちになってきました。

私もあまり過去のことを覚えていません。ピンポイントで何かを思い出そうとすれば、思い出せることも色々あるんですけど、「あの頃ああだったなこうだったなぁ」「こんなふうに過ごしてたなぁ」「楽しかったなぁ」みたいな感じではなくて、朧げなイメージと「誰々と何々をしたことがある」「こんな出来事があった」という何点かの事実みたいな、記憶のかけらみたいなものが点在している感じです。しかも「こんな出来事があった」を思い出せるのは、わりとちょっと嫌な思い出が多くて、トランポリンで怪我をした、だとか、ブランコから落ちた、だとか、かけっこがあまりにも遅くて泣いたとか、先生に怒られたとか。たぶん感情が大きく動いたことだから覚えてるんだと思うんですけど、ポジティブに動いたときの記憶は特にないんですよね。友達とかとは、一応楽しく遊んでいたはずなのに、「あの頃楽しかったなぁ」じゃなくて「◯◯ちゃんとよく遊んでいた」「放課後には駄菓子屋に行った」「あそこの公園で遊んだ」みたいな事実だけ覚えていて、公園での出来事となると先程の「ブランコから落ちた」とか、当時見たその公園が出てくる怖い夢しか思い出せない。そしてそれは昔に限ったことではなく、すごく極端にいうと、小学校の記憶と去年の記憶の解像度がさほど変わらないみたいな感じ。

まあ歳のせいと、あまりにも無為に流されてしか生きてないからなのかなと思っていたのですが、今回の記憶がない人の話を読んで、私はそこまでではないけど、あれ?ちょっと近いのかも??という気がしてきました。といっても、そもそも他の人がどのくらいの解像度で昔のことを記憶しているのかがわかるわけではないので、みんなそんなものじゃないかな、という気もしたりしているのですが、どうなんだろ。

記憶の問題だけでなく、先程書いた「いい話が絵空事に感じる」とか「学ぶ本に興味が無い」みたいな、そういうちょっと捻くれて熱意にもかける人間の作り方を、この本に少し解き明かされたかもしれない気持ちになりました。

何度か書いておりますように、私には父親はいませんが、母親は普通にいて、育児はあんまり上手じゃなくて、普通の「お母さん」とはちょっと違ったけど、普通に愛情のある人で、今も昔も普通に仲良くしています。
そして、以前にも書きましたけど、完璧な親なんていないので、育った環境になんらかのわだかまりとか、その結果としてのちょっとした生きづらさみたいなものを抱えてる人は結構多いんじゃないかなと思っています。まあつまり、虐待をされていなくても、誰しも表には出さないだけで、それぞれの大変さを抱えている方は多いんだろうな、って思っているわけです。

でも被虐待児は、何か根本的な違いを背負わされてしまっている、この本はそういうことだと思います。私は違うけど。

しかし、「私は違うけど」といいながら、この本にか書かれている「普通は親からのこれこれこういう経験を経て、こういうふうに成長するけど被虐待児にはそれがない」みたいなことを読んでしまったら、「いや、えっと、そういう経験は・・・私も、そんなにはしてないですね・・・あ、いやもちろんそこまで酷くはないですけども。」みたいなことがちょこちょこ出てきて、なんだか微妙な気持ちになりました。

それで、つい怖いもの見たさで、同じ著者の本を何冊か流し読みしてしまった(ちゃんと読む熱意なし)んですけど、自分を憐れむようなことをしないように、普段見ないようにしているものの片鱗をちょっと見てしまったような。開けてはいけない箱を開けてしまったような。

「甘えさせるとは、子の言いなりになることではない。先回りして過干渉することでもない。子に好き勝手にやらせることでもない。  甘えさせるとは、子どもの心を読み取って親が子に「何かをしてあげる」ことである。それに対して、子どもが笑顔を返してきたら、甘やかしは成功である。もちろん、読み取りが間違っていれば、子の笑顔は返ってこない。甘やかしは失敗である。たとえば、疲れて帰って来た子に「美味しいジュースがあるよ」と言ってあげる。それが子どもの気持ちにぴったりだったとすれば、子は「わあー、うれしい」と笑顔を見せる。  成功と失敗を何度か繰り返しているうちに、その子の心のツボが分かってくる。それは子が一番欲しかったものである。親が子を甘えさせられるようになり、子は親に甘えられるようになる。すると、気持ちを理解された子どもは緊張を解いて安心を得る。親子のコミュニケーションは豊かになり、子は本音を語れるようになって、自然と問題が解決する。  小さい頃、十分に甘えられた子は、人に安心し、人を信頼できるようになる。安心と信頼があれば、人はがんばれる。  このように、親機能の一番は、子どもを甘えさせて、人への安心と信頼を教えることである。  そして次に、親機能の二番は、子どもをしつけて、がんばって生きていく方法を教えることである。」

—『「母と子」という病 (ちくま新書)』高橋和巳著
https://a.co/3utYJ58

あーーーー、そういう感じは…全然ないですねぇ…。

ですからイヤイヤ期…なかったですねぇ。母にも確認しましたけど。

他にも、

同じ時間に起きて同じ時間に寝ることをしつけられるだとか、食事の時間が固定されるだとか、そういう生活習慣を整える感じもあまりなくて、いやもちろん物心ついてからは通園通学があるので、「夜寝て朝まあまあ早く起きる」くらいの習慣はありましたが、食事は何時、就寝は何時、みたいな感じではありませんでした。成り行きまかせというか。

お母さんに促されて、がんばって、できたら褒められて、生活習慣を身につける。そのがんばりが社会の中でのがんばり方(父性機能)へとバトンタッチされる

みたいな感じ、記憶にないですねぇ。

と読んでいくうちに、普通のお母さんとは「ちょっと」違うって思ってたけど、実は「かなり」違っていて、(もちろん虐待とかという意味ではなく)それが思っていたよりは大きな問題だったのではないか、そう思えてきてしまいました。

母親から「安心」=人生の安全基地をもらい、父親から「がんばり」=人生の闘い方を学ぶ

みたいな感じ、微妙ですねぇ。いや、一応安全基地だとは認識していたというか、泣いて逃げ込む先は母だったんですけど、ゆっくり逃げ込ませてもらってる時間はないというか。それをしっかり受け止めてる余裕はないというか。

本当にね、ずっと仕事をしていたんですよ、うちの母。物心着く前のことはもちろん知りませんが。夜一緒に寝て、夜中に起きたら居なくて、泣きながら探したら仕事場(敷地内)にいるみたいな感じでしたし。

私が幼稚園や学校から帰ってもほぼ夜まで仕事をしていたような気がするし、土日祝日も休みなく仕事をしていたし、多分幼稚園くらいの頃にはご飯を勝手にチンして食べるみたいなこともしていたように思います。おやつも親から与えられるものではなくて、100円貰って買いに行くものでした。

とはいえ完全にほったらかしにされていたというわけではなくて、母は近くには居るけどずっと仕事をしているので、私はずっとママを探して隙あらばママにくっついているみたいな子でした。親戚からも「甘えん坊のママっ子」(悪い意味で)的な扱いをされていて、だからそういう子だったと自分でも思っていたんですけど、今にして思えば、きっと普通の子の(かなり多く見て)10分の1も母と過ごしていなかったと思う。お出かけも全く行ったことがないわけではないけど、親戚や近所の人やともだちの家族に連れて行ってもらうことの方が多かったし(母も一緒に行くことも稀にあったけど)、何なら私の近視も、近所の人が私をサーカスに連れて行ってくれて、私がサーカスの熊がちゃんと見えてないってことにその人が気がついて教えてくれたってくらいでした。母と2人で行くお出かけは主にダイエー的なところやごくごく稀にデパートへの数時間の「買い物」でした。そもそも「遊ぶ」ということが得意な人ではなかったので、公園で遊ぶとか家でゲームをするとか、そういうことを母とした記憶もありません。考えてみたら私が大人になるまでは、一緒に食事をしたこともあまりなかったような気もします。いや、朝ごはんくらいは食べてたのかな?私に食べさせるものを「用意してくれていた」ことは朧気に覚えているのですが、母と自分が一緒に食事をしている光景、というのが割と最近のものしか思い浮かばないので、一緒に食べていたとしたらどんな感じだったのか…ちょっと思い出せない。自力で食べられる以前は食べさせてもらっていたと思いますが(当たり前)物心ついてからは食事は近所の親戚も一緒にというか、「同じ釜の飯」をそれぞれの時間に食べていたので、誰かの一緒のこともあれば、一人で食べることもあるみたいな感じだったかな?と思います。基本的にはご飯は食卓ではなく、一人用の折りたたみテーブルみたいなものがいくつかあって、各自がそこで、テレビを見ながら食べる感じでしたし、小学校の頃は、土曜日のお昼なんかは、一人で近所のお店で外食したりもしてました。

私は小学校まではものすごく泣き虫で、ちょっとしたことですぐに泣いていて、他のみんなはそんなに泣かないのにと、自分でもそれを恥ずかしいと思っていたので、中学に入って以降は封印したんですけど、今にして思えば、ずっと不安だったのかもしれませんね。なんかずっと「自分は他の人よりも劣っていて、他の人がちょっと怖い」みたいな、母と、一番仲の良い友達以外の人を、少し怖がって苦手に感じているところがありました。

先ほど引用した「甘えさせる」という話を読んで、考えてみたら私は親から何か「喜ばせてもらった」みたいなことは、あまりない気がする。それが普通だと思っていたけど。衣食住の身の回りの世話みたいなことは、わりとちゃんとやってくれてた(世間ほどではない)し、学校で男の子に泣かされて帰ってきたらそれなりに(学校に電話するくらい)は対応してくれてたけど、楽しみや喜びのための何かはあまりありませんでした。とはいえ洋服を作ってくれたりしたので、喜ばせる意思がないわけではなくて、基本の衣食住以外、子どもには「何をしてあげるものなのか」自体を知らなかったという感じ。戦前の子沢山な時代の「お姉ちゃん」だったので、多分母自身もあまり手をかけてもらってないのです。

私は今も旅行でもレジャーでも何かをしていてその行為自体がすごく楽しみだとか、楽しいだとか、景色や美しいものにすごく感動するという感覚があまりなくて、(それなりには楽しいし、「わあきれいだな」とは思いますが)「義務感」のような気持ちで観光などをしてしまうので、感受性が機能してないのかと思っていたのですが、もしかしてそういうのも、親と楽しいことをして「楽しいね!」「綺麗だね!」という感覚の根っこのところを養われてないからなのでは?という可能性が出てきました。

誕生日も「ケーキを買ってきて食べる」以外はそんなに特別な日でもなかったし、頼めばたまに何か買ってくれたり、その分のお金をくれたりもしたけど、あらかじめ用意されている誕生日プレゼントは特になく、でも当時は(親戚も含めて)それが普通だったので、とくに大きな不満はありませんでした。小学校のころはなんかお互い誕生会に招待し合わざるを得ないみたいな空気があった時期に、2回くらいは頼んでちょっとパーティ風にしてもらったけど、確かそれは親戚が準備などをしてくれたと思います。母にはそんな能力はないし、仕事があったので。もちろんサンタさんも我が家には来るはずはなく、「現代に煙突がないのと同じくらいサンタさんもいない」くらいの認識だった気がします。「○○ちゃんちはサンタさん信じてる!」という驚きのニュースを、母に伝えたことがあるような、ないような。ひなまつりも1回だけ何かをした記憶はあるけど、そもそも祖父が買ってくれると言ったひな飾りを(多分母の手に負えないので)断り、ケースに入ったひな祭り全く関係ない何らかの人形がありました。女の子の幸福を祈る行事をちゃんとやらなかったのでこの有様です。

それに、よく人が言うような「親にこういうふうに言われて育った」とか「こんなことを教わった」とかそういう感じのエピソードもほとんど持ってません。私が「ママ、ママ」とくっついてはいるし、ちょっとしたことで怒られたりもするけど、叱るというよりは私か、あるいは母自身を責めるという感じの怒り方をする人で、「教えてもらう」「人間として育ててもらう」という意味での、「親子」という上下関係ではではなかった気がするんですよね。友達っていうのとも違うけど。だから仲はいいけど、あまり自分の本音を話すような間柄ではありません。二人とも何もあまり知らなくて、それぞれが手探りで世の中と折り合いをつけながら一緒に暮らしてるみたいな。私の世話を母がしてくれるけど、母ができないことを私がやるみたいな。「躾」とか「教育方針」みたいな感じはあんまりなかった。社会との接し方やその他大抵のことは世間とかテレビとか漫画とか小説で学びました。

忘れ物をしないようにする、みたいなことも、私が勝手に支度をして、教科書をなくしたりしているとき(自分の部屋も物の定位置も何も無いので日常茶飯事)は怒られながら一緒に探してもらったり、あるいはもしかしたら母が全部準備してくれたこともあったのかもしれませんが、「忘れ物をしない人間を育てる」ではなく、目の前の問題だけ片づけるみたいにして暮らしていました。

別に蔑ろにされていたというわけではなくて、風邪を引けば、水分を取らせたり、汗を拭いたり、着替えさせたりとちゃんと看病してもらってましたし、何なら私だけが生き甲斐みたいなところのある人なのです。別に裕福では無いけど、自分のためのお金の使い方すら知らないような人なので、必要なお金は出してくれて、習い事もさせてもらって、高校も大学も出してもらって、希望の大学に行かせてもらって、ついでにアメリカにもちょっと行かせてもらって、それでもなおあまりある私のための貯蓄もしてもらって。でも、どこの高校に行くのか、どこの大学で何を勉強するのか、どんな仕事をするのか、どういう人間になるのか、私もよくわからないまま、というよりそういうことを「考える」という概念のないまま流れで決めてしまったし、母も大学にも行ってないし、会社勤めもしたことなくて、私以上にわからないから、特に何かを話し合うでもなく、ほとんど何も反対もされず、流れのままに決めた気がします。強いていえば「今の私に無理そうなこと」「長続きしなさそうなこと」は最初から止められがちでした。「がんばってやれ」みたいなことはあまりなかったし、私も「反対を押しきってまでやる」ほどの熱意はなかった。「人生」を考える係の人が誰もいなかったんですよね。大学時代の仕送りも十分にしてもらいましたけど、仕送りも「仕送りでやりくりすること」を教えるタイプの人ではなかった。足りなくなったら送ってくれる、みたいな人でした。「バイトするくらいなら勉強すれば」みたいな。まあ当時の私はそんなに弾けた無駄遣いをするタイプでもなかったけど、普通の「仕送りで暮らしてる人」と比べたら何も考えずにお金を使っていました。「勉強すれば」っていうのも、私はずっと「勉強する」自体もあまりよくわかってなかったので(今でも)出た課題をこなす以外はぼんやりと過ごしていたように思います(今でも)

親や周りの人の「○○な子だね」という声掛けでアイデンティティを形成していくという話も本に出てくるのですが、言われてみれば先程の「甘えん坊のママっ子」だと思っていたという話もそうだし、それに母は私に「○○だねぇ」みたいなポジティブな声掛けをすることはあまりなかったように思います。怒った時の「あんたって人は本当に○○な子」みたいなネガティブなものはあったかもしれません。勉強の習慣もない割に中学くらいまでは割と成績が良かったので「あんたすごいねぇ」という認識はしていたようですが。そう考えてみると、私は高校くらいまで「私にはちょこっと成績がいいくらいで、他には何の取り柄も価値も無いな。運動もできないし」みたいなことを思っていたような気がするのですが、あれは自信が無いというのもあるけど、「微妙に成績がいい」以外の自分のアイデンティティを全く把握出来ていなかったのかもしれません。

30代の頃に、高校時代の同級生と頻繁に集まる機会があり、私は高校自体とはだいぶ違う私としてそこにいたのですが、1人だけ当時そんなに仲良くなかったけど「そんな人だったっけ?」とストレートな質問をぶつけてきた人がいて、「だよね。どんな人だったっけ。」と思いました。高校時代とは多分だいぶ違うけど、その自分がどういう人間なのかいまいちよくわからないし、当時の振る舞いも忘れてしまった。多分当時は怖がっていたのでしょう。

そういえば母が小学校の時に1番仲良くしていた友達のお母さんから、「ほんっとに、いちごちゃん(仮)みたいに優しい子はいない!」と力説された、と言っていたことがあり、やや嬉しげではあるものの「どこがやろ?」みたいな感じで、私自身も「どこがやろ?」と思っていたのですが、今にして思えば、私には「天真爛漫な子供らしさ」みたいなものはなかった気がするので、普通に割と大人の感覚に準ずるような社交性を持って、気を遣いながら友達にもその親にも接していたのかもしれません。数少ない写真もほとんど不安そうな困ったような顔で写ってますし。

まあそんなわけで、私は母に愛されてもいたし、甘やかされてはいたけど、甘えさせてもらったり、何か(人生)を教えてもらったりしたことがあまりないみたい。これを書きながら「でもアレはしてもらった」「コレもしてもらった」と、きっと割と当たり前のことも列挙したくなってしまうのも、なんだか「いかにも」みたいになっちゃってますが、母は私のために自分が何らかの労働をすること、自分にできることをしてくれることは厭わない人なんだけど、「人間の育み方」「子どもとの向き合い方」みたいなところがあんまりわかってないし考えもしない。母は頭も悪くないし多分発達障害的ななにかでもないんだけど、「育てられる」ことを母自身が経験してなくて「できること」の中に入っていない感じ。

でも昔は、他のお母さんはすごくきちんとしてるのをみて「私のママがあんなママじゃなくてよかったな。なんか怖い。」って思ってたんですよね。でも本当は「母親」ってああいうのなんですよね、きっと。ちょっと怖いけど、でも優しくて頼りになるみたいな??

そんなわけで親の人生観の無さをそのまま受け継ぎ、私は自分の人生をどうしていいのかわからないまま、というか「自分の人生」という言葉自体に「はぁ(ぽかーん)」みたいな思いのまま、全ての選択を流れと雰囲気で生きてしまった。でもその自分の選択の中で、人生で、やって良かったなぁって思ってることが、一個もありません。

母が自分で「私は何もしてないのに勝手に育った」というのですが本当にそう。勝手に育ちはしたけど、人生でやるべき何かを何も経験してなくて、ただ退屈に、でも退屈ではないフリをしながら生きているだけ。母の生き甲斐がこんな仕上がりになってしまって、孫も産んであげられなくて、本当に申し訳ない。

まあつまり何が言いたいかというと、私は本当にポンコツな人間で、かつ根底に人が苦手みたいなところがあるのですが、幸か不幸か社会に出ている時には、それなりにそつなくポンコツではなくむしろ割と社交的なように振る舞える瞬発力を持ってしまっているのですが、でも本当は、本当にやる気も熱意も生き甲斐も何もない人間で、でもそれはもう私自身がそういう人間なので仕方がない、という自責みたいな諦めというか開き直りというか、そんな気持ちで生きているんですけど、このたび数冊の本を読んだせいで、それはそういうふうに「育ってしまった」のかもしれない、と考える余地が生まれてしまったわけです。まあだからと言って何が変わるわけでもなく、「そういう人間なので仕方ない」が「でも私のせいじゃないから仕方がない」に変わるだけなんですけど。

このように、私は基本的に自分に関してネガティブで、口を開けばネガティブなことしか言わないんですけど、ネガティブなことばかりいう人間は他人にとっては不愉快ですし、私の方もそれに対して通り一遍の叱咤や激励をされることも別に求めていないので、現実の世界では自分に関してはあまり喋らないようになって、そして、このネガティブな感覚自体も「話したとてどうせわからないだろう」みたいな気持ちがあります。でも、それも「本当はわかってくれる人がいるはずなのに話そうとしない」自分の思い上がりというか、卑屈さゆえのことだろうなと今まで思っていたのですが、これらの本を読んで、もしかして本当に見えている世界、住む世界が違うのかもしれない、という気がしてきました。私が本を読んで「絵空事」みたいに感じている話に、もしかしてある程度のリアリティを感じている人の方が多いのかもしれない。

今書いていることも、うまく育ててもらえなかった恨みつらみとかではなくて、例えば「今からでも遅くない」みたいなことでもなくて、「変えようにも変えたい生き方自体も、何も持ってなくて…虚無」という話、そんな自分カワイソカワイソ!と言っているだけです。

私は今のところ大きな病気もしない健康な身体に産んでもらって、好きなことをやろうと思えば、まあ大体はやらせてもらえる環境にいたにも関わらず、そこまで好きなものも、やりたいことも、それに向けて頑張る気持ちもない、ただこんなことでいいのかな、私もほかの人みたいに何か生き甲斐っぽいことやりたいなってずっとほんのり思っていたけど、結局「何か」自体もないし、そこまでの熱意ももってない。私が目指すべきところは「今のままで、生きてるだけで満足して幸せ」という状態かなという気がしますが、今のところそういう訳でもない。だからとにかく暇が潰せるものに手を出して、気を紛らわしています。




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