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21世紀に9世紀を引き出す

多くの人にとって、なじみのある「書(書道)」は、お手本を見ながらその通りに書く、という行為だと思う。音楽で言うと、既にある譜面通りに演奏するようなもの。

音楽は、誰かが作曲した作品を再現する手法もあれば、自分で創作して演奏する手法もある。ジャンルもクラシック、ロック、ジャズ、ラップ、と様々で、時代によっての流行り廃りもある。


書も似たところがあり、誰かが書いた作品をそのままそっくり再現して書く手法がある。これを「臨書(りんしょ)」と呼ぶ。お習字もその一種。臨書の対象となるジャンルも様々で、漢字では楷書、行書、草書、隷書(れいしょ)などがある。ひらがなは「かな文字」で一括りのジャンルとなる。


ショパンとバッハとベートーベンはいずれも「クラシック音楽作曲者」だが、それぞれ曲の個性がある。演奏者は、ショパンの曲はショパンらしく、バッハの曲はバッハらしく演奏する事が求められる。


書も「誰が書いた」かで、字の個性が変わってくる。臨書はいわば、創作者が作ったものを出来る限り忠実に再現する手法なので、再現度の腕が試される(部分もある)。


日本は中国から漢字を輸入して使用し、後に漢字をもとに「ひらがな」を発明した。漢字の「書」があるなら、ひらがなで「書」をやってもいいのではという事で、日本ではひらがなの「書」が生まれた。音楽で言うと、ポップスの一種ではあるが日本特有のジャンルだと銘打った「J-POP」が確立されたようなもの。


世界を見渡すと、漢字が読めなくてもその形を「面白い」「かっこいい」「美しい」と感じる人が多くいる。非漢字圏の民族の方が、タトゥーとして漢字を取り入れ、漢字圏の民族の方が「よりによってなぜその字を...!」と悶絶している様が、ネットで散見される。


一方かな文字には、そういった状況があまり見られない(気がする)。個人的な体験では、非日本語圏の方にかなの書を見ると「きれい!」と言う反応が返ってくるが、日本語圏の方に見せると「読めない、理解できない」と言われる事がある。非日本語圏の方は、漢字もかなも、書を「抽象画の一種」として観賞しているようだが、日本語圏の方は書を「読もう」として細部を見つめてしまうらしい。


音楽は聴きどころが分かれば、楽しく聴けるようになる。かなの「書」も、見どころが分かれば楽しく見られる。そこで古典と呼ばれるもので伝えたいが、実物は1000年ぐらい前に紙に書かれたり布製の軸に貼られていたりするので、紙の経年劣化が著しい。見た目がよろしくないと人は食いついて来ないので、臨書のついでに、21世紀向けに仕立て直す事を試みたい。

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