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母性本能③ 持たざる父親は?個人的反ジェンダーレス論

こんにちは。

前回・前々回の投稿では、主観的ではありますが書かせてもらいました。

「母は強し」という言葉の通り、子供に対して反応スピードと感度が跳ね上がるという事です。

本日は母性本能を持っていない父親はどうすれば良いのかという部分について、私なりの考えをまとめてみようかと思います。

■ テキパキママとのろのろパパ

母性本能が開花し超人と化した母親から見て、相対的に父親の行動が遅く見えるようになるため、どうしてもイライラしてしまう事が増えると思います。

「何で言われた事しかできないの?」「赤ちゃんが泣いているのに何ですぐ行かないの?」「自分の子供が可哀そうに思わないの?」

こんな事を思った経験のある母親の方はとても多いのではないのでしょうか。勿論私も言われた事があります。

もしも普通の状態であれば、私がどんなにひっくり返っても、母性本能付きの母親のスピードと感度には太刀打ちできないと思います。

子供に対する行動のエネルギーになるであろう、愛情や感情で敵わないと思うからです。

普通の人間のエンジンしか積んでいない私と、超性能エンジンを積んでいる妻では動きの格が違ってきます。

■ 動けるパパは何をエネルギーにして動くのか?

しかし、パパさんの育児アカウントなどを見ると、大変に子煩悩で面倒見の良いパパさんたちが沢山出てきます。

おそらくですが、パパアカウントの皆さんは、子供が泣いている時に駆け付ける速度も速いでしょうし、子供に対する対応も良いでしょう。

最もストレスがかかるであろう0歳~2歳の頃にも夫婦二人三脚で子育てをしていたに違いありません。

少なくとも世間一般でイメージされるパパさんたちや、「育児は女がやるものだ」という様な前時代的な考え方とは無縁の様です。

いったいこの差はどこから出てくるのでしょうか?何かしらエネルギー源の差があるはずです。

男性にもかかわらず、母性本能が備わっているのか?元々の教会の神父の様に愛情深いのか?

しかし、どちらもピンとはきませんでした。

暫くTwitterを眺めていてふと気付いた事は、「夫としてしっかりしなければ」という意識や「父親として模範的でなければ」という意識が、物凄く強いという事なのです。

「夫」や「父親」という属性は「男性」に帰するものなので、言い換えれば「男としてのプライドや規範意識がかなり高い」という事も言えるかもしれません。

強いレディーファーストの思想や、古風な師匠と弟子の様な関係性の様な、古風な男としての在り方に高い理想を持ってそうな感じを受けました。(主観なので合ってるか分かりませんが)

前時代的な男のプライドと、新時代的な男のプライドは、出どころは同じでもベクトルが完全に違い、切り分けて考えるべきかと思います。「男らしさ」に対する解釈が違うのです。

思えば、私が動けるエネルギーも「妻のため」というのがかなり大きいです。

子供に対する愛情の感度は相当鈍いですが、それでも育児に時間を結構割けるのは妻の為です。

自己評価ですが、「子煩悩」ではないと思いますが、「愛妻家」ではあると思います。

その根底には、やはり「夫として、愛する妻をフルサポートしなければ」という思想があり、これも「男らしい理想の自分」に帰するものです。

「仕事終わりに深夜ワンオペ?夫(男)ならやって当たり前だろう」

自分の思想を端的に言うとこんな感じです。小難しい理屈やら社会学のナントカ理論など、挟む余地はありません。

「夫ならまだまだできるはず」というバリバリのジェンダー思考が、育児の支えになっています。

■ ジェンダーレスでポンコツ人間が生み出されないか心配

私の考えは上記の通りなので、反ジェンダーレスな面が大きいです。

自分なりに解釈した「男らしさ」を保持する事によって、実際に妻子を支えるのに役に立っているからです。

さて、昨今の社会情勢ではジェンダーレスについて多くの意見が上がっています。

「女らしさ」「男らしさ」から解放されようというのです。

女性の事については分からないのですが、男性については「男らしさ」を取り上げて、育児については大丈夫だろうか?、と考えてしまいます。

上述した通り、女性は母性本能と愛情で子供の為に動けると思いますが、男性の場合だと良い意味でのプライドに依ってる部分が大きいと思います。

「男らしさ」が無くなってしまった男性たちは、当然「夫」や「父親」といった、「男」に帰するプライドが低く抑えられるでしょう。

そうなった時に、いったい何をエネルギーにして育児に向き合うのか、個人的には答えを見つけることが出来ません。

愛情も誇りも無い、ポンコツ人間が生み出されてしまわないか心配です。

私の場合、「夫」として存在する事に価値を見出せなくなった自分が、体力を削って育児に向き合っている姿が想像できないのです。

そこにいるのは一人のポンコツ人間でしかありません。

では「男らしさ」を有害な物から有益なものにするために何が必要かと考えると、それは自分自身の男らしさを研究したり解釈する為の時間と情報だと考えます。

パパアカウントの皆さんのような理想的な新時代の父親たちと、男性であることを特権の様に振りかざして暴れる人たちの差は、男らしさの有無ではなく、ジェンダーの解釈の違いだと考えています。

有害なのは「男らしさ」そのものではなく、解釈の方向です。

有害な男らしさを持っている男性たちは、自分の男性性と向き合う時間も情報も与えられず、男性優位の思想が脈々と受け継がれる部活や企業に取り込まれて、「男は威張って良いものだ」と解釈する事しかできなかったのではないでしょうか。

そういった「有害な男らしさ」を乗り越えるために、そして育児などのケアワークに積極的に参画する「父親」を生み出すために、時代が求めているのはジェンダーの排除ではなく、ジェンダーと向き合い自分なりに解釈する為の時間と情報、そしてよりよく腹をくくる覚悟だと思います。

男性には自分が男性であると自覚する時間が非常に少ないのです。

女性は子供を妊娠して出産し育てる過程で、女性ホルモンのバランスが大きく変化し、心身ともに「母親」になっていきます。

大きなリスクと向き合う過程で、否が応でも自分と向き合う時間を得る事になります。

でも男性の体には何も起こりません。ホルモンのバランスも、体の丸みも、一切変化しません。イライラしやすくなったり急に悲しくなったりという事も、何一つありません。

心身を分けて考えた時に、「体」が「父親」になるという現象はそもそも存在しないのです。

母親という存在は「心と体」の両方に存在しますが、父親という存在は「心」にしか存在しません。

その「心」の部分に社会的圧力をかけて介入し、将来的な結果としてポンコツな夫や父親が生み出されないか、今から心配でなりません。

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