見出し画像

私だけの日替わりランチ

あのご夫婦はお元気だろうか。


最後に会った日、フロアにいたのはご主人で奥様はわざわざ手を止めてカウンターの向こうから出てきてくれた。ご丁寧にありがとうだなんて、お礼を言うのは間違いなくこちらの方。本当はこんなに小さなお菓子じゃ全然足りないんだけど。

目を細めながら「またいらしてね」とかけてくれた言葉に熱いものが込み上げてくる。自宅から2時間はかかるこの喫茶店に次はいつ来れるのだろう。はい、とにこやかに返事をしてしまえばいいのにそれができない。戸惑う私に二人が向けてくれたまなざしは、わかってるよと伝えてくれているようで、ますます寂しくなった。


その店に立ち寄ったのは偶然だった。ランチのルーチンになっていたパスタ、カレー、中華、蕎麦、すべてのお店が休憩時間。残るは妙にきれいで落ち着かないカフェに入るか、食事の時間を削って駅前まで遠出するかの二択しかない。休憩時間は大事だ、あきらめてカフェに向かおうと思った時、目に留まった「珈琲」の文字。普段は素通りしていたちょっと入りづらい感じの喫茶店。

入社してまだ数年、他県から東京に通っていた私は自分を「よそもの」に分類していた。見るからにおしゃれな店構えも、常連ばかりが足を踏み入れそうな重い扉も無縁のもの。ランチはいつも、ほどほどにお客さんが入っていて、店先にわかりやすいメニューがかかっているところを選んで通っていた。ひとりであれば絶対に選ばない喫茶店の前、その日 一緒に休憩を取っていた同僚の足がピタリと止まる。「もうここでいいじゃん」。ため息混じりのひとことに反論の余地などなかった。



私たちがやっていた広告作りの仕事は、当時 夕方以降の作業が多かった。午後から打ち合わせに出た上司の帰りを待ち、そこからの作業。日程に余裕がある場合はいいけれど、翌日会議にかけたいから至急作って欲しいといった要求もザラ。今のようにMacが普及していない時代、急ぎのプレゼン資料は、カラーコピーを駆使して手作業で仕上げていた。

その日はあいにく日中にも急ぎの案件があって休憩が取れたのは15時近かった。長い夜のことを考え、もともとランチは遅めに食べていたけれど、さすがにこの時間ではお腹もぺこぺこ。同僚が投げやりになるのもわかる。口に入ればなんでもいい、とにかく早く座りたい、理不尽な作業を強いたクライアントのことなどもう忘れてしまいたい。私だって同じ気持ち。言葉はいらなかった。

同僚は一直線に店の前まで歩くと思いきり扉を引いた。カランコロンとドアベルが鳴る。うしろから恐る恐る中に入ると壁にかかった手書きの看板が目に入った。一応、日替わりランチもあるらしい。フロアには4人掛けのテーブルが6台とキッチン前のカウンターに椅子が5脚。案外広い。そして薄暗い照明は私好みだった。

「日替わりランチはできますか?」
同僚が聞くとエプロン姿の女性はテーブルに水を置きながらおふたつですね、と言って戻っていった。母より少し年上といったところか。

しばらくしてまずトレイで運ばれてきたのは味噌汁、白米、おつけものだった。目をつぶったらすぐに忘れてしまいそうなモノトーンのお茶碗。一度引き返して今度は両手にひとつずつ、大きめの平皿を持ってきた。目の前に置かれたお皿からは盛大に湯気が上がっている。食欲をそそる香りに思わず身を乗り出して…

と、ここまでは思い出せるけれどお皿の中身はまったく覚えていない。なにしろ15年以上も前の話なのだ。多分 肉か魚のソテーが乗っていて、値段は650円だったと思う。食後のコーヒーはついていた。食べ終わったあと、同僚とゆっくりおしゃべりをした記憶は残っているから間違いない。

結局、私はその店をとても気に入ってしまった。
流れる空気感が肌に合ったのかもしれない。



それから、ひとりのランチはいつもそこに行った。喫茶店だからトーストやサンドイッチもある。食欲がない日はホットケーキという手もあったし、飲み物だけでもよかった。常連さんに出くわすこともあったけれど静かに過ごす人ばかりで、当初抱いていた不安などすぐに吹き飛んだ。ひっそりとただそこにあって、訪れる人を包み込んでくれるような空間。そこで私は心を休めながら仕事を続けていた。

いつもより早く休憩が取れた日のこと、同僚たちはまだ作業中で、私はひとり喫茶店に向かった。その日、扉の向こう側は活気があってまるで別の店のようだった。フロアにいたのはすらりと背の高い白髪の男性。満面の笑みでお客さんと話している。彼は私に気づくとニコニコしながら水を持ってきて、こんにちはと言った。つられて私もこんにちはと言った。たったそれだけのことなのに、くっきりと心に刻まれているのだから相当 嬉しかったに違いない。不慣れな東京の街で見つけた心地よい場所。気づけば、思いきり深呼吸のできる大切な居場所になっていた。

寡黙な奥様が料理を作って、快活なご主人が接客をする。まったくの偏見だけれど、普通は逆の配役になることが多い気がする。ご主人が静かにコーヒーを淹れる中、奥様が朗らかにお客様と会話をする、とか。でもここのご夫婦はこれでいい、というよりこれがいいと思った。楽しそうなご主人を目の端にとらえながら、カウンターの向こうで料理をする奥様。うまく言えないけれど、このバランスが店自体の雰囲気にも滲み出ているような気がした。


印象深い一皿がある。朝からとても忙しくて、やっとの思いで休憩に出た日。お店に入ったのは17時近くだったと思う。お水を持ってきてくれた奥様に何か食べるものはできますかと聞くと、「なんでもよければ作るけど」と言って小走りでキッチンに戻っていった。私のHPは残りわずか、相当ひどい顔をしていたのかもしれない。

空いている時はいつもここと決めている席に座ったまま、うとうとしてしまったようだ。「できたわよ」という声に一瞬どこにいるのかわからなくなる。家じゃないよね、まずい仕事中だ、あれ、違う、休憩に出たんだっけ。

香ばしいお醤油の香りに目を開けると、さっきまでお水だけだったテーブルには、味噌汁、白米、おつけものがもう並んでいて、奥様がいよいよ平皿を置いてくれるところだった。

お皿にはソテーした豚肉がたっぷり、いや、ソテーなんて言うと聞こえがよすぎる。切り落としとか小間切れとか、そんな名前で売られているお肉をタレにからめて焼いたものがドーンと乗っていた。添えられた野菜はキャベツの千切り、その横には鮮やかな黄色の玉子焼き。夢の中から戻りきれずにもたもたしていると、追加で小鉢が運ばれてきた。ほうれん草とニンジンをたっぷりのゴマで和えたもの。見慣れたおかず。きっと冷蔵庫の常備菜だ。味噌汁に視線を移すとこちらはいつもに比べて具だくさん。小さめに切った根菜がギリギリ茹であがりましたと言わんばかりに顔をのぞかせている。きっちり形の残った野菜たち。今、作ってくれたものだと一目でわかる。

とにかく食べてという声に促され箸をつけた。味噌汁をひと口。喉元を通った温かいスープが胃に到達する。一気にエネルギーが満ちてきて、背筋を伸ばして座り直した。次はお肉の山。タレの効果でツヤツヤになった豚肉を数枚まとめて口に運ぶ。生姜焼きと呼ぶほど生姜は主張していないし、照り焼きというほど甘くもない、名前をつけるなら”豚肉の甘じょっぱ焼き“。白いごはんと交互に食べたくなるけれど、それじゃ絶対にごはんが足りなくなるから作戦変更、キャベツと一緒にほおばってみる。おいしい。思わず声に出してしまったら、カウンター越しにこちらを見ていた奥様が思いきり目尻を下げた。知らなかった、あんな顔で笑うんだ。やっぱりこの席にしてよかった。カウンターの中が見える特等席。私のお気に入りの場所。

玉子焼きに箸を乗せてみたら思った以上に深くまで沈んだ。きれいな黄色に仕上げるコツは白醤油を使うか、もしくは醤油自体を使わないか。自分で料理をするようになった今だからわかるけれど、あの日、醤油は使われていなかった。塩と砂糖、もしくはみりん。いつもと違う味だったわけはきっとこれ。

薄味の玉子焼きはガツンと味のついた豚肉と食べるにはちょうどよかった。もしかしたら…添えられたドレッシングも調味料も使いたがらない私のために濃さを調整してくれたのかもしれない。空っぽのお腹を刺激しすぎず、ちゃんとおいしい『私だけの日替わりランチ』。

伝えるなら今、というチャンスを私は活かせなかった。コーヒーが届いた時ならお礼を言えたはずなのに。だからいつもの1.5倍はあったお肉も白米も、キレイにたいらげて箸を置いた。



会社を辞めるまでの長い間 私を支えてくれた日替わりランチには、たくさんの思いが込められていた。何度も食べたくせに、たった一度のメニュー以外 思い出せないなんてとんでもなく失礼だけれど、きっと家で食べるご飯みたいに自然に口に運んでいたからだと思う。そういえば揚げ物の日もあったはずなのに胃がもたれることはなかった。知らず知らずのうちに野菜をたくさん食べさせてくれたのだろう。



夕方、お店が忙しくない時間を狙って、退職することを伝えに行った。結婚を機に都心からもっと離れてしまう私は、もうこの喫茶店でランチを食べることはないかもしれない。今まで奥様の料理に支えてもらっていたお礼がどうしても言いたかった。


結局、最後まで「またいらしてね」にはうまく答えられなかった。でもきっと気持ちは伝わったと思う。あんなにお話ししたのははじめてで緊張したけれど、奥様はゆっくり聞いてくれたし、タイミングよくお店にいたご主人がこぼれそうだった涙を吹き飛ばしてくれたから。おかげでちゃんと笑ってさよならすることができた。



数年経って近くまで行く用事ができた。懐かしさを抱えてお店に向かっていたら、少し手前に見たことのない大きな道ができていて気持ちがざわざわした。喫茶店があった場所に着くとそこにはビルが建っていて、案内板にあるのはいくつかの会社名だけだった。



今でも時々、真似して作ったあの日の玉子焼きを食卓に並べる。ほんのり甘くてうっすら塩味の玉子焼きは万人向けではない。それでも私にとっては格別の味。今日のはお醤油をかけて食べてと息子に伝えていたら、3回目からやらなくなった。訳を聞いたら、これはこれでおいしいから、だそうだ。


背の高いご主人と小柄な奥様、シルエットは覚えているのに顔はもうわからない。すれ違っても気づくことはできないと思うとさみしいけれど、あの時もらったやさしさを近くの大切な人たちに渡していけばいいのだと思い直した。



あたたかな思いがおいしさを生み、
おいしいごはんが元気をつなぐ。


大切なことを教えてくれたお二人が、
どうか今も笑顔で寄り添っていますように。






届けていただく声に支えられ、書き続けています。 スキを、サポートを、本当にありがとうございます。