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自分のために、願わくば、まだ見ぬ人の笑顔のために

「たくさんチャレンジして失敗して悩みなさい」


冬休みが明ける直前、中1の息子宛に年賀状の返事が届いた。
去年、卒業式で男泣きしていた小学校時代の担任から。

近況を尋ね、自分の今を伝えるあたたかいメッセージの最後の一文。息子はハガキをみつめたまましばらく考えていたようだった。それについて確認はしなかったけれど、きっと心にストックしたのだろう。

大人と呼ばれるようになってから失敗を避けるようになった。どちらかといえば無鉄砲な性格の私は失敗に対する恐怖心は人より少ないと思う。けれど、自分が躓くことで他人を巻き添えにする怖さを知ってから少し変わった。大きく踏み出さないことも正義なのだ、そんなことを時々考えるくらいには。

例えば仕事、例えば育児。巻き込む人が大切であればあるほど、チャレンジのハードルを下げたり、時には回り道も選ぶ。その中でベストを尽くすことを楽しむようになり、穏やかな時間を幸せと呼んでみたりもする。

「いくつになっても」も「いい年をして」もどちらも大事な捉え方だと思う。目の前のハードルを「いくつになっても飛び越えたい」と思うのか「いい年をして飛べるはずがない」とあきらめるのか、その時の状況で自由に変えるというのは案外 悪くない。あきらめるなんて信じられないと心を燃やしていた自分も、受け入れて別の道を選べるようになった自分も、結局 両方好きなのだ。

前を向くのはどちらも同じ。でも時々、目を細めて先を見る。それが切り替えの合図になって、ハードルの向こうの景色にフィルターがかかる。

遠くがぼやけると、足元をよく見るようになる。そばにいる人の心が見えるし、声が聞こえるようになる。今まで気づけなかった世界はやさしくて、時の進みもゆっくりで、私はよく喋るし、よく食べるし、よく眠る。忘れていたあたたかい気持ちも思い出す。それはとても素敵なことだ。

それでも。

息子が見せてくれたハガキは私の心を震わせた。メッセージは10代の息子へのもので、きっと私には当てはまらない。わかってはいるけれど、数日経っても薄れてくれないのだ。

人生の後半戦、多分 失敗している場合ではない。
目を細めた私はそう思う。

でももし、誰にも迷惑をかけないのなら。

*


聴覚に障害を持つ友人がいる。息子の習い事で知り合ったご家族だ。お子さんは息子より年上だから、小学生向けのサッカースクールから先に卒業していった。今ではSNSと年賀状だけの交流。でも私は事あるごとに彼らを思い出している。

友人の耳が音を拾いにくいと知った時、できる限りサポートしようと決めた。コーチやママたちとのやり取りでは仲介役を、親睦会では極力 文字を使った余興の準備を。手話は覚えられなかったけれど、筆談でもそれなりに役に立てているようだったし、彼らはいつもありがとうと伝えてくれた。これが寄り添うということで、私は力になれている。まったく疑うことはなかった。

思い違いだと気づいたのは大きな失敗をした時だ。幹事をしていたイベントで自分の仕事に夢中になり彼らを置き去りにしてしまったあの日。

自分に余裕がある時だけやさしさを届けたとして、それがどのくらいの支えになるというのだろう。思い出すたびに胸がキュッとなり、落ち着かない気持ちになってしまう。


苦い思いを抱え、要約筆記者養成講座に通い始めて半年が過ぎた。要約筆記とは、聴覚障害を持つ人に文字で情報を伝達する同時通訳のようなものだ。パソコンを使う場合と手書きで伝える場合と2通りある。

週に一度の講義内容は耳の仕組みから始まって、要約筆記の歴史や障害者の人権、コミュニケーションの定義、話に追いつく手法や具体的な要約技術など、幅広い知識を習得する座学と、音源を使った実技とに分かれている。どちらも2時間程度の講座だけれど、知らないこと、できないことだらけの私は今も緊張しながら講師と向かい合い、濃い時間を過ごしている。

友人に寄り添う方法を探したい、それだけで飛び込んだ私と違い、他の受講生は仕事として要約筆記を始めたいと願う人たち。職業名すら知らなかった私とはスタート時のモチベーションから違っていた。熱さだけなら負けないつもりだったけれど、パソコン技術や、年上の受講生であれば身につけてきた背景知識の量が比べ物にならない。すごいところに来てしまったと毎回のように思っている。


当初、席を埋めていた受講生は徐々に減っていき、今では数人だけとなった。講座ごとに提出するレポートや実技の課題は片手間でできるものではなく、想定外の人が多かったのかもしれない。逆に深く考えていなかった私は、作業ボリュームに戸惑うことはあっても、やるしかないものとして受け入れることができていた。ただ、仕事と家のことだけでほぼいっぱいだった私の器は、上手にバランスを取らないと溢れてしまうから、日中をその調整にあてると夜にしわ寄せがくるのは避けられなかった。消えていくのは自由時間と睡眠時間。

それでも私はワクワクしていた。テキストを読み返す時、書きなぐったノートを見返す時、レポートをまとめる時。タッチタイピングや手書き文字の練習は時間数が決められていなくて、やるもやらぬも本人次第。音源を聞きながら自分の好きなだけ文字を打ったり書いたりしていると、肩は凝り、指は痛み、目も疲れてくる。でも、ワクワクは消えるどころか膨らむ一方だった。

知らないことを知るのはこんなにおもしろかったのか。
「できない」が 「できる」に変わっていくのはこんなにうれしかったのか。


“ 音源の内容を自分なりに要約し、一番よくできたものを提出する “ という課題には際限がない。私の場合、回数に比例して仕上がりがよくなるわけではなく、昨日できたことが今日はできないということが当たり前に起こる。

そんな時はがっかりするし焦ってしまうけれど、すぐに結果を出せなくても講座は辞めないと思う。内心では立ちはだかる壁の高さを楽しみ、必死になっている自分との再会を喜んでいるのだから。


要約筆記者認定試験は年に一度、筆記と実技がある。実技はパソコンと手書きが別々。よく考えずに同時受講してしまった私は、同じ日にふたつの実技試験を受けることになる。合格率はどちらも3割程度。

まだ講座の半分だというのに既に習得できていない技術があるのだから、難易度の上がっていく後半はもっと頑張らなければ追いつけないだろう。そこに労力を使えば、当然、家族に負担してもらうことも増えるはず。息子は「がんばれ」と言ってくれるけれど。甘えていいのだろうか。

資格が欲しかったわけではない。少しでもできることが見つかればいいはずだった。でも、欲が出てしまった。試験を通過し、プロとして聴覚障害を持つ人に関わりたい。

現状、要約筆記の仕事で生計を立てるのは難しいそうだ。それに私は長年やっている仕事を辞めるつもりはない。大好きな仕事で、大切な仲間もいる。だから、今の生活スタイルにプラスするやり方で携わりたいと思っている。中途半端になるのではないかとも考えたが、当事者の講師から聴覚障害者の不安を聞いたり、課題も多いといわれる要約筆記の現状を知っていくうちに、まずは行動することが大事なのではないかと考えるようになった。

講座に通い始めたことを友人や仕事仲間に話した時「要約筆記者」という職業を知っている人は一人もいなかった。勉強中の私でさえ、まだわからないことだらけだ。それでも、世の中には要約筆記を必要とする人がたくさんいて、中には福祉サービスであるこのシステム自体を知らずに、不自由な生活を受け入れている人もいる、ということは理解した。

今は知識も技術もない私。それでもできることはきっとゼロではない。学ぶこと、広めていくこと、結果はわからないけれど動いてみたい。もう一度 目を見開いて、フィルターのかかっていない方の景色の中で。


高いハードルを飛ぶのは私。
でもそこには支えてくれる人がいる。

2022年1月、心にしっかりと刻み込んで助走を始める。






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