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事前復興 コミュニティの単位と仮設団地

出来れば、こちらから「事前復興 今ある暮らし」
https://note.mu/jp_fuukeiya/n/n91f38742aa84

上記リンクで、東日本で考えれば集会所単位が最も機動力と組織力の高いまとまりと感じた理由を書いてみたい。

以下は復興事業計画策定において、集会所単位が働く・機能する瞬間に対するメモである。
事前復興的観点で読む人は、復興計画の段取りを想像して読んで頂けると幸いである。

発災後、集会所単位の視点からは以下のことが動きが出す。
s1:避難所への移転
s2:仮設団地への移転
s3:移転地(先)に関する意向調査
s4:移転計画(集落)に関する意見交換
s5:移転計画(住まい)に関する意見交換
*S=Step

s1:発災直後、迅速な対応がため原則のため、ここは何も問わない(問いたくない)。避難所の設置・運営は別次元の課題が存在するため、今後「発災直後の動き」をヒアリングからまとめていきたいと思う。

s2:仮設団地の設置はその後のs3-5にそれぞれの人の心労・労力、コミュニティが関わってくる。もちろん、適切な規模や配置に仮設団地を設置できない市町村も出てくると思う。
東日本大震災の際にも、地形条件から平場が少ない町も存在し、隣接する市町村へ仮設団地を設置している。
こうした場合は否応ないと感じる。
ここでは、大前提として、早期の移転「避難所より仮設団地、仮設団地よりも恒久住宅」という流れを大事にしている。

premise これからの話の前提条件としては
・仮設団地設置の必要性、応急仮設住宅の建て方はここでは問わない
→ 応急仮設住宅の建て方、建築手法を早期対応にし、避難所から一発で恒久住宅への移転など

コミュニティ単位移転のすすめ

s1-s2:
仮設団地は出来る限り集会所単位での移転が望ましいと感じている。
集会所単位というのは一般的に行政区単位や講単位ということである。
地域コミュニティの小単位である。
集会所単位が何百世帯もある場合は集会所単位のなかにある町内会単位=最小単位とする。
今後、最小単位、小単位を「コミュニティ単位」と呼ぶことにする。

仮設団地への移転はこのコミュニティ単位に分けていくのが望ましいと感じている。コミュニティ単位での移転が困難で複数にまたがる場合は近接する仮設団地に配置する方が望ましい。

一方で、近しい人がいると、体裁やらなんやらで少し気まずいと思う人がいるかもしれない。最近は家の洗面所でやるべきことを公衆の面前で当たり前にするようになっているので、そうした世の風潮も考えると、関係を持っていない人の方が暮らしやすいと思う人はいるかもしれない。
避難所の暮らしや仮設団地の暮らしが、長引けばそこで新たなコミュニティが生まれたり、新しい付き合いが生まれたりすることはもちろんある。
ただ、それは善後策を考える段階では筋が悪いと感じている。

Pre-Recovery Measures 事前復興策
p 1:Understand community unit of existing city 
  「既存の街のコミュニティ単位の把握」 
p 2:Selection of the grounds and decision of the transfer unit of resettlement's scale estimation in the disaster scale
 「災害規模における移転者規模推定による移転単位の決定と敷地の選定」
*p = practice

コミュニティ単位移転のすすめ


s3:移転地(先)に関わる意向調査

計画を作るときは何世帯の人が移転してくるので必要な土地面積の算出、計画・設計を行い、議会や国への予算審議となる。
東日本では自治体によっては何百・何千世帯の人にも移転意向を2回から3回実施している。
移転意向調査の変動は計画策定の前提となることから、これが決められないと
・意向を早々に決めた人(住民)の視点:行政(計画・工事)は動かない
・意向調査をしている人(行政)の視点:意向が来ないと計画着手が出来ない
・意向が決めきれない人(住民)の視点:決めれない〜
これが無限ループ的につながっていくのである。
ちなみに、意向調査は以下のように実施していた(のを横で見ていた)。
r 1:郵送により意向調査
r 2:返信がない人には電話での意向調査
r 3:電話に出ない場合は訪問での意向調査
*r = reply

脱線してしまうが、何百世帯に対しての意向調査である。
・電子化が進めば、、と思うが世の中は高齢者も多く、窓口での対応は必須
・調査機関中に意向が変化する人
・個人での再建を進めた結果、r1-3の返事がない人
想像するだけで、行政の人たちは大変だったと感じる。

すすめ その1
個人で、家族で決めれないときは同じコミュニティだった人が身近に居た方が良いと感じている。
それは暮らしの感覚を共有できるからである。
決して、「集会所単位で暮らし続けろ!」と言っているわけではない。
あくまでも「暮らしの感覚」の共有と「感情の共有」をできる相談相手が身近にいた方が、意思決定の際に寄与するのではないかと思う。
なんとなく話が合わず会話をするのは、日常でも辛いのに、非日常ではもっと辛い。今までの「暮らしの感覚」を、これから起こるであろう「暮らしの感覚」へ繋げる、他の人に話してみることで、きっかけになるのではないかと感じている。
身近の人と相談できる有り難さがあると感じる。

すすめ その 2
話をする、意向調査をする場合でも、コミュニティ単位の移転は誰かが足を運ぶことが容易になる。
集会所、町内会単位で考えれば顔役(リーダーシップがあり、みんなと知り合い)の人もいる。
役場の(知らない)人が話を無理に聞かずとも、顔役や知人を通じて話を聞くことができるかもしれない。
ちなみに新しいコミュニティで形成された仮設団地では、例えば、特定の誰かが集会所の鍵を保持しており、その人のボランティアさんを含めた関係者しか集会所が使えない、などの課題が発生している。

もし仮設団地の規模の関係上、ある一つのコミュニティ単位が移転したうえで、さらに違うコミュニティと一緒になる場合は、今までのコミュニティのルールを少し変更し、顔役同士で相談してみて欲しい。

コミュニティ単位のすすめの中には、コミュニティが内包している「システムの継続」も含まれている。

すすめ その 3
s4:移転計画(集落)に関する意見交換
居住地の計画、例えば、一戸一戸、集落全体の配置計画に関して、漁村集落では殆どの集落で意見交換または少なくとも説明会が実施されているであろう。
(*ここでは説明会の質や伝え方は扱わない。)
その際、どこかへ集まらないといけなくなる。
仮設団地の集会所か、元々住んでいたコミュニティの集会所か、誰かの家か、、、である。
少なくとも話し合いをするには集まる必要性がある。
冷たいことを言うと、集まったところで生産性が上がるわけでは決してない。
でも、集まると「最近どう」、「一緒に頑張ろう」、「楽しみだね」って、会話が出来る。
コミュニティ単位があれば、提示された情報に対してみんなで自主的に集まって意見交換や勉強会をすることもできる。
そうして、地域にとって大切なものを行政の計画と擦り合わしていくきっかけが生まれる。

コミュニティ単位での集まりは、コミュニティの内包している「つながりの回復」も含まれている。

すすめ その 4
s5:移転計画(住まい)に関する意見交換
居住地の再生以外の道路、学校、公共施設なども、もちろん住民と意見交換する機会を設けることが主流になりつつある。
その時に、如何に生産性の高いコミュニケーションが図れるかは、意志共有の量だと思っている。
誰かがまとめる、とかではない。
みんなが大切なものを探して、話して、強い骨格を見つける必要がある。
計画論者としては大事なものを見つけ、それに賛同してもらうことでも良いと考えている。その3と変わらないが、集まらないと人間関係はつくれないのである。

これについては、コミュニティの「大切なもの」や「復興計画論」として、今後書いていきたい。

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