マヤ文字が音節文字であることを発見 言語学者ユーリ・クロノゾフ

https://x.com/historyinmemes/status/1710290287363289231?t=ZYmaD7cCn2oaysXX9Rx9qg&s=09

1953年にマヤ文字(the Mayan script)の解読に成功したソ連の言語学者、ユーリ・クノロゾフ(Yuri Knorozov)は、自身の著作の多くにシャム猫のアーシャを共著者として含める習慣があった。しかし、彼の編集者は一貫して彼女の名前を削除していた。クノロゾフはまた、アシャと一緒に写っている写真を公式の著者写真として使っていたが、編集者がアシャを切り抜いてしまったことに憤慨していた。


他の言語に翻訳するためのロゼッタ・ストーン(Rosetta Stone:古代エジプトの象形文字を解読する手がかりとなった碑石。ギリシャ文字を含む三言語で同じ内容が刻まれており、比喩的に辞書の意味で用いられる)がないため、マヤ文字の解読は困難を極めた。主な手がかりは、さまざまな遺跡に散在するマヤのステラ(stelae:stelaの複数形 石碑)に残っていた。

クノロゾフは、マヤのグリフ(glyph 象形文字)がアルファベットに基づいているという考えを否定し、代わりに音節を表す音節文字として認識することで、画期的な進歩を遂げた。

クノロゾフが自分の研究を発表したとき、彼は著名な学者たちからの批判と拒絶に直面した。とりわけ、マヤ文字は反音韻論的で表意文字原理に基づいていると考えていたイギリスの学者、J.エリック・S.トンプソンはその典型であった。クノロゾフが研究を発表したのが冷戦の真っ只中で、西側の学者たちはソ連の学者たちの研究をマルクス主義的イデオロギーに汚染されているとしてすぐに否定したのだ。

クノロゾフがようやく正当な評価を受けるまでには、数十年の歳月を要した。クノロゾフの初期の支援者のひとりは、エール大学のマイケル・D・コーというアメリカ人の人類学教授で、彼は後にこう書いている。
「1980年代後半まで、マヤの遺跡を見たこともなく、本物のマヤの碑文に触れたこともなかったユーリ・クノロゾフが、あらゆる困難を乗り越えて、マヤの象形文字の現代的解読を可能にした」