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いろいろあって茨木童子について調べている

茨木童子出生古地
同郡東留松村にあり、土俗の傳に云、住昔此所に於て、土民一子を設く。生ながらにして牙生、髪長く、眼光あって、強盛なること、成長の人に越たり。一族懼怖して、島下群茨木村の邊に捨てけり。于時、丹後の国千丈嶽の強盗、酒呑童子に拾われ、養育せられ、成長の後、彼が賊徒と成て、丹波国大江山の巌窟を守らしむ。其設の地名を取って、茨木童子と號く。或時、父母病て同じ枕に臥す。童子大江山に有て、遙に是を知の妙術を得たり。強悪の所至、却って悲歎甚深く、終に此に來り、父母の床の邊に跪て、右の次第を語る。父母暫留まりて、餌を興え喰しむ。一族猶成長の形容に怖る。童子また云う、「我は今、洛陽東寺の門を栖とす。再来すること難し。在世の離別是まで也」と、家を出ぬ。使人迹を見しむ。本道を不行して畷道を走る事、野狐の飛ぶか如し。追者終に其行方を失うと也。今田圃の字と成て、安東寺と云えり、東寺に安住するの義に因歟其東寺に帰去の日をもって、餌祭と號し、賑祭ること今にあり。その是綠(緑)也と云えり。

茨木童子は平安期に京都を荒らした鬼。出生地は諸説ある。大阪府茨木市水尾説は上記から来ている。生まれた時から歯が生えそろって髪が長く、成長が早いので恐れられて捨てられたとする。酒呑童子に拾われて大江山を守るが、この資料では、その後父母を見舞って茨木に一度戻っている。東寺の餌祭というのは詳細不明。現代まで伝わっていない様子。


・郷土資料検索

かなり多数の資料が載っているので、実物を見にいく予定。


・茨木市内の史跡

茨木童子石像
ゆるキャラ化した茨木童子がいる。

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橋の欄干に四体ある。

茨木童子貌見橋
童子が川を見て自分が鬼になったことを知った橋があったとされる場所。

茨木童子石彫
伝説について書いてある碑。

茨木市観光協会
ゆるキャラの茨木童子グッズが買える。追手門学院大学内にある。




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