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現代絵画の終末と再生 2

L工房通信 No.2

ー目次ー
モンテカルロ法としての表現
イメージのトポロジー
<羅列>から<展望>へ
百年の孤独
ー後記ー

モンテカルロ法としての表現

 現在ではほとんど使われない数学の方法で、計算機によるシュミレーション手法のひとつにモンテカルロ法というのがある。確率的な現象を利用して計算する手法で、そのなかに「ビュッフォンの針の問題」というのがあり、それはある図形の面積の近似値を求めるのに全体を正方形で囲み、その中に一様に弾丸を打ち込み、図形のなかに命中した数の割合をもとめる。計算の実際では乱数発生器によって実質的に同じ操作を行うのだそうだ。さてわたしは、1988年より紙に描く作品(=ドローイング)でおこなっている表現行為にモンテカルロ法と名付けている。乱数発生器は私の内部から湧き上がる<差異>に満ちたイメージの連弾であり、正方形は抽象象形世界の全体性の海である。私が測り、また探ろうとしているのは、私が表現している流転の淵という抽象絵画世界の全体の広さと、未知の形象によって抽象絵画を可能にする場の発見と確定である。 
 ではなぜモンテカルロ法なのか。当初、流転の淵では新しい作品を創造するために内部に湧き上がる絵画イメージをクロッキー帖に素描し、そのなかからえらばれたイメージをドローイングやエスキスをし、一点一点のタブロー作品を油彩で本制作するといった方法だった。それはまた、そのとき描きつつある作品が全てであり、その作品が完成すれば、それを起点にしてつぎの作品のモチーフを探すといった、全くの手探りの状態で制作していた。それはわたしの創作姿勢にもよるのだが、いわば一本のチューブから絵の具を順々にひねりだすのに似てゆるやかな速度と一方向の広がりしか持てないという限界があった。そのままでは自己の内外に拡大膨張する抽象象形の全体性の海に迷い溺れてしまうのではないかという危機感があった。またそれは現実界に無限の形象が存在するように、絵画形象も無数に存在するという認識にとらわれたことに原因と理由があったのではない。というよりむしろ無限の形象イメージを開かれたものとして、創造意識のなかにどのように取り込むか否か、どこまでも自由自在の表現意識であろうとすればどこまで表現世界を拡張することができるのか、そしてその限界線があるとすればどの地平においてか、またそれらを持続の状態としてどのように時間化させることが可能なのかと、いわばわたしにとっては表現者としての<立場>と、像の<自立>の根幹に関する、岐路での切実な選択の問題でもあった。そこで、わたしが採った表現方法としてのモンテカルロ法は、唯一の最高の方法によって一枚のタブローをという固執から、距離を置き自由になることで、制作の速度を加速し、より多くの破片のまっただなかから、直接に多くの作品を産むことを可能にした。しかしそれが必然的に招くことになるだろう小品化への傾向は、創造力の衰弱の一形態でもあるだろうという認識もあったが、ともかくそこに何かを賭けたのである。いずれにしても私にとってモンテカルロ法は自己の表現はもっと多作で自由自在でありたいという意欲と、同時に自己の感性や描くべき対象領域の広さと限界をどうしても見極め知りたいという欲求のふたつが相乗して生まれたものに相違ない。
 そして、たえずモンテカルロ法を意識しながら描きつづけることにより、現在までに、わたしとしてはそれなりに、多種多様の形態の数多くの作品を制作することができたと思う。そして、その方法は年月の経過とともに自然にひとつの手法へとわたしを導いていった。それは簡単に言えば、紙にガッシュやアクリルで、そのときその瞬間に思念されたイメージを、直接ドローイングし、凝視し、そこからすぐさま完成完了への構成意識をはたらかせて、重層的に加筆し、そのまま一挙に圧縮して作品を完成させるものだった。それは偶然や偶発的に発現する有形無形の形象を絵画の構成要素としてどこまでも繰り込んでいくための効果的方法でもあった。これは、変幻自在でありたいというわたしの潜在的な欲望をあらわにし、<差異>表現の可能性と問題点を一挙に増幅させることになった。
 こうして次々と出現するドローイングの作品群(1988-1993年に約3000点)を、自己批評し反省し、全体性との関係で分割分類を繰り返すうち、しだいに流転の淵の全体の眺望と限界としての地平がおぼろげながら浮かびあがってきて、また新たな可能性をもった絵画形象の数々も得ることができた。そして、予想したとおり、モンテカルロ法としてのドローイングの作品群が、しだいにタブローの作品世界に影響し、追いつき、包囲しはじめた結果、タ ブローとドローイングとの間にあった方法上の差異も、手法の相違と対象領域の偏差も、ともにしだいに熔融、混合しはじめ、単に紙かキャンバスか、水彩か油彩かの選択の次元にまで同一化してしま った。
 ところでしだいに判明、確認されてきたことがある。それは、以前には描いたこともない新しい未知の作品をたえず探していくという表現姿勢を、いつも保持しようとしていたにもかかわらず、全体を見通せるようになると同時に、しだいに以前の作品達との反復的類似的要素に支配されてきていると感じられてきたということと、また外殻を壊し表現世界を拡張しようにも、見えない力に支配されて限界が壁のように立ちはだかって来たということだ。求心力ならぬ重力がわたしの絵画世界に充満しているということが判明したのだ。つまり同じところをぐるぐると<循環>しているにすぎないのではないかという思いに支配されるのだ。もうひとつはすべての作品について、描きつつある時、描き終えた時、眼前の作品をとおして、すでに同じような作品を描いたことがあるのではという、いわゆる既視感にしだいにとらわれるようになった。描かれた作品が以前に制作した作品にたいして反復的類似的要素に支配されていることが、事実としてあるからだがそれ以上に、感性的ななにかが飽和点に達したことがそうした<回帰>意識を招くのだろうとおもう。
 その結果、流転の淵のなかで今後どのような抽象絵画を描こうと、限界としての地平と<差異>の不可能性の壁とが立ちはだかり、そこから脱出、逃走は不可能であり、描けば描くほど<反復>や<同一>を招かざるを得ず、結局のところ<循環>して、いつかは必ず<回帰>していく運命だけだ、という思いにつきまとわれるのだ。
 <循環>も<回帰>もおなじ現象の両局面にすぎないのだろうが、無限への自由と無拘束を保証する開放空間として自己規定を与えた流転の淵が、現実としては限界と拘束のある閉鎖空間でもあったことを、制作の場でまざまざと知らされたのである。あえて語るとすれば、全体の認識の獲得と表現の限界の認知とは同根なのだ。このことは、わたしを果てしない自問自答に駆り立て、否応なく立ち止まらせる。そして結局のところ<循環>や<回帰>という現実が避けられないのであれば、モンテカルロ法としての表現はいよいよ終焉させられるべき、なのだろうか。

イメージのトポロジー

 モンテカルロ法としての表現を持続する過程で自然に採用した方法にイメージのトポロジーがある。 トポロジー(位相幾何学)は平面上の図形の変容と変化についての数学の範疇に属するものだが、数学をこえて絵画創造の問題としてもさまざまな示唆をわたしたちにあたえる。ある任意に選ばれたひとつの幾何学的形態はそこに色彩の変更をふくめ、変容的変化を ほどこすことで無数のバリエーションをもって別の類似する形態へと派生、波及していくことができる。これがトポロジーの特性であるが、絵画表現の対象創造の手法として積極的にとらえることも可能だからである。そして多くの現代作家達は意識的にせよ無意識的にせよこの手法(?)をふだんの制作過程のどこかに取り入れているだろうことは簡単に想像できる。
 たとえばわたしが脳裏に浮かべられたある抽象形態のイメージを素描する(この間十数秒で終了する)と同時にほとんど反射的にそれと類似するイメージが連続して浮かんできて、クロッキー帖のそのページの最初の素描のあとつぎつぎと素描されることになる。そしてイメージの発露の停止とともに素描は終了するのだが(思念する作業が続く限り素描はいつまでもおわらない)、描き終わった素描達を一望のもとに観察すればそこにはイメージのトポロジーともいうべき現象が現出することになる。形態学のトポロジーとしては不連続のため破綻してはいても、絵画表現としてはそこに想像力を媒介させることで、それらは可塑的な柔軟性を獲得しさまざまな方向性と拡張性をもって連続しているとみなされるのである。これらはイメージの<発生>の場のことがらであるが、完成した作品が<展開>する場でも同様であろう。そうしてみるといわゆる形態学のトポロジーの概念とは、全き変更と変質を経て、隔てられて、表現としてのイメージのトポロジーは成立していると言っていいだろう。これらは一般的には、相異や類似とよばれる作品と作品の関係の在り方が、イメージのトポロジーの範疇内にある、といっても差し支えないと思う。また、あえてつけくわえるとすると、イメージのトポロジーが成立することは、本来ひとつの画面の静止画像を中心に組み立てるべき絵画がイメージの移動にさらされると同時に、また像表出が一定の水準の持続性を獲得したことを意味していると言っていいとおもう。さてイメージのトポロジーを実際の表現の場で意識し表現しながら確証する経験を最初にもったのはいつだったか。1989年わたしはアモルファス(非晶質な)のモチーフで連作を紙にガッシュでドローイングすることで試みたわけだが、このときイメージのトポロジー的世界の真っ只中で制作をつづけていたのだと思う。イメージのトポロジカルな手法では作品と作品の間隙に微小な<差異>を挿入することでひとつの作品イメージから扇状的に作品数を増大増殖させることができる。またアモルファスという<同一性>の外へむかって少しづつ<差異>を押し進めていくと、アモルファスとは別の領域へとしらずしらずのうちに越境し侵入してしまうことになる。前者は同一概念の無限へと開かれた反復的連鎖としてあり、後者はいわばアモルファスという同一概念が拡張された結果、別の概念に変転してしまったのだ。ここのところを詰めて語るとすれば、わたしはこのとき抽象絵画の制作の経験を通して、<差異>自体が内包していた変容的差異の無限連鎖と、結界で囲まれた連作という小世界を支える求心力としてのコンセプトの崩壊、の両方を確認することができたと概括できる。だからこのとき、反復への嫌悪と自在への欲望といったわたし自身の生来の指向性と、結界を仮装された理念で内側から絶えず支え続ける以外、連作世界の円環的な完結性の自然崩壊は不可避という、ふたつに裂かれた認識に到達直面したともいえる。
 それ以降、イメージのトポロジーによって作品イメージを追究することが制作の日常になったのだが、そうした日々の経過とともにわたしの作品世界とその創造過程が、微妙に変化、変貌しはじめた。それはイメージのトポロジーによって得られた形象を、凝視する過程で、画面全体を把握する遠方からの視線は重層的なイメージを誘発する。つまり先行する形象イメージに対して否定や肯定をしながら、新たな形象イメージが舞い降りて来て、重層的に定着されるのだ。わたしはそれを重層的変換の像意識として把握した。そして、重層的変換の像意識が構成力のファクターとして自由自在に構成に参与、加担することによって、あらゆる抽象形象に対応する構成の力学モメントを手にすることができた。いいかえると、偶然や無意識によって現出した形象をも包括するあらゆる描かれた抽象形象にたいしての絵画表現が、流転の淵の領域内で可能になったのである。それが可能になった理由のひとつは、ひとつの志向性の局面では構成力とは、何処のもの何時のものともいえない形象に対して、確かに見た(ている)、たしかに思い浮かべた(ている)ということを目の前で現存現前している画面のなかで確証させ信じさせるため、いわばリアリティを喚起させ、表現主体の視線へと変換する想像力の装置の力学と言えるが、重層的変換の像意識が構成力モメントと一体となることによって、構成しながら同時にイメージの重層的変換をおこなうという二重性を、創造過程の内部にうまくとりこむことができ、自由自在の表現が可能になったからだと思う。このことの収穫はわたしにとって大きかった。ともあれトポロジー的変容から重層的変換への転換の像意識をこれらの過程ではっきりと得ることができたのだと思う。
 またイメージのトポロジーは批評精神にひとつの視点を与える。人はなぜ、表現において個性や立場を主張しうるのか。こういう愚問をあえて発してみるとき、トポロジカルな想像力が批評の眼へと反転したときの位置から鳥瞰する視線は立場や個性の仮象性や仮装性を暴く。端的にいうとトポロジカルな像意識は作品のイメージやビジョンに対してトポロジカルな別のイメージやビジョンを対置することで作品を包囲し限界を炙り出すからだ。   
 ところでイメージのトポロジーによる創造過程と批評過程との狭間でわたしは産出された作品群を繰り返し繰り返し分割分類することにより統合を試みるうち抽象象形絵画の形態を規定する<構造>に突き当たったようにおもう。それは作品と作品を内部からと外部からと両面にわたって規定する網の目としての<構造>である。わたしはそれを<系列>として把握した。それは抽象象形の絵画世界の全体の海を、網の目のように張り巡らしている実体のような存在だ。あらゆる抽象象形はこの網の目をのがれることはできず、<系列>に添ってあるいは<系列>と<系列>の結節点や特異点のような場所で意味や価値が増大したり縮小する。ともあれ、抽象絵画における形態概念を規定する全体の<構造>が未来からの記憶のようにアプリオリに存在していることがわかってきたのだ。
 イメージのトポロジーは創造力については対象領域の微積分的拡張と増幅を可能にし、批評精神にたいしては全ての抽象絵画を包囲 することでその仮装性や仮象性をあばき、なにものかへの淵へとわたしたちを誘う。

<羅列>から<展望>へ

絵画表現においてわたしの<分裂>はどこからやってくるのだろうか。どうやらそれはクラック(裂け目)のある方向からやってくる。クラックとは、自己及び自己の作品を批判的な眼差しでみつめつつ、照らしだすとき浮かびあがる矛盾面のことだ。言い換えると<分裂>とは、クラックが存在しているということの、耐え難いほどの否定的な感情とともにある危機の意識そのものなのだ。ならばクラックを批判的にみつめる眼の源としての主体とはなんだろう。それはわたしの中にあってわたしの真後ろからわたしを照らす、もうひとりのわたしという他者にちがいない。だから絵画表現でクラックの存在をわたしが意識するやいなや、背後から見つめるもうひとりのわたしの眼は見開かれ、それが原因で、わたしの表現が<分裂>しているのではないかという意識に苛まれる。わたしが<分裂>の意識に耐えられなくなるときがあるとすれば、もうひとりのわたしの眼差しがクラックに集中攻撃を加え、その圧力がマキシムになった瞬間だろう。
 <分裂>はいまもわたしにとって宿痾のように繰り返し襲ってくるが、<分裂>を全く意識しなくてすんだ幸福な時期もあったのだ。初期作品(1968-1971)では未知のなにものかからの求心力にとらわれていた。描かれる自己の作品をなにものかとの一直線の距離によってのみ自己判定し、クラックが入り込む余地がなかった。というよりも背後の人も存在せず、<分裂>を意識することもなかったのである。
 根源的だと思われた未知のなにものかが霧散消滅し、求心力から 解き放たれたとき、わたしの表現モチーフは拡散しどこにもより所が無いまま描く欲望だけが浮遊し、<架空>としてとらえることで描く対象をもとめて彷徨流浪していたのだとおもう。クラックは当然のごとくあらゆる方向から発生し押し寄せ、背後のもうひとりのわたしの眼の光りに照らし出され、それとともに<分裂>の意識が否応なくわたしを侵しはじめた。このときから、わたしの表現には常に<分裂>がつきまとい、<分裂>の克服こそが表現モチーフであるかのような逆立した関係で制作しつづけてきたと言えなくもない。
 求心力が消滅した拡散状況のなかでわたしは、<仮象>としての自己規定を与えつつ、ひとつのスタイルを模造したり、同一モチーフで複数の作品を制作するといった<同一性>に満ちた作品世界によって、拡散に抵抗する方法を選択したものの、永くは続かなかった。なぜなら<以外>の世界とのあいだに深いクラックが生じ、<分裂>したからだ。そうしたなかしだいに<差異>化を表現モチーフの発見の方法の中枢にすえるようになったのは、拡散していく表現世界に向かい合い、引き受け、加担することでクラックを細分化し、モチーフの分散に積極的意味を与え、また試行錯誤をとおして、未来にいつか本当の解決を得んがためであった。いま、<分裂>を意識するときのクラック(裂け目)の軸をいくつか列挙してみる。
 
 (1)自己の作品達を展望したときにあらわれるクラック
 (2)作品と作品とのクラック
 (3)作品内のクラック
 (4)表現意識と作品とのクラック
 (5)こうありたいと理想とする何かとの距離としてのクラック
 
 (1)(2)については<差異>表現する過程で<差異>自体に発生するいわば外部化され積分化されたクラックで、(3)(4)(5)は表現主体の内面にかかわるいわば微分化されたクラックといえようか。当然すべては輪のように繋がっているはずだ。 いずれにしても、ひとつの逆説としてあるのだが、<分裂>は表現情況との不断の緊張関係と自己追究への希求から生じるものであって、弛緩し自己放棄した心からは、自己矛盾も縮小凝固し、背後 の人の眼も光らず、クラックもけっして見えてこないものであるように思う。  
 さてわたしは<分裂>を根底から克服するための場を探すため、<同一>性に固執することや<反復>をできるだけ避け、もうひとつのなにかを求めて絶えず<差異>を創出することで、未知をたぐりよせながら自己の表現世界を創りあげてきたと略歴してもよい。そしてさまざまな表現世界を渡り歩き(そのことがまた<分裂>している世界をつくらざるを得ないという逆説が生じる)、またいつしか抽象絵画の世界に至りモンテカルロ法やイメージのトポロジーという方法などを駆使しながら流転の淵の名のもとで制作しつづけ現在にいたっている。
 しかし、<差異>に満ちた解放空間としておもえた流転の淵のおぼろげながら全体の枠がみえてきて、それらが結局のところ閉鎖空間でもある、という認識にいたった。そして、流転の淵のなかでは何を描こうと、いつもそれはどこからやってくるのかわからないのだが、描かれた作品にたいして、ひとつの既視感覚にとらわれるようになった。自己の作品世界が、なにかが飽和点に達してしまったと感じられるのだ。たとえていえばこれからどんなに抽象象形の世界で<差異>を創りだそうと、結果として、同一の領域を果てしなく<循環>し、結局自分自身を<回帰>するばかりではないか、そんな思いが支配しはじめている。わたしにとって<差異>が<差異>として成り立たなくなってきたのだろうか。あえていえば、このことについての認識自体もクラックとして浮上する。もうひとつある。作品の意味や価値を未来からの記憶のように決定する<系列>の存在が網の目のように張り巡らされていることがしだいに明らかになりはじめ、いかなる抽象絵画作品も絶対的に背後から規定され、そこから逃れることは、先験的に不可能であるかのようにみえてきたのである。そしていままでどおりに破片を<羅列>するという救 済の仕方は見えない壁に突き当たる。同時に、自己の表現世界の全体を統一する<展望>に欠けているため、クラツクを発生させ、<羅列>させた世界が歪曲し破綻する。  
 だがわたしは描くことを止めるわけにはいかない。描くべきイメージは自己の内外に破片となって流氷のごとく淵に押し寄せてきており、これをなんとしても掬いとり、救済したいのだ。そこでわたしは、<展望>を模索し、開示するということを最大、第一の優先の課題とするため、いままでどおり未知の世界を探すという行為とともに、いままで積み上げて来たものを、もういちど解体し掻き混ぜ、そのなかから見失われていたものを注意深くより分けることによって、なにかを始めようとおもう。
 いま抽象象形の絵画世界で網の目のように張り巡らされている構造である<系列>という存在と、今後どんな<差異>を創りだそうと結局のところ<循環>し、<回帰>していくしかないという現実が重くのしかかる。ならば、これらの見えない風と海流にたいして、なおあらたな航海を企てるのであれば、色あせ古びた<羅列>の帆は、<展望>と呼ばれるまあたらしい帆へと、張り替えることが必要だ。では、なにをどのように、<展望>しようとするのか。広い海のまっただなかで、わたしはいま、目をつぶり、夢想する。

百年の孤独

 G・マルケスの長編「百年の孤独」の最終部分で、メルキアデスの羊皮紙にアウレリーヤが自分の運命が書かれた文字を発見、解読する瞬間は、物語りのすべてをここに圧縮して魅力的である。  
 メルキアデスの羊皮紙に自分の運命が書き記されていることを知ったのだ。羊皮紙は手つかずのまま、有史以前からはびこっている草木や水蒸気の立ちのぼる水たまり、人間の足跡を部屋から拭い去ったキラキラ光る昆虫などのあいだに見つかったが、それらを明るい場所まで持ち出す余裕は彼にはなかった。その場で、立ったまま声を出して読み始めた。少しもよどみがなかった。まるでスペイン語で書かれているものを、真昼の目くらむ光線の下で読んでいるようだった。それはごく些細なことまで含めて、百年も前にメルキアデスによって編まれた一家の歴史だった。      (G・マルケス「百年の孤独」)

 ところでここの部分は物語りの展開とは別に、わたしの青春期の 個人的な体験を思いださす。大袈裟なことだが、十代のおわり、わたしは身の回りの全てが抽象という破片でキラキラと輝いているのが見え、それらが自己の内部に押し寄せ、その圧倒的な魅力の虜になった。そしてそれは、人類のだれもが未だ気づかず、だれも完全には表現してはいなく、わたしだけがそれを知っている、と感じられた。青春期を過ぎ去って振り返れば、だれだってひとつやふたつある高揚したアドレッセンスの一齣にすぎないのだろうが、わたしにとってこの体験は、生涯の生き方を決定するひとつの要因として働いたとおもう。それは絵画の形で必ず表現可能であるかのようにも感じられたからなのだが、そのときわたしがすぐれた表現者であったなら、短期間にそれらをなんらかの絵画表現のかたちで現実化したであろう。しかしたいした才能もなく、また絵画を一生続けていこうという選択をやっとのことでしていたわたしにとっては、そのことの表現はお手上げ状態であり、まったくの手探りで始めるしかなかった。
 ところで、抽象絵画というふるびて手垢にまみれた言葉を他者に語るときは、いささかどころか大いに気恥ずかしい思いがするのだ が、わたしにとってこの言葉は内実はその時々の変化はあるものの、いまもって謎めいて新鮮に感じられる。わたしがいつもこの言葉をくりかえすとき、抽象絵画という世界の全体、抽象象形のイメージの全体を意識してのことなのだが、それがまだまだわたしにとって未知と未明にあふれて感じられるからだと思う。いいかえれば、現在までの美術情況で、抽象絵画の世界が本質的に完全な形で表現達成されたとは言いがたいし、むしろまだ何も真に描かれてはいないし、いやむしろすべての表現者が、あと一歩で何かにおよばず取り逃がしてしまっていると、わたしにはある予感をともなって思えるのである。ゆえに美術史上の成果にたいする、自己が思い描く理想 としての抽象絵画の世界との、落差やずれを自己表現によってなんとしても埋め、あるいは確認したい思いにもとらわれるのである。しかしまた、これらのことについては、わたしだけのことではなく、現在、抽象絵画を試みている数多くの作家達もおなじ思いを抱いているだろうことは想像に難くはない。いまにしておもえば青春期にキラキラと感じられ、わたしを苦しめたある現実体験の断面は、わたし個人の体験を越えてその落差やずれの間にこそ、時代共通の問題として、隠され潜んでいるのかもしれない。 
 それにしても抽象絵画とは奇妙な生き物だ。そいつは名のないたった一匹の生き物にすぎないのに、捕まえようとすると千変万化と姿を変え逃げようとする。確かに捕まえたとおもった瞬間、そいつはするりと体をかわし、あとにのこされるのは、わたしがかってに夢想したにすぎない姿の、影のように脱ぎ捨てられた衣だけなのだ。わたしは何度そいつを捕まえたと錯覚し、何度取り逃がしたことか。
 さて現代美術は絵画に関していえば、反絵画であれ反芸術であれ、窓のなかの平面としての絵画への疑念、美術史上のコードとしての絵画概念自体の転換や改変の過程をへて、拡散し尽くしたのちの、パラレルな情況を現在点としている。また抽象絵画は近代絵画百年の当初から純粋抽象への志向性を孕んでいて、いやむしろ現代美術に至るいたるところで、絵画の歴史の本体が抽象的方向への志向性を主流としている感がある。近代絵画が現代美術へと進展していく過程で抽象絵画もその姿を明確にし、展開する場をひろげ、多様な個性や作品世界を出現させたといっていいだろう。しかしまた現代美術が拡散した後、全体としてパラレルな情況を呈している現在、たとえば抽象絵画という世界は、美術史のなかでの前衛としての求心力を前衛という言葉の死語化ととも完全に失い、概念自体も現実に世界中にあふれる作品群に適用しようとすると、あまりにもあいまいにすぎる。わたしにとっても、めざすものが、絵画のなかにあって絵画の全体の意味を解消解体し全くの未知へと運ぶものとして感じられ、絵画という形式をたえず問いかけなおす作業をしいられた。
 にもかかわらずわたしは、これまでの長い過程のなかで、自己を最も救済し、表現しうるものとして、やはり絵画という手段を選択し続け、また抽象絵画とは何か、抽象絵画は現在性としてリアリティをもちうるのかといった自問自答を、果てしなく繰り返してきたように思う。そして、いつもそうしてわたしを繋ぎとめたもの、掴まえようとして苦しんだもの、いまや流転の淵として制作の表現意識の一部分となっているもの、これらすべてはあの青春期に垣間見た一瞬の幻影に由来しているとおもう。  
 その正体は何であったのか、いまとなっては判然としないが、現在わたしが当面し絵画表現の対象としようとしている現実が、その正体の一側面であるとするならば、わたしが青春期に垣間見た白日夢を、いまになってようやく、絵画の側から多少とも救済する機会を得たことになるのだろうか。 
 さて、わたしの目指しているものが、絵画史や現在の美術情況にたいして、落差やずれを意識せざるをえないとするならば、当の絵画史や美術情況のどこに楔を打ち込み、どの地点で転倒させようとするのか。そんな生真面目な問いを発する以前に、隠されたメルキアデスの文字は、時を越えてわたしたちの身の回りや内部のあらゆる場所に、破片となってキラキラと輝いて流れつき押し寄せて来ているはずだ。解読するための秘法など、特にないだろう。わたしは、わたしが見渡しているとおりのものであるこの世界のなかで、その現実にたえず目覚めようとするだけである。

-後記-


〇今号は、現在のわたしの表現の方法や、抱えている問題意識をできるだけ客観的に記述しようと努めた。それがうまくいったかどうか
分からない。むしろ書き記すことで矛盾もいっぱい露呈してきたように思う。抽象絵画表現の未知の領域はまだまだ広く、語り尽くせぬ思いがますます強くなりつつある。当然のことにわたしの本業である絵画制作のなかでこそ、それらは解決していかなければならないだろう。
〇さて、この小冊子が偏見や独断に陥らないためにも、他者のまなざしを必要としている。次号は日本の現代美術の情況や作家論を試みてみたい。
〇この小冊子は無料配布しています。当方まで、はがきか封書で申し込んでください。残部がある限り送料当方負担で郵送します。
(宮本記)
注)現在この小冊子は在庫がないため配布はしていません。2022.11.27