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「月兎と竜宮亀の物語Ⅱ永遠編」第八章顔のない人

第八章その一
メルキアデスは竜亀が竜宮姫と向かい合ったとき、不思議なことにその光景が見えました。二人の間で何かの閃光が走るのを見ました。思わず瞼を一瞬閉じました。だが瞼を開いて見ようとした時には外の世界は移り変わっていました。過去へと時間を遡っていたのでした。次々に場所を変えながら外の光景は時が逆さになって進んでいくのです。太陽は昼から朝へそして夜へ、人々は逆さに歩き、車は逆に進み風は逆方向に流れ、木々の生長も大木から小さくなり風景は逆に進んでいきました。メルキアデスは自分がはるか過去の世界へと戻りつつあることを感じていました。その外の光景をぼんやりと見ながら、あることを考えていました。それは顔の無い人とは竜亀に違いないということでした。陸の竜宮の島の崖下の穴の住居で休んでいると、銀嘴のセキレイが飛んできて、「イルカのトリトンさんが 南の竜宮のある島が変だ なにかあったかもしれない と言っていたよ」と告げたのです。メルキアデスは北の岬まで行くと、ちょうどトリトンが漂流していた人を背中に載せて海岸まで運んで来ていたのでした。メルキアデスは意識がないその人を背に担いで、トンネルを抜け泉のところまでやっとのことでたどり着いたのでした。泉の水で体を拭き、自分の衣を引き裂き、まるで炎に燃えつき鼻や目や口がえぐられたようなその人の顔に巻きつけたのでした。その人が顔の無い人でした。『竜亀さんが顔の無い人なのか 顔の無い人が竜亀さんなのか どういうことだ』と思うのですが考えがまとまりません。『このことは 長い時間をかけて考えなくてはならぬ』と思いながら、いよいよ自分はどのような過去にもどるのか、不安ともう決して自分の知っている世界と永遠に別れ二度と戻ることはないのだということの言い知れぬ悲しみが襲ったのでした。周りの世界はメルキアデスの生まれた頃の時代まで逆のぼりました。自分の記憶にある屋根に風見鶏のある屋敷や修道院が一瞬映し出されました。それからますます移り行く速さが増していきました。どこか広大な土地で戦闘をしている光景もありました。小さな丘で人が十字架にかけられている光景が見えました。ギリシアのオリンピアの宮殿も見えました。海を渡る大きな船が何艘も見えました。突然、海が引き裂けてその間を人々が渡っていく光景もみえました。巨大なピラミッドやスフインクスを大勢の人が建造している光景も見えました。それでも時が戻っていくことを止めませんでした。そうして最後にメルキアデスは突然に大きな岩の上に立っていました。周りは鬱蒼とした森が続く細長い島でした。メルキアデスは石板から下りてその石板を左手で抱え右手で杖を持ち、世界を見渡していました。しかし抱えているはずの石板と右手で握り締めて持っているはずの杖は気がつくと消えていました。メルキアデスは鬱蒼とした森の島の山の頂上の巨大な岩の上に何も持たずにたったひとりで佇んでいるのでした。

第八章その二
竜亀は再び意識が戻ったとき自分が平らな場所に寝かされていることに気がつきました。激痛が走る顔に何かが覆いかぶさったような感じがしました。そしてその覆いが取られると顔の表面に何かが塗られることを感じていました。そうしてふたたび今度は顔全体に布切れがぐるぐる巻きにされたような気がしました。焼けるような熱さを感じていた顔がひんやりとしてきて痛みも急速に消えていくようでした。声が聞こえてきました。「貴方は私の声が聞こえますか」。竜亀は声を出そうとしましたが、声どころか唇の感覚さえありませんでした。しかたなく自分で首を動かして小さくうなずきました。「ああ良かった 意識はあるのですね」と声が聞こえました。ぼんやりと知っている声だと思いながら、再び竜亀は意識を失うのでした。竜亀が再び意識を戻したのは、夢の中でした。自分でも夢の中にいると感じていました。はるか昔、自分が卵の殻が割れて必死に海面に浮き上がり、海岸に向かって泳ぎ、砂浜に上がり、再び他の亀たちとともに海に引き返したことや、海で遊んでいるところを透明な玉に追いかけられて逃げ惑いながらもとうとうあきらめて玉と一緒に行動するようになり、また大きなクエに丸飲みされ甲羅の一部が欠けたことやいつか玉に案内されて海の中を泳いでいた竜宮の使いの魚と出会い、竜宮の門をくぐり自分が人の姿になって驚いたことや、そこで人の姿になっていた金顎のカジキに出会ったことや、彼らと竜宮と海を行き来して楽しく遊んだことを思い出していました。竜宮姫に紹介された女性は人に変身していた海亀のベアトリスでした。結婚して子どものアルファと竜宮で暮らしたことなども思い出しました。そうしてそれから後のことも全て思い出していました。思い出すというより過去の生きてきたことの全てをいわば映像で繰り返したのでした。そうしてそれまでの全てのことを繰り返すと自分は竜宮の亀であったとはっきりと意識するのでした。そうして再び深い眠りの底に落ち込んでいきました。今度は自分がよちよちと四つんばいで平らな場所を進んでいました。泉のところで喉を潤していました。目の前には女の人がいました。その横に男の人がいました。そうしていつか立ち上がり、森の中を走り回り、一人の女性と手をつないでいたかと思うと、小さな子どもを抱いていました。そしてめまぐるしく景色が動き、小さな泉のところで喉を潤していると、杖の老人が現れました。彼を見て、「メルキアデスさんどうしたのですか」とおもわず声を出したのでした。そうして竜亀は再び意識を取り戻したのでした。

第八章その三
竜亀は目を開けようとしましたが開けることができません。顔に何かがかぶさっていると気がつき、顔に手を伸ばしました。そのときかわいらしい声が聞こえました。「顔には包帯がありますよ」。竜亀はそれが銀嘴のセキレイの声だとすぐに分かりました。でも耳に聞こえるというより頭に直接響いてくるようでした。体を起こそうとしましたが重くて動くことが出来ません。再び声が聞こえてきました。「私の声が聞こえますか」。竜亀は小さく首と顎を動かしました。「ああ良かった でも動いてはいけません 貴方の体は弱っています ああ でも欲しいものあったら言ってください ええ あの お水が欲しかったらうなずいてくれますか」。竜亀はうなずきました。「あのう 私は小鳥なので いまから 貴方の口元の包帯を少し開けますからね 口を大きく開けてね」と声がして何やら顔の上に何かが乗るような気がしました。そして口元の包帯が開かれて新しい空気があたるような気がしました。竜亀は口から新しい空気を入れると口を大きく開けました。「今から上から流しますよ」と声がして小さな滴となってぽたぽたと竜亀の口につめたい水が落ちてきました。そうして竜亀は喉を潤していきながら、自分が過去に何をして今は自分が何処にいるのかと次第に分かってきました。そして全てが不明ながらも全体の事柄や過去のことを思い出して、いくつもの事柄を組み合わせて自分が何者であるかとうとう悟ることになるのでした。『私が顔の無い人だったのだ 私こそ顔の無い人だったのだ 竜宮姫は 今は 何処にいるのだ』と心の言葉で語りそして問いかけるのでした。そして竜宮で竜宮姫と出会い目の前で二つの宝玉が合わさり閃光が走ったことや竜宮全体を支える洞窟が突然崩れ、海水が押し寄せ海に投げ出されたことや、いつの間にか海の中で竜宮姫に手を引かれ海面まで上がろうとしていたことや、そして最後は自分が海面に浮かび上がるのとは逆に、竜宮姫の腕に力が無くなり自分にすがりつくようになり、いつしか手を放し海底のほうへと沈んでいくことを思い出し感じていました。竜宮姫との最後の別れでした。竜亀はそのことを思い出すと両方の眼から涙があふれました。無いはずの眼球の奥の眼窩から涙のような液体が流れだし包帯を濡らすのでした。心に響く竜宮姫の最後の心の言葉が耳に残っていました。「永久のお別れです さようなら~」。竜亀は何度も心の中で繰り返していました。『永久のお別れです さようなら~ 永久のお別れです さようなら~ 永久のお別れです さようなら~ 永久のお別れです さようなら~』。

第八章その四
メルキアデスは、自分がいま何処にいるのかわかりませんでした。しばらくしてようやくそこが何処であるか分かりました。山の頂の岩から降りて道なき道を歩きました。目指すは山の中腹でした。鬱蒼とした森を抜け中腹にある洞窟を見つけると、メルキアデスは枯れ木を見つけて、二つの木をこすり合わせ火を起こしました。そして松明を持って洞窟の中に入るのでした。洞窟の奥ではコウモリが天井にびっしりとひしめき合っていました。洞窟の右側の奥には表面がつるつるした赤い岩壁がありました。その下に消えたはずの杖と石板がありました。メルキアデスが石板を取り上げようと石板の表面に触れると光る文字が現れました。メルキアデスはその文字を声に出し読み始めました。それはメルキアデスだけが知っている古代の文字でした。「私たちから メルキアデスへ いま 貴方は8000年の時を超えてこの文字を読んでいます 私たちは貴方がここにいつか現れることを予期していました これからの貴方の人生はこの地上で定められた絆とともに歩んでいかなくてはなりません これから貴方はこの地上でこの惑星の人とともに生きていくでしょう この惑星で貴方が将来ほんとうに人の子として生まれるまで生きることが出来ます 貴方はこの惑星で神と呼ばれるでしょう しかし貴方は神でありません 貴方の使命はこの惑星の歴史を塗り替えることではありません でもしかたなく貴方が関わらなくてはならないことがおきてしまいます 貴方にもどうすることもできません そのときは時の流れるまま この惑星の天変地異のまま運命にしたがうのです この石板と杖は私たちがここに置きました この宇宙を彷徨うこの石板と杖はその使命を終えたとき消滅します それまで杖と石板とともに生きなさい まず地上で四方に飛び散った四つの玉を捜しなさい そうしていまから2000年後にこの洞窟の近くでひとりの人に渡しなさい 私たちもまた玉を追いかけて宇宙をさまよっています いつか貴方たちの前に私たちは姿を現すことになるでしょう」。読み終えると光る文字は消えてしまいました。暗闇に慣れてきたメルキアデスは傍らに落ちている大きな六角の紫の水晶を手にとってその鋭利な先端でその赤い岩壁に自分だけが知っている古代文字で文字を記したのでした。『私から私へ いつかこの文字を読むことになる私へ 貴方がこの文字を読むとき私はこの世に存在しないであろう・・ 貴方は再びここに来るであろう・・』と。

第八章その五
竜亀は横になったまま何日も過ごしました。銀嘴のセキレイから水のほかに何か欲しいものがあるかと聞かれ、そのたびにうなずいていたのでした。でも食べ物は食べられてもしゃべることも見ることも出来ませんでした。自分の指で顔を触って耳も鼻も無いことがわかりました。ただ口腔や鼻の穴から息をすることが出来ました。歯が゙なくても舌があるので食べることが出来ました。でも声は出なく耳も聞こえるというより銀嘴のセキレイが語るときの心の声が聞こえてくるだけでした。竜亀はベッドで起きあがることが出来るようになりました。声に出すつもりで銀嘴のセキレイに心の声で問いかけました。「メルキアデスさんは今何処ですか」。銀嘴のセキレイは驚いて、「しゃべれるのですか それよりメルキアデスさんのことをどうして知っているのですか」と言いました。竜亀はふと、「今度の満月はいつだろう」と聞きました。銀嘴のセキレイが、「今夜あたりですよ」と答えました。竜亀は、『もうそんなに日がたっていたのか これはいけない早くしないと』と思うと、「時は待たない 急がないと 樹海の森の小屋に行って伝えてください メルキアデスさんと竜亀さんと二人で浦島に行くように伝えてください 亀島の銀蝿王さんに会って伝えるよう頼みなさい もう羽は生えているだろうから」と言いました。銀嘴のセキレイはきょとんとして、「どうして皆のことを知っているのですか」と聞きました。竜亀は、「いいから早くしなさい 時は待たない 急ぐのだ」と再び言いました。銀嘴のセキレイは顔の無い人である竜亀を案内して泉のところを通り洞窟の入り口まで案内すると、一目散に亀島の方向に飛んでいくのでした。竜亀は見えないので手探りしながら洞窟を通り細いトンネルをやっとのことで抜け、北の台座の下まで来ることが出来ました。竜亀は、『この台座の目的が分かった 私をここまで連れてくるための目印だったのだ あるいは私が未来に飛び立つための跳躍台のようなものなのだ』と思いました。そうして、『竜宮姫も もしかしたら私も 明日になればいや今夜のうちにこの世から消えてしまう 竜宮姫がもし海底でまだ生きているなら それまでに探さないと 間にあうだろうか 私は人になんかなりたくはなかったのだ ほんとうはいつまでも竜宮姫と一緒に竜宮に居たかったのだ どうして私は竜宮を去ってしまったのだ 私こそ馬鹿だった 取りかえしのつかない過ちをしてしまった』と後悔するのでした。満月が輝き始め時間が過ぎていきました。竜亀は目には見えないのに体の全身が天上の満月から月光を浴びているのを感じていました。満月から見られているという感覚がそのまま時の針が進んでいくことのように感じていました。

第八章その六
台座の前の石畳の円が刻まれた場所で待ち続けました。何かが前方で動く気配を感じました。竜亀はそれが自分自身だと分かりました。近づいてきて前方の自分が今の自分のほうに宝玉を差し出すように感じました。今の自分には分かっていました。自分が受け取ろうとしても受け取ることが出来ず、もう一人の自分は引き返すだろうということを。でももし本当に宝玉を受け取ってしまったら一体どうなるのだろうと言い知れぬ恐怖を感じておそるおそる手を出しました。でも宝玉を手にすることは出来なかったのでした。もう一人の自分が引き返しメルキアデスとともに消え去ったからでした。竜亀はやがて自分が光の玉に包まれているように感じました。そして体全体が浮き上がり台座に上ると一気に空高く飛び上がっていきました。竜亀は目が見えるようになりました。包帯はほどけ落ちて自分が何故かはっきりと人になったような気がしました。そう感じた瞬間に竜亀は海中へと落ちていきました。竜亀は深い海底へ泳いで潜っていきました。竜宮のある場所へと泳いで行きました。でも竜宮の島は崩れ落ちて跡形もなくなっていました。泳ぎながら竜宮姫の存在が伝わってきました。泳いでいくと竜宮姫は海底に横たわっていました。かつて竜宮で見たときの美しいそのままの姿でした。竜亀は竜宮姫が竜宮の使いの魚の姿を想像していたので驚きました。『姫様も もしや本当の人になったのか』と思いながら近づきました。心の声で語りかけました。「姫様 竜亀ですよ いま私はここにいますよ」。返事はありませんでした。竜宮姫は安らかな表情で眠っていました。いや死んでいました。竜亀は竜宮姫がすでに息絶えていると気がつくと、いつものように、「竜宮に連れ行けば貴女は生き返りますよ さあ私の背に乗ってください」と思わず言ってしまいました。だが自分がもうすでに人であり、亀でもなく甲羅もないと気がつくと、このときを逃したら永遠に後悔するだろうと、さらに、「竜宮姫よ 私は貴女を愛している 私は貴女と愛している」と心の言葉で何度も何度も語りかけました。そのとき閉じていたはずの竜宮姫の瞳がかすかに開きました。そうして竜亀の瞳を見つめるのでした。何か一条の光が竜亀の瞳に刺し入るのを感じました。眩しくて竜亀は目を閉じました。それは一時のようであり多くの時間が流れたようでもありました。その時、どれほどの時間が流れたのか誰にも分かりません。なぜならそのような時の流れを計る術はこの世には無かったからでした。そうして竜亀と竜宮姫は白い光に包まれたままこの世から消え去ったのでした。そのとき同時に、銀蝿王も金蝿王も銀嘴のセキレイもメルキアデスの秘薬を飲んで長生きしていた全ての人もこの世から消え去りました。

第八章その七
2010年の1月1日、小さなニュースが世界中に流れました。世界の各地で光る玉が空中に現れ空の彼方へ飛び去っていったと。一部の人はUFOと騒ぎたてました。大富豪のローランド家の長老ヘッケルとカールが亡くなったことも伝えられました。本当は消え去る前のヘッケルが家族に宛てた遺言があり、その内容は自分はゼットという名でと真相を簡単に明かしたうえに、自分も死んだことにして欲しいということでした。世界各地で人が急に消え去る現象もあり、人々は騒ぎました。メルキアデスの秘薬を飲んで長生きしている人たちでした。急に衣服だけ残して消え去ったからでした。また大英博物館の地下倉庫の巻物が盗まれたことや何より人々を驚かしたのはクレオパトラの全身像が消え去ったことでした。深夜に巡回する守衛の前で消え去ったのでした。このことは世界中に大きなニュ-スとなって駆け巡りました。UFOの到来や宇宙人の仕業だと騒ぎ立てる人もいました。ただしばらくすると人々はそれらのことを忘れ去ってしまうのでした。クレオパトラの彫像については最初からそんなものは無かったのだと主張する学者も現れて、なんとなく世間の人もそんなふうに不思議なことに考えてしまうのでした。そうして2010年の世界は始まったのでした。でも2009年の世界とたいして変わらないものでした。しかしゆっくりと確実に世界全体がより大きな波となって動いていきました。波の底辺で動く真の力には誰も気がついてはいませんでした。その力が世界に確実に目に見えるようになるまで、およそ50年の年月が必要だったのです。その間にいろんなことがありました。ある大きな列島では巨大な地震があり、近くの原子力発電所が津波で破壊されその地域が汚染されました。激しい原子力発電所への反対運動がおこりました。でも列島の人々は原子力発電所への依存を全て止めようとはしませんでした。それから相変わらず世界各地で紛争が起きました。海底の資源を巡って戦争も起きました。20世紀よりも21世紀のほうが世界は不安定な姿になっていきました。科学技術の発展は人々の生活を便利にするとともに全体としては決して全てに幸福をもたらすようなものではなかったのでした。いくつかの経済改革や政治的な交渉によって紛争を解決しようとしましたが、全てはより混迷や混乱を招くばかりでした。便利さと繁栄と貧困と戦争や紛争がまぜあわせられ、国家同士の対立がいたるところで起きました。でも全体としてみれば食料問題は少しずつ解決されようとしていました。問題は人の心の問題でした。神への信仰は無力でした。

第八章その八
話は2010年のはじめに戻ります。2010年1月1日の未明にローランドの長老ヘッケルつまりゼットが消えて、息子のカールも亡くなってしまいました。ローランド家は巨大な産業資本の頂点でしたが、全ての権利をケントが引き継ぐことになっていましたが、ケントは事業には興味がなく、その後、経営は理事たちに全て任せ多くの株を売却して筆頭株主でありながら、莫大な財産を遺産相続されても、どうしていいかわからず、重役たちに全て委任することになります。巨大企業のためトップは不在でも企業は健全に経営維持、発展されていくのでした。1月2日、ゼットとカールの内輪だけの葬儀が終わり、ケントはシーラと二人でローランド家の大きな居間にいました。そこへ執事のヨシダがやってきてひとつの封筒を渡しました。「葬儀が済んだら渡すようにとヘッケルいえゼット様から貴方へ手紙をお預かりしていました」と言って差し出しました。ケントは読み終わると首をかしげて、「これはどういうことだろう」とシーラに渡すのでした。文面はこのようなものでした。『ケントよ そしてそこにいるかもしれないハフナー家のシーラへ 今これをお前たちが読むときは 私もカールもこの世にいないだろう このことを予期してお前たちに伝えたいことがある 不思議に思うだろうが ターレス・オルペウスさんからのメールによる伝言だ 今年になって宇宙の彼方からメッセージが届く それは メルキアデスは過去に行ったのか という問い合わせのメッセージだ そのときに 宇宙の彼方に返事して欲しいのだ メルキアデスは確かに過去に旅立ったと お前たちには不思議で不可解なことだろう でもこれは決められたことなのだ もうすぐお前たちのところに使者かやってくる 彼らにそのように伝えてほしいのだ それからケントよ 会社は全て他人に任せたまえ しかしお前が引き継いだ財産はいつか必要とする人が必ず将来現れる 今分からなくても お前がその人のためなら全ての財産をつぎ込んでもいいと思える人だ その人が将来この世界を救うのだ このことはシーラとお前だけの秘密としておきなさい そしてこの手紙も誰にも読まれないように廃棄しなさい』。シーラとケントは黙っていました。ケントはつぶやきました。「ほんとうに うちの爺さんは最後まで謎だらけだ 死んだ後でも謎だ それにターレスさんは携帯も満足に使えないはずなのにメールを送るなんて」と言うとシーラは、「ケント あのターレスさんもメルキアデスさんも突然消えて おまけにクレオパトラの彫像も消え 不思議なことだらけ もう不思議なことは起こらないだろうと思っていたのに続きがあるなんて あのドアから使者でも実際に現れたらどうするつもりよ」と言うのでした。そのときドアが開いて執事のヨシダに案内されて三人の人がやってきました。一人は護衛で二人は政府機関の人物のようでした。

第八章その九
護衛の人を立たせて二人はケントの勧めでソファに座りました。一人は国連の諜報機関の人だと名乗りました。もう一人は国際的な天文学者でメイン博士と名乗りました。まず諜報機関の人が言いました。「私たちの調査機関は長い間 ハフナー家やローランド家やメルキアデスという人物について調査してきました もちろん極秘に行ってきました いや誤解しないで下さい あなたたちが犯罪者だからというのでは無いのですよ メルキアデスつまり怪人メルはピロリ伯爵との関係もありますが あなたたち両家との関係に不可解さとどうも不自然なつながりがあると メルキアデスという人物を調査してきました でもメルキアデスは突然に世界から消え去ったのです 宇宙探査衛星を使っていつも監視していたのですが 昨年末から足取りが消えてしまったのです それ自体は特に不思議はありません 何度も以前から同じことがありましたからね」と言い終わると隣の天文学者に発言をうながしました。メイン博士は差し出された水を一口飲むと言い始めました。「今年の1月1日にシリウス星から天文台の電波望遠鏡に電波が届いたのです 解読に時間がかかりましたが 解読すると画像に埋め込まれたメッセージでした」。そういって一枚の紙を差し出しました。それはメルキアデスの写真でした。額の辺りに文字が埋められてありました。ラテン語でした。シーラが思わず言いました。「メルキアデスは過去に行ったのか」。メイン博士は言いました。「そうです このことの答えを知りたくてここへ来たのですよ」。シーラとケントは顔を見合わせました。ケントが黙っているとシーラは、「ええ メルキアデスという人は確かに私たちと関係があります でも今はこの世界にいません なぜか以前に会ったときに過去の世界に行くと言っていましたから 今は過去の世界にいるはずですよ」と落ち着いて言いました。メイン博士は、「そうですか 貴女の言ったことは今の私たちには理解できませんが とりあえずそのメッセージを画像に埋め込み暗号で送り返すことにします 私たちは宇宙の彼方からメッセージが届くなんて 人類の歴史上の初めての体験です でもこんな奇想天外のことを発表するかどうか 我われの内部で検証することになるでしょう 国連に報告すべきかどうかも迷っているのですよ 全ては誰かの手の込んだ悪ふざけかと 調査もしているのですよ」と笑って言いました。「それから私たちがここに来たなんて口外しないでいただきたいのです」と付け加えました。ケントは、「もちろんです」と答えました。そうして三人は去っていきました。

第八章その十
執事のヨシダが入れ替わりにやってきました。ケントは、「あの二人は本物ですか」と問いかけました。執事のヨシダは、「ええ本物ですよ 事前に調査しました 我われのことに興味があるようでね」と微笑んで言いました。執事のヨシダが部屋を出ていくとシーラは、「誰かの悪戯だとしても手が込んでいるわ 宇宙天文台に電波を送ることなんてとても出来ないわ ハッカーがやったにしてもどのようにしたのかしら」と言いました。ケントは、「だから シーラ ここから十光年先に知的生命体がいて メルキアデスさんのことを知っていて 過去に行ったのか知りたがっているということだよ」と言うと、シーラは、「じゃまるでメルキアデスという人は 宇宙人ということね 馬鹿馬鹿しい」と言うので、ケントは、「そんなことは言ってはいないよ でも メルキアデスやターレスさんは尋常じゃなかったよ どうも瞬間移動もやったみたいだし 魔法使いより宇宙人としたほうが合理的だよ それより神様ということになるのかい」と言うとシーラは黙ってしまうのでした。しばらくしてシーラは、「時間は未来へ向かって進む 私たちに出来ることは 将来そのシリウス星の知的生命体というより宇宙人が本当にこの世界に現れるのを待つことね それともあのメルキアデスさんとターレスさんとやらもひょっこりここに現れることになるかもね」と言うとケントは、「でも ヘッケルいやゼットの爺さんの手紙にある通り 誰か本当にこの世界を救う人物が現れるのだろうか」と言いました。シーラは、「本当にそんな人が現れたら ケント 貴方がその人のために全財産を出して その人を助けてあげなさいよ」と言いました。ケントはシーラのほうを向いて、「それにはシーラの助けが必要だ ね 僕たちは結婚したほうが 良いと思うけど」と笑って言うのでした。シーラは、「そんな人が本当に現れたら 貴方と結婚してもいいわ でも私はその人を愛してしまうかもしれないわよ」と言いました。ケントは、「約束だよ ああ でもその人との三角関係か これは複雑だな アハハ」と笑って言うとシーラは、「あら本気にしたの 貴方はともかく そんな人がこの世界に現れたらいいわ まだ世界にも希望があるということね」。「でも あのターレスさんみたいな人だったらどうするの」。「いま思うと海亀いや陸亀みたいな顔だったわ」。「陸亀と海亀の顔に違いはあるのかい」。シーラは、「陸亀の顔のほうが好きだわ」。ケントは、「やはりターレスさんのことを好きだったのだ」。シーラは、「アハハ アハハ」とお腹を抱えて笑い出しました。そうして二人はゼット所蔵のブランデーを飲みながら陽気に談笑するのでした。暗い葬儀の気分からやっと開放されて明るくなった二人でした。