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「月兎と竜宮亀の物語Ⅱ永遠編」第七章竜宮姫

第七章その一
鳥打帽の老人に向かってメルキアデスは、「この小屋全体が異次元の世界になるのです  ほんの一時のことですが 外観は変わりませんが 用心のために誰も近寄らせないようにしてほしいのです 金蠅王や お前さんにも頼みたい 一緒に帽子の上で見張っていておくれ」と言いました。そうして小屋の中は竜亀とメルキアデスだけになりました。メルキアデスは、「さあ まず本を整理しなくては でもそんな時間もない とりあえず<悠久の間>を作ることが先決だ」と言いました。そして小屋の外に出ると、杖で小屋の周りの地面をなぞるようにして円を描きながら呪文を唱えました。「全て始まりは闇 闇から光は生まれ時は光の僕 時は闇の子なり 我が描く円の中にこの世の光は 決して入ることかなわず 円の中の時も外に漏れること許されず アルファでありオメガであるこの杖に従うべし」。言い終えると小屋は白い光に包まれました。メルキアデスは杖を持ったままドアを開けると中に入っていきました。外から眺めると白い光は消えましたが小屋全体は薄い闇に包まれ、まるで廃墟のように見え、その中に人がいるようにはとても思えなくなりました。小屋の中では明かりが無いにもかかわらず白い光に満たされていました。竜亀は急に部屋の中が輝いて眩しくてしばらく目を開けていられませんでしたが、メルキアデスが入り口から戻ってくると、「ここが<悠久の間>ですか 竜宮に居るときと逆のとても軽くなったような気分がします」と言いました。メルキアデスも、「私は竜宮の中の気分とやらは知りません この部屋もこうして中に入るのが初めてなのです」と言いました。竜亀は、「例の洞窟の壁画の模写とやらも持ち込んで どうしようというのですか」と聞くとメルキアデスは、「あの壁画は私が描いたものですよ いや過去の世界に行くことになる私が将来描くのですよ 奇妙なことですが」と答えました。竜亀は驚いて、「この世は不可思議なことだらけですね でもそうだとしてそのことをどうして知ることが出来たのですか」と聞きました。メルキアデスは竜亀に改めて向きなおると、「時間はたっぷりあります この身動きもとれないほどの本をどこかに積み上げて テーブルと椅子を真ん中に用意して酒でも飲みませんか」と言いました。竜亀も笑って、「しばらくは騒がしかった これからは貴方と二人で人間の男ふたりが一日中顔をつきあわせることになるのか かつての神亀島の時のように」。「そうですとも 酒でも飲まなければやりきれない」。

第七章その二
<悠久の間>で二人は、テーブルの前に腰掛け、あるいは立ちあがり歩きながら書物を読み、ときおり読むのを中断して、対話するのでした。多くは同じ本を読み、お互いの意見を交換し議論もするのでした。つまらないと思った本は別の場所に置き、良い本はお互いが薦めあいました。でもメルキアデスから竜亀が薦められるほうが多いのでした。メルキアデスも、この100年間まとまって書物を読みふけることも無かったので、この100年間については、文明の知恵はメルキアデスの予想をこえて、はるかに広範囲になりまた科学技術などは想像を超えたものでした。科学の専門的なことは、メルキアデスでさえやっと理解できるものばかりでした。それほど近代から現代へと文明は急速に発達し発展したのでした。それでもメルキアデスがまず本を読み理解し、そして竜亀に解説することで竜亀の知識や理解はメルキアデスという良き指導者の助力で、急速に現代の知識というものを理解し吸収出来たのでした。科学や哲学やあらゆることに理解を深めていったのでした。でも竜亀にはどこか理解できない事柄も多々あったのでした。とりわけ音楽や美術などの芸術的なことや文学などでした。なぜなら竜亀は人として生まれて来なかったがために、人の心を表面的にしか理解できなかったのでした。外見は人間でも、人の生活を過ごしてこなかったのでしたから当然のことでした。メルキアデスも途中でそのことに気がついて、どれほど竜亀に知識を伝えようにも限界があることを感じてしまいました。竜亀も当然そのことに気がつき、自分はどんなに努力しても生まれが人でない以上、人の心をもって人の世界を理解できないことの自分の限界を思い知るのでした。竜亀はメルキアデスにとうとうこんなことを言い出すのでした。「メルキアデスさん 私は本当に人になったにせよ 私の心は以前の亀と変わらない そして亀として生きてきたこの心はどうしても消し去ることは出来ない そして人の世界で育ち生活するということを決定的に欠けている これでは 私がこの部屋でいくら多くのことを学んでも 心に大きな空洞を抱えたままだ 顔の無い人に出会ったところで 私は何を伝えればいいのだ 私の知識なんて 本当に役に立つのだろうか」と告白するのでした。メキアデスはメルキアデスで、『いまや世界は私の及びもつかないことだらけだ でも人の考えることなんてほとんどあらゆることは過去に考えられている では何が過去と違うのか』と改めて考えるのでした。

第七章その三
<悠久の間>に積まれた本をことごとく読み終えた時、メルキアデスは竜亀に言いました。「この部屋でいくら時を過ごしても外の世界で時間は流れません もっと本を盗み出してきましょうか」と。竜亀は、「いや いくら読んでも知識ばかり増えたってどうも違うような気がする それにこれらの知識では私の直感だが何かが足らないような気がする 私の心が少しも満たされないのだ」と言うとメルキアデスも、「同感です 貴方が 元は亀だったということと関係があるのかも知れませんが 私にとってもこれらの知識は決定的な何かが欠けています いわば根源的な何かにどれもがあと一歩で到達できないのです 宇宙の始原や宇宙の本質がまだ人類にとって未知であるように 人間についても 人間の世界についてもこれらの書物は解明できていないのです 欠けているものが何であるかはっきりとわかりませんが 人類に英知というものがあるならば その英知はいまだ真理に到達できていないということになります」と言いました。竜亀は、「そうですね だから私はこの部屋をもう出て外の空気を吸いたい 外の太陽の光を浴びて健康な体になりたい 元亀としては明るい太陽の光が必要です」と笑って言いました。メルキアデスは、「ではこの本を返しましょう」と言って、黒い杖を取ろうとしました。杖はメルキアデスが触れようとした瞬間に青白い光を放ち、白い青大将という蛇に変身しました。そして積み上げた本の上に這い上がると、とぐろをまいて首をもたげて語りはじめるのでした。「おお お前たち やっとお前たちは この世の最後の謎の扉の前にいるのだ その扉に何と記されてあるか 心せよ おお それは 一切の知識は滅びよ と記されてあるのだ 書物は~全て~死者の~腐った脳髄~おお死臭~お前たちはこの本を元に戻すがいい 我は再びお前たちに新しい印を与えよう」と歌い、語り終わるとその大蛇はもとの黒い杖に戻ってしまいました。竜亀とメルキアデスはあっけにとられて目を見合わせました。メルキアデスは、「私たちは同じ夢を見ているようですね」と言うと竜亀もうなずき、「ではこの本を戻しますか」と微笑んで言いました。そうしてふたりは本を大英図書館から盗んだように同じようにして本を戻しました。だから時間としては本を盗み出し、本を元に戻すことにかかった時間しか進まなかったのでした。<悠久の間>での時間は外の時計の針では一秒も進んでいなかったのでした。全ての書物を戻すと巻物だけが残りました。メルキアデスが、「これは私宛の文書とともに死海の洞窟にあったものです 何も描かれていない真っ白の巻物でした 壁画を写すように私宛の文書に書かれてあったのです どうやらこれはかの三蔵法師がインドから仏教を東の地へ伝えたときの巻物のひとつだといわれています 役目を終えたとき 書かれた文字とともに全て消え去るらしいのです」と言いました。

第七章その四
メルキアデスは床にその巻物を広げました。「これらは私が陸の竜宮の島に行ってあの洞窟の壁画を模写したものです 世界中を旅していたとき竜宮の場所を知りたくて陸の竜宮の島にたどり着いたのです 最初は島には多くの人は住んでいましたが 最後には人はいなくなり 宮殿は崩れ落ちていました 最初に見たとき 壁画には私のサインがあり そして私だけに宛てたメッセージがありました 修道院で教わった古代文字の言葉です そして私宛のメッセージだけを最初に消して巻物に模写をするようにと記されてあったのです 時々その島を訪れては予言の通りのことが起きたことを確認して模写した後 その部分を削り落としたのです そしてメッセージの通りに私は死海の洞窟の文書にまぎれこませたのでした 時々巻物を持って死海の洞窟と陸の竜宮の洞窟を行き来したのです 古くなり判別できないのは改めて修復し模写すると また消去したのもありました 模写したのは私自身が忘れてしまわないためです」。竜亀は広げられた巻物を凝視しながら、「この巻物はメルキアデスさんの物語でもあるのですね」と言いました。メルキアデスが、「半分はそうです 私の未来 いや過去の物語でもあるのです」と言うと竜亀は、「この絵巻物と同じ絵を竜宮姫の部屋でも見ましたよ」と言いました。そのとき部屋の片隅に立てかけられたメルキアデスの杖がまたもや白い蛇に変身して、広げられた巻物の上に乗るやとぐろを巻いて歌いはじめました。「おお~今こそ~道は~一方ははるか過去へ~一方は未来へ~必然の道と~偶然の道と~はるか彼方で~別れたものは~再び~合わさる~おお~とぐろを巻く時の物語~我もまたもう一匹の~蛇を探している~時は待たない」。そう歌い終わると蛇は元の一本の杖に戻ってしまいました。巻物も消えてしまいました。メルキアデスが、「また同じ幻を見ているのですね 奇妙なことだ」と言うと竜亀が、「時は待たないか いよいよ浦島の海岸に行かなくては メルキアデスさんはどうするのですか」と聞くとメルキアデスは、「陸の竜宮の島に行って例の顔の無い人に会ってきます 貴方も最後には巨像の台の所に行くのですね」と言いました。そうして二人は<悠久の間>を出たのでした。結界を解いて小屋の外に出ると、金蝿王は、「もう出てきたのですか」と甲高い声を出して叫びました。しかし予定の満月まで一日の余裕がありました。そこで小屋の中で不思議にも一滴も減らなかった酒を再び飲みながら一晩過ごしたのです。朝になり銀蝿王が穴から入ってきて言いました。「顔の無い人から伝言を頼まれました メルキアデスさんも浦島に行って満月を待ってくださいということです」。メルキアデスは驚いて、「それでその人は元気ですか」と聞くと、銀蝿王は、「だいぶん元気になったそうです でも 時は待たないと何度も繰り返すのですよ」と返事しました。

第七章その五
二人は浦島の海岸に行くことにしました。今度は竜亀が小屋の床に白チョークで描いた円の縁を足で踏みながら、浦島の海岸を思い浮かべました。円の中に浦島の海岸の光景が見えると二人は円の中に一歩踏み出しました。その瞬間二人は浦島の海岸に来ていました。かつては人が住んでいたこの小島は海水面の上昇のため以前より小さくなって無人島になっていました。島の中央に小さな丘がありました。朽ちた鳥居のような形の門をくぐっていくと、樹木で覆われた洞窟の奥に祠がありました。二人が中に入っていくと一番奥に神棚のような石の小さな祭壇がありました。竜亀はふところから紫の水晶を取り出し台の上にまっすぐに据え置きました。竜亀は微笑んで、「ようやく元の場所に戻った」と言いました。一瞬、紫の水晶は輝いたように見えました。そうして二人はかつて竜亀が海岸で月兎と会話した場所にやってきました。でもかつて見覚えのある岩は海の向こうに退いてわずかに海上に頂上を覗かせているだけでした。満月が空高く昇るまでまだ時間はありました。二人は砂浜に胡坐で並んで座りました。竜亀は浦島太郎のことや月に突然話しかけられたことを昨日のことのようにメルキアデスに語るのでした。メルキアデスは怪訝な顔をして、「竜亀さん いま思い出しましたが 北のほうにある大きな列島に今も伝わる昔話ですよ 浦島太郎と竜宮の亀は貴方たちのことではないですか」と言いました。竜亀は当然のような顔をして、「さもありそうです 事実は昔話より奇怪です 私たちもまだ昔話の中 いやますます童話の中にいるみたいじゃないですか」。「私たちの存在は架空の物語の架空の存在にすぎないのですね でも今やっとこの物語の最後の舞台の幕開きを前に 私はすこしワクワクしているのです」。竜亀も、「同感です」と言うのでした。そうして二人は黙って海を見つめ続けました。あたりが薄暗くなると、海岸の砂浜に打ち寄せる波の先端で夜光虫が青白い光を無数に放ち、長い幾重もの光の線となって海岸線の向こう端まで続いていくのが見えました。その光の線は波打ち際まで寄せるとたちまち消え去り、再び波打ち際で新しく浮き上がり再び寄せるのでした。海岸の涼しい風がいつか海のほうから吹き上げる夜風になり、いつのまにか広大な星空に満月が高く上がりました。二人は立ち上がって満月を見続けました。でもいつまでたっても満月はあの時のように、環を輝かせ真ん中も黄金のように輝くこともありませんでした。はるか水平線のむこうからイルカのトリトンの背に立ってナウシカがやってきました。海風に長い髪をなびかせ、その姿はどこかの美術館で見た女神のようでした。イルカから降りてナウシカは遠浅の海を泳ぎそして波間を歩いて近づいてきて、ふたりの前に来ると深く一礼して言いました。「メルキアデス様と竜亀様 竜宮姫様の手紙を預かっていました これが私の最後の役目です」。

第七章その六
ナウシカは涙をいっぱい瞳に溜めながら、「メルキアデス様 竜亀様 許してください 姫様の手紙にすべてのことが書かれてあります 竜亀様 私は双子の姉が愛した人を私も愛してしまっていたのです でも竜宮から人の世界に戻って別の人と出会い愛され 愛することが出来ました あの世に行ってもその人のところに行きたいと思います」と言うと胸の銀のペンダントの蓋を開けました。たちまちナウシカが消え去ると、空中には薄い布の塊が浮かんでいました。二人が驚いていると、絡んだ布はしだいに一枚の長い手紙のように広がりました。竜亀はその布が、竜宮姫が時々色を変えて着ている青い衣のときに上着のように巻きつける白い帯だということがわかりました。その白い部分に古代文字が浮かびあがりました。そしてそれを読む竜宮姫の声が聞こえてきました。その声は竜宮での心の声ではありませんでした。あの満月で竜亀が語りかけられた月兎の声でした。月兎の声で竜宮姫が読むと同時にその文字は布とともに空中に蒸発するように消えていくのでした。「メルキアデス様 亀さん 私がこの手紙を読む時には きっと私はこの世にはすでにいないことでしょう たとえ満月の光が貴方たちを照らしていても 以前のように満月が黄金のように輝かせまた紫に光る環を広げることはないでしょう 私はこうすることしか出来なかったのです これが私の定めです 貴方たちがこの手紙を読み終えるときは きっと私は私の定められた使命を果たし終えているのです 許してください そしてこのようになってしまった結末に至る全ての因果をいま貴方たちに明かさなくてはなりません 私の秘密と竜宮の謎をこの手紙に記して伝えたいと思います それは全ての原因となる発端のことから伝えなくてはなりません 今よりはるか昔々 後に竜王と呼ばれることになる普通の人があの陸の竜宮と呼ばれることになる細長い島の山のふもとの小さな泉で喉を潤していたとき とつぜん彼の瞳に一筋の光が入り込みました そのことによって彼はひとつの啓示を受け取りました 彼はその啓示を受けとったにもかかわらず誰にも語らず胸に秘めたままその島を去り 世界を旅歩き 遠く離れた異郷の地で結婚して家族とともに多くの年月を過ごしました 妻と死別し子も大きくなったので別れて50歳になったとき一人で島へ帰りました そこで突然現れたひとりの杖の老人と出会いました その老人は彼に宝玉を授け この宇宙の神秘を告げて また竜宮の造営と布教を命じて去っていきました その人は半信半疑でしたが 若い時に受け取った啓示を再び思い出し言われるままに島の人たちだけに布教をはじめました その場所の泉を丸い大理石で囲み まず最初に織姫魚の私を入れ宝玉も入れました 私はその瞬間 人のように言葉を使えるようになったのです そしてその人は私だけに告げたのです」。

第七章その七
「『私は啓示を受けとったけれど 私だけの心の秘密として一生を終えるつもりだった けれど老人が現れ この宝玉を受けとったからには この出会いを受け止め私の運命としなければならない お前も 宿命と思って使命を果たしなさい』と告げました そしてその人が死んだあと 皆既日食の時にひとつの玉が開くので自分の玉とともに玉に飛び込みなさいと言われました 私だけにそのことを告げ秘密の約束をした上で 金の剣魚さんや石頭の天使さんや金剛石亀さんの卵と宝玉を泉に入れたのでした そうしてしだいに信者が増えると島の人たちと協力して立派な宮殿を作りました その後その人が亡くなってしばらくして 杖の老人と奇妙な服装の人たちが再び空から現れ 洞窟に絵を記して去っていきました そして絵にも描かれたとおりに皆既日蝕の時に私が教えられたとおりに玉に飛び込んだ直後に すさまじい竜巻がおこり 海の竜宮の場所に飛ばされたのでした というより玉が陸の竜宮を再現したのでした そして私は海の中の亀さんたちを探して招き入れて <時空と予知の泉>を眺めつつ竜王と呼ばれた普通の人の伝える杖の老人の予言を信じ 今まで竜宮でひたすら未来を信じて時を過ごしてきました その杖の老人とはメルキアデス様 貴方のことですよ 長い間謎でしたが今はっきりと 貴方だということがわかります いま私には全てのことはわかりませんが きっと貴方はその宝玉をもって過去へもどり 貴方自身の出生の謎を知ることになるでしょう 私は<時空と予知の泉>で多くのことを知っています でもいま貴方に語らなくても きっと貴方は貴方自身の いやこの世界の全ての謎を解くことができます 貴方は神様かもしれません あるいは神様に最も近い人かもしれません でも私は貴方がどこまでもひとりの人として生きていて欲しいと思います それから亀さん 貴方はまだ人になっていませんよ この泉からは貴方はまだ半分亀のようなお顔ですよ それに胸のあたりにまだ宝玉が光って見えます 陸の竜宮の巨像があった場所で顔の無い人に その宝玉を渡してください 顔の無い人はその普通の人が竜王として復活した姿です いや復活できるのです 地上の2009年の12月31日で私たちの世界は終わります 私たちの物語も終わるのです メルキアデス様も2010年が始まるまでに必ず過去の世界へ行ってください 杖と石板で行くことが出来ます 竜亀さんも顔の無い人に玉を渡してその人を復活させて未来へ一緒に旅立ってください」。

第七章その八
「亀さん いつか人の世界でも貴方とお会いしたかった 私も白鯨さんや石頭の天使さんや金の剣魚さんのように人に生まれ変わり人の世界に行くことをずっと夢見ていました でもとうとうそれもかなわぬまま今この時を迎え こうして貴方たちにこの手紙を書いています ナウシカさんにこの手紙を託します この手紙を浦島の海岸で貴方たちに渡すように伝えてあります ナウシカさんにはそのときすでに私ガ消えてしまっていることは秘密にしておくように頼みました メルキアデス様も すでに消え去っているナウシカさんを許してあげてください だから 貴方たちがこの手紙を読んでいるときには すでに私はもうこの世に存在しません きっと海の藻屑となって消え去っているでしょう 宝玉が何であるのか私には本当に今も良くわかりません 宇宙の果てからやって来たのかもしれません あるいは人の夢と希望が生み出したのかも知れません でも宝玉は夢と希望の象徴でありそれをかなえる力があると私は信じています 私は私という小さな魚に過ぎないこの命を この宝玉の夢と希望に託してこの世から消え去ります これが私の使命でした 今それがはっきりとわかります 何の疑念もありません 私の命はきっと顔の無い人に受け継がれていくのです その人の一部になっていくのです 私は竜王と呼ばれるその人と契りを結び <時空と予知の泉>を見ることの代償として声を失いました 竜王として復活するその人は私の部屋の床の記号からもうすぐ姿を現すことになっています その人に私はこの玉を渡すことが私の最後の使命です 亀さんの玉もその人の魂の一部となるのです 亀さんもその人にその玉を渡してください いつかあの世で再びお会いできることを楽しみにしています この手紙を読んだなら急いで陸の竜宮へ行ってください 顔の無い人が待っています 残された時はもうありません さようなら」。そうして最後の言葉を言い終えると白い帯も空中に消えてしまいました。きらきらと空中で光りながら空へと飛んでいくのは竜宮姫が竜宮の使いの魚のときの体の青い鱗でした。竜亀はそれを呆然と眺めながらおもわず、「あの世で会うなんて あの世なんてあるものか 姫様の馬鹿」と涙を流しながら小さくつぶやきました。メルキアデスは青ざめた顔をして、「竜亀さん では 陸の竜宮に行きましょう そこで別れて 私はこの杖と石板の力で 過去に行くことにします」と言いました。メルキアデスが白い砂浜に杖で円と記号を描き中央に宝玉を置き、呪文を唱えました。「我等 光の旅人 玉よ その場所まで運びたまえ」と。その直後二人は陸の竜宮の古びた泉の傍に立っていました。

第七章その九
泉のところへ降り立った二人は、山の中腹にある洞窟に向かいました。洞窟に入ってメルキアデスは宝玉をかざすと宝玉は青い光であたりを照らしました。その灯りを頼りに奥へと進んでいきました。かつて竜亀が見た壁画はボロボロになって顔料が下に散乱していました。メルキアデスは杖で示しながら竜亀に言いました。「この壁画は私が模写しようと苦労して一度修復し復元して模写した後に再び誰にも見られないように削ったのですよ」。竜亀は、「私と顔の無い人が北の彫像の下で出会うところの図があったのを憶えています」と言うとメルキアデスは、「ええ そうです この洞窟の反対側の出入り口の下の かつて巨像のあった場所がそこです この道はそこまで続いているのですよ 私は トリトンに運ばれて海岸で倒れている顔の無い人を発見して 担いでトンネルを抜けてこの洞窟の外へ出て 泉のところで休んだあと 海岸の崖の隠れ家に運んだのです 今もそこに居るのか いやもうその人はここを通り抜けて 台座の下で待っているかもしれません」と言いました。細いトンネルを二人は急ぎ足で進んでいくのでした。穴を抜けて、石の階段を下りていくと大きな石の台座の前の丸い模様が描かれた石畳の上に人が立っていました。その人は顔全体に包帯を巻いていました。彼が顔の無い人だと竜亀は思いました。すっかり元気になったのかしっかりした姿勢で佇んでいました。メルキアデスは、「竜亀さん いよいよここでお別れです 貴方があの人に宝玉を渡すのを見届けたら私は過去へと旅たちます これで永久の別れです ごきげんよう」と言って抱えてきた石板を地面に置くとその中央に杖を垂直に両手で持って自分の正面に置き自分も石板の上に乗るのでした。たちまち透明な筒に包まれてメルキアデスは半透明になりました。階段を下りていくとき竜亀は、顔の無い人の姿を見て不思議な感じがしました。自分と同じような白い衣を着ていたからです。竜亀は知らず知らずのうちに左の手のひらを上に向けていました。手のひらの上には宝玉がすでに現れていました。顔の無い人は心の言葉で竜亀に囁きました。「時は待たない 急ぐのだ」。竜亀は一歩進みその宝玉を差し出しました。でも受け取ろうとしませんでした。竜亀はそのとき突然、心に自分の心かどうかわからない感情があふれ出し、思わず心の中で叫んでいました。『これは童話だ こんなことのために私は人になったのではない 私は竜宮姫に会い告白するのだ』。竜亀は振り返り、今にも消え去ろうとするメルキアデスのいる透明な筒へと走りよって筒の中の石板の上に飛び乗ったのでした。筒の中から振り返ると、顔の無い人はやがて白い光に包まれて一個の大きな球体になって台座まで上がると、空の彼方へ飛び去っていきました。メルキアデスは、「竜亀さん どうしたのですか」と言うと竜亀は、「竜宮の竜宮姫に会いに行くのだ」と強い口調で言いました。

第七章その十
メルキアデスと竜亀は一枚の石板の上で杖を前に体を寄せ合っていました。周りの世界は場所を変えながらどんどん時間を遡っていきました。かつて円を描き移動した場所などもたどりながら時間を遡っていきました。竜亀に見覚えのある場所が見えました。そこは海の底の竜宮姫の部屋でした。ちょうど二人は竜宮姫が描いた円と記号の上に立ったのです。竜亀はメルキアデスに、「ここでお別れです あなたもお元気で」と言うとメルキアデスも、「あなたも」と言いました。竜亀は石板から下りると海の竜宮の竜宮姫の部屋に立っていました。メルキアデスは消えて遠い過去へと行ってしまいました。竜亀は宮殿の外へ出て中庭に行くとちょうどナウシカが洞窟の入り口から外の海に出て行くところでした。竜亀は近づいていくと竜宮姫は振り返りました。涙で瞳がうるんでいました。竜宮姫は少し驚いたかのよう見えましたが、黙って竜亀を見るのでした。竜宮姫は泉から宝玉を取り出すと竜亀に差し出しました。竜亀は声が出ませんでした。竜宮姫の差し出す手を跳ね除け、自分の宝玉を竜宮姫に差し出すのでした。一瞬、竜宮姫の瞳が輝きました。そして全てを悟ったように竜宮姫のふたつの目から二筋の涙が流れるのでした。その瞬間、二つの玉は一つに合わさり白い閃光に包まれました。竜亀はその熱で全身に痛みが走りました。顔が全部とけるような激痛があり目も見えなく耳も聞こえずその場に倒れこんでしまいました。何か巨大なものが崩れるように感じると竜亀は海中に投げ出されていました。しばらくして竜亀の手を引く人の女性の手がありました。やわらかくしっかりと竜亀の手を掴んで海の中を引いていきました。どこまでも竜亀の手を引いて海の中を進んでいきました。そしてだんだんとその手は力がなくなりいつしか離れていってしまいました。そして竜亀はようやく海面に浮かびあがると気を失っていました。竜亀は長い夢の中をさまよっていました。過去に見た夢、過去に見た風景がDVD映画の早送りのように竜亀の脳裏を走り去っていきました。今まで見たすべての風景がものすごい速さで過ぎさっていきました。その明るさと速さで目がくらむようでした。竜亀は意識を失い、深い眠りに落ちました。意識が戻ったとき、ひとりの人に抱えられていました。そこは陸の竜宮の泉の傍らでした。その人は竜亀に言いました。「こんな様とは 貴方がこんなに早くこの世界に現れるなんて」。しばらくして若い女性の声が聞こえました。その人と彼女との会話をぼんやりと聞いていました。竜亀は、二人の声を、『どこかで聞いた声』と感じながらも、まるで誰か分かりませんでした。全ての記憶を失って、竜亀は顔の無い人となって再び地上に現れたのでした。