麗しき英国パブリック・スクール
2023年6月、としまえん跡地に「ハリー・ポッター スタジオツアー東京」がオープンしました。ハリー・ポッターの屋内型施設としてはアジア初であり、同時に世界最大規模でもある「スタジオツアー東京」。ハリー・ポッターがいかに日本で人気か分かりますね!
私たち日本人はなぜハリー・ポッターに魅かれるのか
ハリー・ポッター映画の魅力と言えばもちろん魔法、キャラクター、そしてホグワーツの学校生活でしょう。ゴシック建築の学校で営まれる寮生活、優美な制服、生徒間の規律は英国伝統の「パブリック・スクール」のものです。多くの人が「ホグワーツ」を共通のイメージとして持っていても、それが「パブリック・スクール」をモデルとしていることは知らないのではないでしょうか。
本稿では、私たち日本人の憧れである「麗しき英国の学校生活」のイメージがどのようにして作られたかを考えていきます。
パブリック・スクールとは
ようするに、王侯貴族の子弟が通う私立の寄宿学校がいわゆる「パブリック・スクール」です。ホグワーツは共学ですが、伝統的には男子校でした。
イギリス文化において、パブリック・スクールは英国紳士像を形作る重要な要素です。後ほど詳しく述べますが、20世紀になってもなおイギリス人の価値観の根底にあることは様々な媒体から読み取ることができます。
文学の中のパブリック・スクール
上に挙げたパブリック・スクールのうちイートン校とラグビー校を舞台にしたトマス・グレイとトマス・ヒューズの作品から、文学に表現された「パブリック・スクール像」がイギリス文化に与えた影響を探ります。
トマス・グレイ「イートン学寮遠望のうた」(1747)
トマス・グレイ Thomas Gray(1716~1771)はロンドン生まれのイギリスの詩人です。暴力的な父から逃れ、 パブリック・スクールのひとつであるイートン校の教師だった伯父たちの助力でイートン校に入学しました。その後はケンブリッジ大学に進み、ピーターハウス学寮で学びました。
(参考: 石塚久郎責任編集『イギリス文学入門』)
グレイは1742 年に友人リチャード・ウェストの死を経験し、その追悼詩を書いたことから真剣に詩作を志すようになりました。
出身校を謳った「イートン学寮遠望のうた」は同時期の1747 年に執筆されたものです。トマス・グレイ作、福原麟太郎訳『墓畔の哀歌』からその一部を以下に引用します。
この作品の中で、グレイはイートン時代を懐かしく輝かしい青春として描写しています。 石塚久郎責任編集『イギリス文学入門』 p120 では以下のような解説がされています。
グレイの家庭環境や学校で得た友人の存在から考えるに、彼にとって学生時代が人生のうちでもっとも幸せな時であったことは間違いないでしょう。
しかしグレイがイートン校に在籍した18世紀半ばには、パブリック・スクールの荒廃期がすでに始まっていました。教師の体罰や生徒間のいじめが横行していたのです。
新井潤美『 パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた 』から、イートン校と同じ名門のパブリック・スクールである ウェストミンスター校の例と、パブリック・スクール全体についての ウィリアム・クーパー(1731~1800)の見解を抜粋し参考として以下に述べます。
以上から、グレイが学生時代を過ごした当時のパブリック・スクールは必ずしも良い環境ではなかったことが分かります。
そのような環境でありながらも、グレイが学校を「至福に満ちた楽園(=安全な場所)」と捉えられたのはある種の連帯感ゆえではないでしょうか。
特定の共同体でいじめが起きるのはそれが排他的、つまり強い連帯感を持っているためでしょう。グレイをその連帯感の方を享受し、記憶していたためにこのような作品を作ったと私は考えています。
この作品はパブリック・スクールの内側にいる者の幸せな思い出を伝え、社会を知る前のモラトリアムとしての居心地の良さを伝えるものです。
イギリス文学史における重要な詩人のひとりであるグレイがこのような「パブリック・スクール像」を残したことで、私たちはパブリック・スクールが荒廃期にあっても生徒の人生を決定づけるような体験を提供する場であったと知ることができるのです。
トマス・ヒューズ『トム・ブラウンの学校生活』(1857)
トマス・ヒューズ Thomas Hughes(1822.10.20~1896.3.22)は、バークシャー生まれのイギリスの小説家・思想家です。ヒューズの父がオックスフォード大学で知り合ったトマス・アーノルドに敬服していたため、彼が校長を務めるラグビー校に入学させられました。(トマス・アーノルドは荒廃期のパブリック・スクールを立て直した名校長です)
その後はオックスフォード大学を卒業し、弁護士となりました。弁護士業を続けるかたわら「キリスト教社会主義」の社会改革運動に加わり、労働者教育や協同組合運動に力を注ぎました。
(参考:ジャパンナレッジ、 デジタル版集英社世界文学大事典)
ヒューズはラグビー校での自身の経験を下敷きにして、1857年に同校を舞台とした学校物語『トム・ブラウンの学校生活』を執筆しました。
鈴木秀人氏の論文「英国パブリック・スクール研究にみられる研究動向(Ⅱ)―『トム・ブラウンの学校生活』(1857)に対する評価を中心に―」によると、この作品はヒューズがラグビー校在校時に校長であったトマス・アーノルドを”スポーツ教育の祖”として神格化する動きを大きく後押しする根拠となったといいます。
この作品の舞台である19世紀は、先述したパブリック・スクールの荒廃期を既に脱していました。トマス・アーノルドによる改革が行われたためです。
アーノルドは生徒を「キリスト教の紳士にする」という熱意のもと、学校の運営体制を見直しました。
例えばそれまでは下宿屋同然だった寮長の地位に教員を任命して、教員と生徒の関係をより近いものにするなどして、学校の環境と人間関係の改善を図りました。ハリー・ポッターでの教員と生徒の関係を想像してもらうと分かりやすいと思います!
また、アーノルド指導下の学校ではスポーツが盛んに行われていました。ハリー・ポッターにおいては、ホグワーツの各寮が一丸となって行う人気スポーツであるクィディッチが該当しますね。
これについて鈴木氏はP.C.マッキントッシュの見解を参考に、「ラグビー校におけるスポーツ活動はアーノルドが教育的価値を見出して奨励したというよりも、校内の規律を維持し自分の意図した改革を達成する上で生徒の協力を得るために支払った代償である」と述べています。
『トム・ブラウンの学校生活』は上記のような実情ではく、”スポーツ教育の祖”というアーノルド神話によって書かれたものであるということをここに断っておきます。イギリスでは最も有名な学校物語のひとつで、2005年になってなお改めて映画化がされているほどです。
主人公のトム・ブラウンは武勲の誉れ高い中流階級ブラウン一族の子息です。息子の出立を前にトムの父はこう黙想します。
この部分からは、「生徒をキリスト教徒の紳士にする」というアーノルドの教育理念に近いものを読み取ることができます。
また、大井靖夫氏の論文「トマス・ヒューズ『トム・ブラウンの学校生活』再読」では以下のような解説がされています。
また、トムの父は息子に古典教育を身につけることよりも、人格の成長を果たすことを望んでいます。
実際に作中では、トムが悪友のイーストと大時計に落書きして時間を狂わせるといういたずらをしでかした際のペナルティーとして古典の暗誦を課せられており、この作品において彼らの成長は古典の勉強ではなく、紳士としての信念を身につけることによって達成されることが示されています。
作品の後半では、トムはアーサーという新入生と同室になります。古典学習に秀でてはいるけれど、大人しく弱々しいアーサーをトムは始め快く思いませんでした。しかしアーサーの指南役としての責任を果たすうちに、彼の人となりを知って感化されます。
アーサーもトムらの影響を受け、クリケットなどの競技に親しむようになります。
ここにヒューズが考える、教育におけるスポーツの価値や生徒同士の高め合いの機会を提供する「パブリック・スクールの理想像」を見ることができるのではないでしょうか。
イギリス文化としてのパブリック・スクール
グレイ「イートン学寮遠望のうた」とヒューズ『トム・ブラウン』は両作品とも作者のよき思い出を反映し、理想的で憧れの「パブリック・スクール像」を現出しています。
このような題材・学校物語が広く好まれ、イギリス文学においてひとつのジャンルとして成立しているのは、大衆にとっても望ましいイメージを提供しているからでしょう。
上流階級にとっては自分たちの教育体制の正しさを再確認し、学校生活での分かりやすい目標を見つけるための媒体になります。
下層階級にとっても憧れの上流社会を疑似体験し、アイデンティティとしてのイギリス文化を知るための媒体になります。
また、『トム・ブラウンの学校生活』の主人公トムの家庭がそうであるように、産業革命後は一握りの上流社会だけでなく、新興の中流階級(ブルジョア階級)が権威を得るようになります。
そのような新しい時代の新しい「紳士」が主人公の物語が作られることで、人々は文学を通して社会の在り方を捉えることができたのではないでしょうか。
文学に表現された「パブリック・スクール像」は、上流階級・中流階級・下層階級が共同して作った、ひとつのイギリス文化の形成過程を見せていると私は考えます。
現在に続くパブリック・スクールの精神
また、イギリス制作の映画を観ていると、時たまパブリック・スクールに関する話題が挟まれることに気がつきます。
1983年公開、日本・イギリス・オーストラリア・ニュージーランドの合作映画『戦場のメリークリスマス』(英: Merry Christmas, Mr. Lawrence)をご存知でしょうか。この映画をひとつの例として挙げます。
映画『戦場のメリークリスマス』に見るパブリック・スクール
この作品の監督は日本の大島渚氏が務めましたが、脚本はイギリスのポール・マイヤーズバーグ氏との共同制作です。イギリス人によるイギリス文化監修がされていると判断していいでしょう。
舞台は1942年、日本統治下にあるジャワ島レバクセンバタの日本軍俘虜(捕虜)収容所です。
日本語を解する英国陸軍中佐のジョン・ロレンス(演:トム・コンティ)は、日本軍と英国軍捕虜を繋ぐ通訳として取り立てられていました。ロレンスは、粗暴な日本軍軍曹のハラ(演:ビートたけし)と、ある事件の事後処理を通して奇妙な友情で結ばれていきます。
そんな中、日本軍の輸送隊を奇襲したひとりの英国軍人が俘虜として収容されます。当該の英国陸軍少佐のジャック・セリアズ(演:デヴィッド・ボウイ)は自分の主張を曲げず、日本軍に反抗的な態度を取り続けます。ハラ軍曹の上官で日本陸軍大尉のヨノイ(演:坂本龍一)はセリアズの不遜な態度に悩ませられながらも、彼に魅かれていきます。
ロレンスやセリアズを始めとした俘虜たちを俘虜長としてまとめるのは、英国空軍大佐のヒックスリー(演:ジャック・トンプソン)です。彼は日本人を見下しており、嘘をついて日本軍への情報提供を拒み続けていました。
日本滞在経験のあるロレンスは、あくまでも敵対しているのは国家同士であり、個々の日本人を恨みたくないと考えています。また、投降は自決に劣る恥だと考える日本人と違い、ロレンスは「捕虜になるのは時の運だ」と語り、俘虜として収容されている間は生き延びることを最優先事項とし、通訳として中立的な態度を取っていました。
ロレンスは日本軍を見下し嘘をつき続けるヒックスリーに、
「奴らはバカじゃありません」
「私は彼らを知ってます、私の意見も聞いてください」
と提言します。戦争という状況下でありながら、日本人を”敵国人”ではなく”個人”として捉える視点を持ち、ハラやヨノイらと交流を持つロレンスだからこそ言えた言葉でしょう。
そんなロレンスと対照的な人物として描かれているヒックスリーは、
「奴らは我々の敵だよ」
「君は英国軍人だ」
と返します。本作においては敵国/自国、英国/日本、西洋/東洋、国家/個人といった対立構造とその越境が重要なテーマとなっているのですが、ヒックスリーとロレンスはそれを表象するひとつのモデルでもあります。
本稿は映画批評文ではないので、テーマについてはこれで終わりますね。
さて、日本軍に友好的なロレンスを侮っているヒックスリー。上記の会話に続けて、ヒックスリーは藪から棒にロレンスの出身校を訪ねます。繰り返しになりますが、その会話を以下に書き出します。
ヒックスリーの質問は、脈絡がなく意味不明だと感じた人もいるのではないでしょうか。これを理解するにはパブリック・スクールの校風と、イギリス人に根付く階級意識を知っておく必要があります。
ヒューズ『トム・ブラウンの学校生活』についての章で述べたように、パブリック・スクールの一大特徴はスポーツによる人間教育です。それを通して培われる団体精神、ルールへの服従心は軍隊活動においても活かされたのです。
小池滋『英国流立身出世と教育』(1992、岩波書店)によると、19世紀以降もパブリック・スクールの卒業生にはオックスブリッジ(オックスフォード大学、ケンブリッジ大学)進学者の他に、陸海軍の士官学校進学者も少なくなかったと言います。
なぜなら、当時の英国軍の士官以上はほとんどがパブリック・スクールの出身者で占められていたためです。パブリック・スクールに子供を入れることができる程度の階級出身者以外は、英国軍隊では士官以上の地位を得ることはほぼ不可能でした。
(第二次世界大戦時にはその風潮も変化していたでしょうが、根拠がないので明言は避けます。少なくとも価値観としては残り続けていたと思われます。)
つまり『戦場のメリークリスマス』でのヒックスリーの質問は、
日本軍に対するロレンスの軍事的評価の信憑性を計るため=
ロレンスの出身校のレベルを聞き出すために発せられたのです。
ロレンスがヒックスリーの質問に
「ウィンチェスターです」
と答えると、ヒックスリーは顔をしかめて無言で立ち去ります。
冒頭で述べたように、ウィンチェスター校は最古のパブリック・スクールであり、言わずもがな名門中の名門校です。ロレンスを侮っていたヒックスリーは、彼の出身校が自分と同等かそれ以下だと踏んでいたのでしょう。その予想を裏切られたため気を悪くし、その場から逃げ去ったのです。
思慮深く宥和的なロレンスと、浅慮で攻撃的なヒックスリーは明らかに対比されています。このシーンはそれを明示する役割を果たしていたのです。
また、ロレンスとヒックスリーのキャスティングにも意味があるように思われます。
ロレンスを演じたトム・コンティはスコットランド出身で、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー所属経験もある俳優です。彼の話す英語はブリティッシュ・アクセントで、落ち着いた印象を受けます。(だと思います)
対して、ヒックスリーを演じたジャック・トンプソンはオーストラリア出身の俳優です。彼の話す英語はオーストラリア訛りで、やや粗暴な印象を受けます。ロレンスとヒックスリーがどちらも同じイギリス人という設定で、共通のパブリック・スクール的価値観と階級意識を持っているとしたら、このキャスティングこそが彼らの出自・教養・能力の違いを表現していると考えられるでしょう。
さて、『戦場のメリークリスマス』ではウィンチェスター校の他にもう一つのパブリック・スクールが登場します。
群像劇の中でもひときわ目立つ人物、セリアズの出身校です。セリアズは「掃射兵セリアズ」とあだ名されていたほどの果敢な兵士ですが、その自己犠牲的なまでの挺身は彼自身の罪、弟への裏切りの後悔から逃れるためでした。
セリアズには歌の得意な弟がいました。臆病で内向的な弟です。パブリック・スクールにおいても優秀な学生だったセリアズ(おそらく尞の監督生)は「完璧ではない」弟を恥じ、入学したばかりの彼が通過儀礼的ないじめを受けるのを見て見ぬふりします。深く傷ついた弟は、もう二度と歌うことはしませんでした。
セリアズが裏切りの日々を過ごしたのは、ストライプのネクタイや”KS"の校章がある制服から察するにキングス・カレッジ・スクールであると思われます。正式な略称は”KCS"なので違う可能性も大いにありますが、、、
大島渚監督の最大のヒット作である『戦場のメリークリスマス』は、日本の映画史に大きな影響を与えました。そんな作品にパブリック・スクールの要素が少なからず織り交ぜられているのは不思議なものです。
外国の、しかも上流階級の学校制度など私たちには全く関係ありません。しかしこうやって少しの知識を仕入れることで、映画の理解度、ひいては世界の解像度が上がるのは意義あることではないでしょうか。
参考文献
トマス・グレイ作、福原麟太郎訳『墓畔の哀歌』、岩波書店、東京、1958 年、 p23-30
トマス・ヒューズ著、前川俊一訳『トム・ブラウンの学校生活(上)(下)』、東京、岩波書店、 1952 年初版、 2010 年第 11 版発行
ジャパンナレッジ
https://japanknowledge.com/library/
川崎享『英国の幻影:日本人が憧れる「英国紳士」という蜃気楼』、東京、創英社/三省堂書店、 2015 年、 p334
出口保夫・小林章夫・斎藤貴子『21 世紀 イギリス文化を知る事典』、東京、東京書籍、2009 年、 p510-549
石塚久郎責任編集『イギリス文学入門』、東京、三修社、2014 年、 p120-121
新井潤美『パブリック・スクール―イギリス的紳士・淑女のつくられかた』、東京、岩波書店、 2016 年、 215p
鈴木秀人「英国パブリック・スクール研究に見られる研究動向(Ⅱ)―『トム・ブラウンの学校生活 ( に対する評価を中心に 』、鹿児島大学教育学部研究紀要 人文・社会科学編、第 46 巻、 1995 年、 p85-97
大井靖夫「トマス・ヒューズ『トム・ブラウンの学校生活』再読」、立命館 大学 経済 学会編、第 46 巻、 第 5 号、 1997 年、 p490-506
土屋靖明「トマス・ヒューズ『トム・ブラウンの学校生活
1857 年) 』 に見る西洋古典教育の様相について―トマス・アーノルド校長の姿勢にも着目して― 」 、滋賀短期大学研究紀要 第 40 号、 2015 年、 p23-36
大島渚監督『戦場のメリークリスマス』(英: Merry Christmas, Mr. Lawrence)、1983
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