16タイプ診断とかいうものについての私見

昨今、「私infjなんだよね〜」
「えっ!私も〜相性いいやつやん〜」
という会話を多く聞くようになりました。
SNSのプロフィールやラインの一言欄にも謎のローマ字4つを書く人が多いと感じます。
おそらく知らない人はいないと思いますが、これは16タイプ診断といい、質問に答えることで自信がどのような性質の持ち主なのかを文として客観視できるものです。
かくいう私も友人に勧められて診断を行いました。(診断結果は忘れた)
今回はこの診断についての私見を書きたいと思います。

まず、第一に私はこの診断にあまりいいイメージを持っておりません。
というのも、この診断をもとにその人がどういう性質の持ち主なのかを断定するような人と会話をしたことが最も大きな理由ではあります。まあ、それに関してはこの診断というより、その人自身の要素が多いのですが…。

そもそも、個人の性格つまりは個別性は他人が理解できる範疇ではないと私は考えています。
さらにいうのであれば、自分ですら自身の個別性に対して最大限の理解を示すことは困難であるとも思います。
人が人である以上、対人関係において他者の主観を理解することは不可能です。
どこまでいっても自身の理解を含んだ客観的理解の域を出ません。

現代において、個別性のあり方はあまりに多様化し過ぎていると感じます。
ネットワークの拡大により働き方だけでなく個人の在り方も過去とは違ってきており、より自身の個別性を明確にし社会において存在意義を示さなければなりません。
しかし、SNSの発達において、日本人的な同調思想の巨大化が自身の個別性を発見させづらくさせていると考えます。

そこで、16タイプ診断です。
質問に答えるだけで、自身の個別性を明文化してくれる。
これほど現代人が欲しているものはありません。
情報が溢れる社会で自分の在り方を示してくれてるのですから、皆藁にも縋る思いなのかもしれません。

ただ、本来個別性というのは自身で獲得していくべきものです。
自身のことは自身で理解するべきです。

手放しに示された文字だけの個別性を自身のものだと捉えてしまうのは余りにも早計だと感じます。
診断にない自分の可能性を捨ててしまうような行為はもったいないです。

もちろん、16タイプ診断への向き合い方が個人によって差があるのは理解の上です。
前向きな一面も多分にあると思います。
しかし、16タイプ診断を生きる上で指針にするのはどうなのかなということなのです。

「B型だから◯型の人とは友達にならない〜」
などと言うような愚か者が16タイプ診断で出ないことを祈っております。

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