上達

おはこんばんちは、世界。ちっとも上達しない備忘録だよ。なんでもそうだと思うんだけど、「やっていれば上手くなる」のと「同じ時間を費やして同じ熱量でやっていても上手くならない」ことってある。このシチュエーションの軸を同じ〝上手い〟とした時に、それってなんなのだろうか。

例えば文章はさ、〝上手い〟の理由が「読みやすい」とか「おもしろい」とか、「興味深い」「為になる」、「感動する」とか「共感する」とか。「意味が解らない」でも大丈夫だし「お洒落」でもオッケー。私の観測範囲だと、まーわりと緩い。すごく失礼なことを宣うが良さやウケは摂理や力学があるようでないと思っている。だから読者の私は文章をとても信頼していて(言葉そのものはあんまり信頼していないけれど)、置かれているのがどんな時代だろーが景色だろーが、知らん国でも主人公でも物語でも変わらずに、読み物はいつだって楽しく遊べる最高に素敵な世界で景色でグラウンドだ。相性はあるし、やっていればある程度上達もする。

え?ほんとに??これで?


じゃあ音とか音楽は??「快い」が大前提だとするとそのための技術努力がどんなジャンルにもあって、これは文章と一緒。奏法とかの話ではなくて、鳴っていて気分が良い音(読んで気分が悪くならないに位置付けられる文章みたいな)は、ある一定のレベルをクリアしていて、それでももしも〝拙い音〟が作用するのならばそれは演奏者のキャラクターなんじゃないかな。私はそーいう音を知ってる。全てのハイクオリティで技巧が立っている演奏だけが心に鳴り響くなんて思ってはいなくて、なんか小さな芽みたいな音に興味を惹かれることはあるし、可愛く鳴っているそれを私の耳が「好き。」を理由に拾うことだってある。


この「好き。」は、いちばん強くて無敵。
頭でっかちな能書とかなんとかは、秒で霧散しちまうんだぜ。


この備忘録は拡く広大な世界への意味はあんまりないんだけど、ただ、私の世界にはうっかり意味があって、全然違うかもだけどこんな感じの衝動で鳴っているギターの音はダサくて格好良い音色だと思って聴いているんだけど今夜はそれをきちんと言葉に出来なかった。やっぱり言葉は信頼ならんな。


上達していなくたって大丈夫だから、
ちゃんと鳴らしてよ。格好良いその6弦。


かしこ。私信。


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