【短編小説】食字中


腹が減った。

すかすかの冷蔵庫の中には水と絞り果たしたマヨネーズ、賞味期限の過ぎた刻みネギがある。とてもじゃないが空腹を満たすことができない。昨日、買い物をせず真っ直ぐに帰宅してしまった。これからスーパーに行くのもいいが、財布の中もまたすかすかなのであった。

テーブルの上には学生時代から愛用している日に焼けた国語辞典が置かれている。

仕方がない。

ぼくはピンセットを手に取った。

分厚い国語辞典を掴み、台所へ向かう。蛇口を捻る。水で満遍なく濡らしていく。ぱらぱらとめくってしっかり濡らしていく。

シンクに置いて、少し乾かす。

ページをめくっていく。所々、虫食いにあったように抜けた文字列を眺めていく。

どの文字が美味しいだろうか。この瞬間はファミレスなどでメニュー表を眺めている時間と酷似している。つまり、胸が躍るのだ。草冠のついた字はサラダ。しんにょうは麺類。勝手ながらそういうイメージを持っている。実際は味を感じることはない。食感は若干の変化がある。字によって噛み心地が違うのは面白い。

今日は「美」という文字を食べることにした。
コラーゲンが豊富そうだ。

ピンセットで丁寧に剥がしていく。気をつけないとちぎれてしまうのだ。そうなると、少し食欲が失せる。見栄えは重要だ。

「美」を抜き取ると、それが元々記されていなかったように空白が生まれる。申し訳なさを感じつつ、何も乗っていない皿に置く。付け合わせにはネギとマヨネーズ。

「美」を抜き取る時、隣の文字も取れたのでついでに食べることにした。

ちなみに、今まで食した中で一番好きなのは「夏」だ。

準備は整った。手を合わせる。

「いただきます」

慎重に箸でつまみ、口に運ぶ。

ゆっくり咀嚼していく。

悪くない。すこぶる美味いわけでもないが、いい。程よく弾力があり、空腹が紛れていく。

マヨネーズをつけてみる。美味い。やはりマヨネーズは万能調味料だ。マヨネーズとならどの食材も喜んで手を取り合うのではないか。

「ごちそうさま」

完食。

使い終わった国語辞典はベランダの室外機の上で乾かす。学問は人を活かし、人を生かす。

今日はよく眠れそうだ。

「」が来た。茹だるくらいの暑さだ。

テレビをつけるとタレントが「」しそうに厚みのあるステーキを頬張っている。ぼくも食べたいが、そんな余裕はない。いつもの通り室外機の上に置かれた国語辞典を手に取る。今日もお世話になる。「」がとても青い。「」ひとつない晴天だった。「晴」という字を頭に思い浮かべる。さっぱりしていて、「」の定番のような味がしそうだ。

お腹が「」いた。「」腹を満たそう。

🔚

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