棒手裏剣の研究 その7

房についての試行錯誤をやり切ったと感じていたところ、まったくの偶然で薔薇の造花を付けた手裏剣を作ったことで、房に対する可能性が一気に広がる感覚があった。しかし、それは自らの技術や身体操作、精神面での成長を重視する武道的な手裏剣術とはまた方向性が違うもののように感じた。
そこで便宜上、この房に対するアプローチを二つに分けた。
一つは手裏剣術としての「房」
もう一つは「誰でも刺さる手裏剣」である。
いずれこれらはどこかで合流する可能性もあるが、まずは道筋だけは分けておこうと考えた。

薔薇の造花という極端に大きい房をつけてみたことで房の役割を再確認して自由な発想で房に対してアプローチすることにした。
自由、とても素晴らしい言葉だが実はこれが一番難しい。思いつくままに手を付けては収拾がつかなくなることは目に見えている。
自由にしていいと言われた瞬間に何をしていいかわからなくなってはせっかく見えた房の可能性の一端も見失ってしまうだろう。
そこで、一度原点に戻ってみることにした。
房付きの手裏剣の原点、それはやはり根岸流にあった。資料や文献を当たると古い根岸流は房を取り付けた手裏剣が登場している。
この根岸流を私はきちんと学んだことがない。だが、少なくとも一般的に観覧できる演武などで房付きの手裏剣を打っている様子は見たことがない。
少し調べてみると、房付きは初心者のためのものであり上級者は使用しないと記載されたものが見つかった。
しかし、それより古い資料には房付きの手裏剣を奥伝に至ってなお使用していた記録もあった。
どうやら房付き手裏剣は時代ごとに、もっと言えばその時々の稽古者によって捉え方が少し違っていたのかもしれない。
確かに房付き手裏剣は一定距離では何も考えずともポンポン刺さることもあるので簡単と受け取られる可能性はある。手裏剣が倒れる距離を把握して的までの距離に応じたものを使えばいいだけだからだ。しかし、その瞬間だけを見て初心者向けと捉えるのは早計だと感じる。一定距離で倒れてしまう手裏剣に融通を効かせてある程度の距離を打ち分けられてこその術ではないか。その術を最適に使うための手裏剣、それは簡単なものでも、ましてや子供の握り箸のようなものでは断じてないと考える。

源流を根岸流にあると再確認してから見直したのは手裏剣の形状である。
それまでは巻物と同様、普通の手裏剣に房を取り付けていた。この研究の根底は手裏剣を気軽に調整できることを目的としていたからだ。
しかし、本物を知らねばこれ以上など望めない。
紡錘形の手裏剣を用意し、その後方に糸を束にしたものを房として取り付けた。驚いたことに、ただの棒状の手裏剣を取り付けた時よりもずっと素直に打つことが出来た。そして「伸び」がある。
棒状の手裏剣と紡錘形の手裏剣ではそれぞれ飛び方にも違いがある。
房に空気抵抗を利用するからこそ、手裏剣本体の空気抵抗も大きく影響するためではないかと推測した。
あいかわらずの手探りではあるが、房付きの手裏剣を作っては直してを繰り返した。手裏剣の形状を変えてみたり、バランスを変えたものに房を取り付けてみたりと思いつくままに試行錯誤してみた。
そんな時、ある古い手裏剣を入手することが出来た。
それまで房付き手裏剣に関してはお手本と言えるものがなく、経験をもとにいろいろと試していた。
しかしこの時入手した手裏剣は後々にも房付き手裏剣を考える上でこれ以上ないくらいの手本となり、たくさんのことを発見するきっかけとなってくれた。

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