Youtubeとの関わり方について

私は手裏剣術稽古風景をYoutubeに載せている。
それは手裏剣の魅力を発信する活動の一環であり、手裏剣術の面白さを少しでも多くの人に知ってもらいたいをいう思いからである。
動画をアップロードすることで手裏剣がどんなものかを分かりやすく伝えることが出来る。そのうちに、手裏剣の基礎などを練習したいとの声が多くなり練習の仕方や解説を加えることになった。
そうした動画配信を続け、興味を持ってくれた仲間とコラボと称して時にはジャンルの違う人たちと交流を持つようになった。
私がYoutebuで動画配信をするのはあくまでも手裏剣の魅力を伝えたい一心である。
せっかく動画を作っても見てもらえなければ何も始まらない。より多くの人に見てもらうためには実績も必要である。それが「再生回数」である。そして、再生回数を伸ばすためにはYoutubeのシステム上、ある一定以上の「チャンネル登録者数」が必要である。
その点を考慮して動画を作ったりチャンネル登録を呼びかけたりもしている。しかし私はユーチューバーになったのではないし、自分の手裏剣術を通した活動の一つのツールとしてYoutubeを活用しているだけなのである。そして、自分の活動には誇りも持っている。ところが先日、それを嘲笑される出来事があった。
「手裏剣を投げて遊んでいるユーチューバーになったのね」
この一言で本当にひどい気分に追いやられた。
しかも発言をしたのは手裏剣のこともYoutubeのことも知らない人間だった。噂話が立ったのが田舎だったからだろうか、ユーチューバーは変なことを投稿してお金を稼ぐ存在としてしか思っていない節があり、言葉の端々に嫌味と嘲笑が存分に込められていた。ましてや手裏剣なんて知りもしなければ興味もない。
知らないことだらけの世界に対して勝手なレッテルを貼り、思い込みだけで噂をするのは勝手だが、それを「あなたを心配してのこと」として忠告されるとこちらとしても対応に困る。

私がコラボをした人の中にはYoutubeの世界でも上位の本物のユーチューバーがいる。その人たちの動画の作りこみやこだわりはとんでもないものがある。写真一枚撮るにしても徹底的に吟味をするし、動画の構成も考え抜く。皆が見るものだから発言にしても細心の注意を払って視聴者を楽しませる。
一つの動画に途方もない時間をかけてまさに一つの「作品」を作る。こういう世界があるのかと感心しっぱなしだったし、今でも彼らに敬意を払っている。
手裏剣にしても、金属の棒を投げるだけのお遊びとしか見ない人がいる一方で、それをいかに扱うかを真剣に悩み考える人たちがいる。道具を扱うことを通して身体の使い方やその精神性を磨こうと躍起になる人だっているのである。
そうした人間を前にして、やっていることを安易にパッケージしてはいけない。球技選手に「ボール遊び」と言ったり、本気で陸上をしている人に「かけっこ遊び」と言うようなものである。
一応は反論もしたが「違いが判らない」と小馬鹿にした対応だったのでこれ以上は言っても無駄なのだろうなと理解をした。

私はYoutubeで小銭を稼ぐつもりで投稿しているのではないのだが、登録人数1000人は一つの目標でもある。
1000人を超えるとスマートフォンからのライブを始め、活動の幅がより広がる。ようは「出来ること」が増えるのだ。Youtubeをツールとして使うからには出来ることは多いほうがいい。だからこその1000人なのだ。
もっと多くに人に手裏剣術の魅力を伝えたいと願っている。そのためには活動の幅は狭めてはいけない。広げ続けていかなければ尻すぼみになってしまう。おそらくは、伝わらない、分かろうとしない人は一定数存在するだろう。だからこそ、それを超えてより多くの人に伝える努力はすべきだ。
Youtubeはそのための手段として活用して関わっている。
見てくれた人に手裏剣術の魅力が伝わるように、そのためには自分自身が楽しいと感じそれを周りにも伝えられるようにしなければいけない。
嘲笑したい人は嘲笑すればいい。
私は自分の目標を達成するためにこそ、笑う。

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