「不適切」なドラマをどう受け取るか。『不適切にもほどがある!』が令和の私たちに問うもの

宮藤官九郎の過去作で描かれてきた「不適切」

本作の脚本を手掛けた宮藤官九郎作品の特徴としてよく挙げられるのは「軽妙でリアルな会話と笑い」「豊かなチーム感」だろうか。ドラマ脚本家として注目される前から、松尾スズキが主宰する劇団「大人計画」に所属し、一部公演の作・演出を務めてきた他、1996年からは「ウーマンリブ」と称して自身の単独公演も行い、並行して、バラエティ番組『笑う子犬の生活』(1999年~2001年 / フジテレビ系)などのテレビ番組の放送作家でもあった宮藤。

コメディ作品の多い劇団に所属しながら、テレビではコントの台本も手掛けており、活動のベースに「笑い」と「チーム」があったのは間違いないだろう。そんな宮藤の初期の代表作と言えば『池袋ウエストゲートパーク』(2000年 / TBS系)と『木更津キャッツアイ』(2002年 / TBS系)。共に平成を舞台にしたドラマではあるが、現在の視点で見ると、グループ同士の抗争や盗難事件、体罰上等のスパルタ教師(阿部サダヲが演じている)など「不適切」な題材も多い作品だ。セリフ一つひとつを挙げても、そのまま今、放送するのは難しいだろう。その後の作品でも、『タイガー&ドラゴン』(2005年 / TBS系)の主人公の一人はヤクザであるし、『監獄のお姫さま』(2017年 / TBS系)に至っては主要登場人物全員が受刑者だ。

手掛けてきた多くのドラマで、設定やセリフに「不適切」を塗して、それを笑いや人間としての深みに変換して描き続けてきた宮藤。そんな宮藤の世間におけるイメージが大きく変わったのは、『あまちゃん』(2013年)、『いだてん~東京オリムピック噺~』(2019年)などNHKでのドラマ放送以降だろう。朝ドラと大河ドラマ両方の脚本を手掛け、名実ともに国民的脚本家となってからも「軽妙でリアルな会話と笑い」「豊かなチーム感」は変わらずとも、「不適切」な要素は薄まっていった(とは言え、阿部サダヲが演じる『いだてん』の主人公・田畑政治がタバコを吸うシーンなどには、攻めている印象もあったが)。

それは『いだてん』の後、久々の連続ドラマであり、地上波ドラマとしては前作に当たる『俺の家の話』(2021年 / TBS系)まで続く。不適切な人物が登場せず、なるべく不適切な発言が出ない傑作ドラマを作ってしまうのが、脚本家としての宮藤の凄さだとは思うが、書きたいことが書けなかったのも事実かもしれない。その反動が出たのが、脚本家・大石静と共同脚本の『離婚しようよ』(2023年 / Netflix)と、山本周五郎原作で監督も務めた『季節のない街』(2023年 / Disney+)ではないだろうか。前者では不倫に興じる政治家が、後者では被災した人々が集う仮設住宅を舞台に性加害や窃盗、DVなど不適切な行為をする人物ばかりが登場する。特に後者は、宮藤が演劇を始める前から好きだった原作の念願のドラマ化であったとのことで、そもそも、不適切な人物を書くこと自体にも宮藤の想いがあったのだろう。そんな宮藤が、今回、新たに脚本を手掛けたのが『不適切にもほどがある!』である。

昭和と令和を描く宮藤官九郎の想い

『不適切にもほどがある!』では、1986(昭和61)年が舞台として描かれるが、宮藤官九郎は1970年(昭和45年)生まれ(ちなみに、主演の阿部サダヲも同じ年齢だ)で、1986年当時は16歳。主人公の小川市郎の娘・純子(河合優実)が17歳の設定なので、ほぼ同世代のキャラクターの高校時代を作中では描いていることになる。作中の純子がそうであるように、出身校である宮城県築館高等学校で昭和の青春を謳歌していたのだろうか(第3話で純子は昭和のバラエティ番組に出演しているが、宮藤自身は宮城ローカルのTV番組の素人参加コーナーにも出演した経験があるそうだ)。
しかし、宮藤が青春時代を過ごした昭和を、自身が脚本を務めるドラマの中では今までほとんど扱ってこなかった(強いて言えば、原作ありの映画『アイデン&ティティ』(2003年)、『69 sixty nine』(2004年)などでは扱っている)。『いだてん』は東京五輪開催で幕を閉じるドラマだが、その1964年は宮藤が生まれる前だ。そんな宮藤が、敢えて地上波のドラマで、自分が生きてきた時代の昭和を描くのだから、描写のリアリティーにはこだわるだろうし、その考証には力を入れていると考えるのが自然だろう。ネット上では、1986年の描写の事実誤認を指摘する意見も見受けられたが、第5話で明かされた、市郎と純子が1995年の阪神淡路大震災で亡くなっていたという事実と、第6話における2024年の世界に市郎と純子が存在するというタイムパラドックスが、その鍵を握っているのかもしれない(第6話に、クドカンこと宮藤官九郎と同じ誕生日の大物脚本家・エモケンこと江面賢太郎が登場するのもパラレルワールドを示唆しているかのようだ)。

作中でタイムスリップする先の時代として描かれるのは2024年。つまりは放送されている今そのものを舞台として、毎話、パワーハラスメントやセクシャルハラスメント、働き方改革の不公正、ネット依存などの問題を直接的に描いている。過去作でも、『ゆとりですがなにか』(2016年 / 日本テレビ系)でゆとり世代を、『JOKE~2022パニック配信!』(2020年 / NHK系)や『俺の家の話』(2021年 / TBS系)でコロナ禍や介護を描いたこともあったが、社会的な問題を真正面から扱った作品は初めてではないか。そこも本作における大きな挑戦と言えるだろう。

令和の社会学者とインティマシー・コーディネーターの描写の不適切

第4話では、市郎と入れ替わるように、令和から昭和にタイムスリップした社会学者の向坂サカエ(吉田羊)のセリフが話題となった。タイムスリップした昭和では、サカエの元夫・井上昌和(中田理智、三宅弘城)が中学生で、サカエと一緒に昭和にタイムスリップした息子・向坂キヨシ(坂元愛登)とたまたま同級生となり、仲良くなる中で、もしかすると昌和がキヨシに恋心を抱いているのかも……という展開になるのだが、昌和がキヨシに対して掛けてきた電話に割り込んだサカエのセリフがこちら。

「あなた、自分がモテないからって女を軽視してる。女性蔑視。(略)ミソジニーの属性があるんです、昔から。そういう男に限って、ホモソーシャルとホモセクシュアルを混同して、同性愛に救いを求めるの。(略)女にモテなくて男に走ってるの。あなた厨二病なの。自分がモテないのは女が悪いっていう考え方を捨てない限り、モテないし、変われない。わかる?」

もちろん、これは家族内で交わされている会話ということで、配慮が行き届いてない前提ではあるが、仮にも学者から発せられた言葉としては雑と言わざるを得ないだろう。サカエが性差別やジェンダー問題の論者としてメディア露出もしているという設定を踏まえると、作中では「適切」な考え方を持つ人物として登場させていると考えるべきだろう。そんなサカエに「不適切」なセリフを語らせている。

第4話では他にも、ドラマを撮影するシーンで登場するインティマシー・コーディネーターのケイティ池田(トリンドル玲奈)の描写があるが、本作ではセックスシーンの撮影現場や、純子と秋津睦実(磯村勇斗)のセックス未遂シーンまで描かれるにも関わらず、エンドロールに「インティマシー・コーディネーター」の文字は無かった。

本来は、どちらも社会学者やインティマシー・コーディネーター当事者の監修が入って然るべきだろう。本作と同じく宮藤官九郎・脚本、磯山晶・プロデューサーの前作『俺の家の話』(2021年 / TBS系)は、介護と医療と能楽とプロレスについてプロによる監修を入れている。それは、作中に重要なモチーフとして描かれるために、専門的な知見が必要だと考えたからだろう。であるならば、少なくともドラマ全体を通して出演するサカエの職業である「社会学者」については監修を入れてもおかしくない。でも、しなかった。これは、どういう狙いなのか。

令和の時代に敢えて「不適切」を描く狙い

『池袋ウエストゲートパーク』以降、数々のドラマでタッグを組んできて本作でもプロデューサーを務める磯山晶は、このように発言している。

「企画当初は、不適切にあたる台詞や単語をピー音などで伏せようかと宮藤さんと話し合っていました。不適切な発言を一つひとつ、考査を経て『言い換え』すると、このドラマの性質そのものが変わってしまうためです」

そしてドラマの中では繰り返し、注意書きのテロップが表示される。

「この作品には、不適切な台詞や喫煙シーンが含まれていますが、時代による言語表現や文化・風俗の変遷を描く本ドラマの特性に鑑み、1986年当時の表現をあえて使用して放送します」

昭和も令和も関係なく、とことん「不適切」を描くことこそが、本作で宮藤がやりたかったことなのだろう。なぜ、宮藤がそこまでして「不適切」にこだわるのか、本人からその意図は説明されていないが、不適切と糾弾されることに怯え、自分自身の本音と現実の矛盾に苦しむドラマの登場人物たちを見れば、その一端は垣間見える。分断と多様化が進み、一人ひとり触れているメディアが異なり、大きな物語を描きにくい時代だ。そんな時代に誰が見ても「適切」な表現をすることは難しい。だが、「多くの人にとっての不適切」なら分かる。だからこそ宮藤は、『不適切にもほどがある!』という割り切りを表明したタイトルのもと、明らかな「不適切」をとことん見せて、視聴者それぞれが、反面教師としての「適切」とは何かケースバイケースで考えていく機会を作ったのではないか。

第6話を終えて、父子である井上昌和と向坂キヨシは恋愛関係になりかけたし、恋愛関係になりそうになった市郎と犬島渚(仲里依紗)は祖父と孫であることが判明した。そうした「不適切」な関係を物語の根底に置くドラマは、「全てが不適切かもしれない」と穿った目線で見ていった上で、自分なりの「適切」を考えるきっかけにするのが良いのではないか。もしかしたら、その「不適切」の中に一理くらいはあるかもしれない。
<百害あって一利ない でも一理あるジジイでいたい>


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