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#元気をもらったあの食事 真夜中のトマトパスタ

今から8年くらい前の夏の終わり、山形県の片田舎にある女子短大に通っていた私は、イレギュラーな受験期の真只中にあった。
高校生の頃、大学受験に失敗してあきらめた4年制大学への進学を”編入学”という形で再び目指すためだ。
滑り込みで進学した短期大学でも、なんだかんだ楽しい学生生活を送っていたし、特段4年制大学へ進学して突き詰めたい学問があるというわけでもなかったが、”受験失敗”という人生初の挫折の雪辱を晴らすというモチベーションだけで、意地でも進学してやろうと躍起になっていたのだと思う。とにかくがむしゃらに受験勉強をする毎日だった。

短大生活の2年間は学生寮で過ごした。
約6~7畳ほどの部屋に1年生と2年生が各2人ずつ、計4人一部屋で生活するというなかなかに特殊な環境で、朝夕2食付き・光熱費込みで家賃3.3万円(当時)という破格であった。
ご想像の通り、プライバシーもへったくれもない環境だったが、お箸が転んでもおかしい年頃の女子達が集まっているのであるから、いうなれば毎日が修学旅行状態というやつで、慣れてくれば愉快な生活であった。

しかし、2年生になり受験期を迎えるとそうもいかなかった。寮に住む学生には、就職活動をする人も、同じく編入学を目指して受験する人もいた。そのスピード感は当然に差が出るもので、早期に自身の進む道を決め残りの学生生活を謳歌する者もいれば、なかなか結果が出ず苦労が続く者もいた。

私はといえば、もちろん後者だ。最初に受験した学校からはすでに結果が届き、早速不合格通知をもらって早々に自信を喪失していた。(そう、意志が弱いのだ…)
そうはいっても、短期間で一気に試験日程を進める学校が多い編入学受験では、結果に一喜一憂している暇などなく、合否もわからぬまま次の学校の試験に備えなければならないということもざらだった。

何校目かの受験の日、山形県から電車で北関東の某都市まで出向き、半日強の試験日程を終えたころ、私の気力は底をついていた。
前回の試験はどうだったろうか…そんなこと考えていないで今日の試験に集中しなければ…一緒に試験を受けたあの子は自信がありそうだったな…
そんな頭で取り組んで、万全の力など発揮できるはずもない。
試験が終わったと同時に頭の中は真っ白になり、結果は見ずともわかりきっている、そう思いながら会場を後にした。

電車を乗り継ぎ最寄り駅に到着したころにはすっかり夜も更けていて、昼間の外の暑さと試験の緊張で噴き出した変な汗が、夜風でガンガン冷やされるのを感じながら、フラフラの足で寮までの数キロを歩いた。
やっとの思いで部屋にたどり着いたのは消灯時間ギリギリという時だったが、部屋にはまだ煌々と灯りがついていて6~7人が部屋に溜まっていた。いつもの光景だった。みんな特に何をするわけでもなくなぜかこの部屋に集まって、中身のないおしゃべりをしたりするのだった。

いつもであれば私も参戦するところだが、到底そんな元気はなく、さっきまでの鬱々とした気分と部屋の雰囲気とのギャップにやられて、むしろ疲れが増していた。
みんな気楽そうにしやがって…もう今日はネガティブな感情しか浮かばない。夕飯は食べていなかったけれど、シャワーを浴びて早々に寝てしまおう…そう考えていた時だった。

「先輩、ごはん食べてきたんですか?」
ルームメイトである後輩に声をかけられた。彼女は1年生だけれどしっかり者で面倒見がよく、学年問わずみんなのお姉さん的存在だった。料理が上手でよくみんなのリクエストに答え手料理をふるまうこともあった。
「パスタ、ありますけど食べたいですか?」
その日は、隣室の子のリクエストでトマトパスタを作っていたらしく、材料とソースが余ってるからすぐできますよ、とのことだった。
「じゃあ、お願いします…」
予想外の提案に、なんだか深く考えることもできず、二つ返事で甘えてしまった。今日はもう疲れ果てていて、食欲なんて残っていないはずだったのに…。私は少しの間、怒られた後の子供みたいにおとなしくトマトパスタが出来上がるのを待った。

「できましたよ~」
30分もしないうちに、彼女はもうもうと湯気の立つお皿を抱えて戻ってきた。白いお皿にこんもりと盛られた真っ赤なトマトソースのパスタ。細く切った厚めのベーコンとしめじがごろごろ入っている。立ち上る香りを吸い込むと、全身の力が抜けていくのが分かった。
冷静な頭で考えれば、こんなもの夜中に食べるもんではないというのは確かだが、その時はそんな罪悪感のようなものは一切頭をよぎらなかった。
「いただきます」
フォークに巻き取ってゆっくりと口に運ぶ…おいしい。
甘くてすっぱくてじんわりと温かいソースが空っぽになった体にしみこんでいく。ひとくち、またひとくち。なかったはずの食欲が嘘のように、食べれば食べるほどおなかがすくような不思議な感覚になりながら食べ進めた。
「ごちそうさまでした」
おなかが満たされて、冷えたからだが温まった。
それだけで、さっきまでの鬱々とした気分は驚くほど軽くなっていた。受験への不安も、周囲への恨めしさも、状況は何も変わっていないはずなのに、心がうんと軽くなった気がした。
そうか、私は腹が減っていたのだ。と、その時初めて気が付いた。

暖かい食事を用意してくれた彼女に、心からのお礼を言って、その日はすぐ眠りについた。
明日から、また心新たに頑張ろう!…というほど回復したわけではなかったが、彼女が作ってくれた暖かい食事のおかげで、まだもう少し頑張ってみるしかないなという気持ちになれたことは確かだった。

その後、私は何度かの試験て、無事編入学を果たすことができた。あの時、傾きかけていた心に元気を取り戻すきっかけをくれた彼女のパスタのことは、短大を卒業して8年近く経った今でもはっきりと思い出すことができる。
人間、腹が減っているときに考えることなどろくなことはない。
もう食事なんかとる気にもなれない。そんなときほどおいしいものを食べて平常心を取り戻す。そうやって、明日からの毎日も一歩ずつ前に進んでいく。
ほんの少しのことかもしれないが、あの真夜中のトマトパスタから、そんな大切なことを勝手に教わったような気で、今も毎日に立ち向かっている。

#元気をもらったあの食事

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