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ハワイで見たドッペルゲンガー?

幼い頃から変な【勘】がきく出来事が多かった。
でもどっちかと言えば良くない方の予感があたる感じ。
例えば
『転校するとお別れ会とかやってもらえて主役になれる。どんな気持ちなんだろう』なんて考えてたら数ヶ月後急な引越しで転校したり。
『事故で親が死んでしまう番組を観て、親が死んでしまったらどんな気持ちなんだろう。』縁起でもない事を考えてたら父が事故死。

小さな事ならもっとたくさんあった。

でもいい事もあり『あの人と付き合う』と妄想してれば会社一のモテ男と付き合い「なんであの子なの?」と言われるなんてしょっちゅうだった。
あ、因みにワタクシは幼い頃から母に「ブスに生んでごめんね、不憫で仕方ないよ。。。大人になったら整形とかもできるから。」と真剣に謝られるような顔です。そしてそんな言葉で育ってきてるので性格もブスです。
でも、何故か『この人と付き合う』はかなりの確率で現実化してた。

友人と初めてハワイに行った。ワイキキビーチでワタクシはビーチではなくホテル群を見上げた。貧乏旅行のワタクシ達は路地を2本ほど奥に行った安いホテル。目の前には当時ワイキキ一番の高級コンドミニアム。
下から上へ見上げると上層階のラナイから海を見ている母と5歳くらいの男の子。『あそこから見る海はどんな景色なんだろうと思うもその景色が想像できた。不思議な感覚だった。

翌年はバリ島に旅行に行った。なんだかのキャンペーンで『20,000円プラスで高級ホテルに変更できますよ』と美人な担当のうまい言葉に乗せられて身の程知らずの高級ホテルに変更した。
この20,000円の選択が人生を変える出会いに繋がった。

そこで知り合ったのはアメリカ人男性とトルコ人男性。日本語も通じない。ワタクシに関してはAからZまで唄わないと言えないほど。
ただ笑うだけのコミュニュケーション(笑)一目惚れしたトルコ人男性はほぼ無視。そんな経験から英語を勉強しようと翌年にはシドニーへワーキングホリディに行った。努力虚しく英語力は全く変わらず。。。

帰国後、お付き合いしたクソ男と同棲〜妊娠〜結婚〜離婚というありがちな人生を着々と歩み息子が4歳の頃、実家で久しぶりにいじったPCに届いていた何通かのメール。バリ島で知り合ったアメリカ人男性から「どうしてるの?元気なの?」実はバリ島から戻っても何度か会っていたのだ、彼は日本支社で働いていたから。

久しぶりに食事に行く事になりシドニーから離婚のこと、シングルマザーでいる事などを話した。当時お付き合いしてる彼のことなども。
日本で【バツイチ子持ち】は人権がないのかというくらい住みにくくアメリカのそれとは違うなんて愚痴をよく言ってたなぁ。
ある日お付き合いしてた彼と別れて仕事にも疲れネガティブモードの時に愚痴ったら数日後「息子と息抜きに行っておいで。」とハワイ旅行をプレゼントするとパスポート情報を教えるとホノルル行きのチケットが届いた。
「僕は仕事で行けないけど空港から全部手配してあるから楽しんでね」

貧乏シングルマザーがビジネスクラスでハワイへ行きお迎えのリムジンに乗りホテルへチェックイン。。。気分はプリティウーマンだ。
5歳の息子は初めての飛行機に目をキラキラさせて長いリムジンに興奮し、それでも貧乏性でふたりで隅っこに座る(笑)
ホテルのフロントでは「〇〇様のお部屋ですね」とキーがなければエレベーターのボタンすら押せない高層階。わけがわからず広い部屋に案内され腰を抜かすことになる。映画で見るような広いリビングに大きなふたつの寝室。部屋付きのバスルームはジャグジー。たくさんのフルーツやチョコレート。
そして全面オーシャンビューのラナイに出た、息子が恐る恐る後ろから付いて来た。素晴らしい景色が広がる、なんだか懐かしい気分。。。
ワイキキビーチを見下ろした。
そう、10年前のあの時に見たあの高級コンドミニアムのあの部屋にいた。
あの時みた親子は。。。。10年後のワタクシと息子だったんだと若い頃よく感じていたあの「勘」が現実化した時の気分が甦った瞬間だった。
アメリカ人男性はそのペントハウスのオーナーだった。

あの日を境に【勘】に逆らわず生きてみようと思うようになった。『保育園でハーフの赤ちゃんを見て可愛いなぁ、ハーフちゃん』そんなこと考えてたらまさかのアメリカ人男性の子を身篭り(ピルを飲んでいたし一晩しかベッドを共にしていないのに産婦人科医も驚く奇跡の妊娠。。。)可愛い娘に恵まれたり、「〇〇にマンション欲しいな」マンションを憧れの街に買ってもらい「長い休みはハワイの学校に入れたい」年に数回はハワイで過ごし。。
でもね、悪い【勘】も相変わらず現実化してて『なんかおかしいな』娘父が実は既婚者だったり(娘が1歳半の時に判明)『この人が貧乏になったらどうするんだ?』30数億の別荘まで持っていたスーパーリッチだった彼のリーマンショックでの破産だったり。。。

それを界隈では【引き寄せの法則】なんていう人もいる。
でもね、、、、、

あの日にワイキキビーチから見た親子は確実に10年後のワタクシと息子だったと今でも思う。
あの日からアンテナを張って生きるようになった。20,000円のプラスで変えたホテルが人生を変えたように直感に従い動いている。
そう、今でもその【勘】は続いてる。






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