不妊との闘いは義母との闘いだった話④
今みたいに技術の進んだ時代に私の話は古すぎるかもしれない。でも嫁姑問題は変わらないと思うので聞いてくたさい。前回の話しです↓
前回の記事にあった「義母が大爆発」は、要するに、晩酌で飲みすぎた義母が「3年経っても赤ちゃんが出来ない、もういやだ」と泣き始めてしまった事。そんな時代劇をテレビでやってて(そんな放送しないでほしい)それに触発されたらしい。義父はすぐ止めてくれたけど。夫はその時もその後も何も言わなかった。次の日は全く誰も何もなかったように振る舞っていた。
だけど私は1週間くらいは(上京して心機一転やりなおそうかな)と考えていた。でもその時私はまだ27歳くらい。いくら何でも早まり過ぎかなと思って。
そのうち結婚して5年も経ったら赤ちゃんの事は誰も言わなくなった。私も仕事が面白くて夢中だった。そんな時思いがけず妊娠。「諦めたら妊娠って良くある話しなんですよ、アハハ」と医者が笑った。(アハハじゃないよ)と思った。そして一人目誕生。
二人目はその6年後にできた。義母は「私らが若いうちに2人目作ってよ。わざと作らないんでしよ」と言ってたがとんでもない濡れ衣。何故か6年かかったのです。
2人目が産まれて姑も満足したらしい。ようやく11年の嫁姑妊娠戦争?は幕を閉じたのです。
お読みいただいてありがとうございました。