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0042.note恐るべし

俺が使っているパソコンは、NEC LAVIE Direct PM 。PM は、Pro mobile の略。2022年3月30日に購入した。その前は、NEC LAVIE Direct HZ 。HZ は hybrid Zero の略。2017年1月18日に購入した。

どちらも 13.3型ワイドのノート型パソコンで、どちらも NEC のオンラインショップで購入した。さらにそのまえ、ケーズデンキで唐突に、15.6型ワイドのノート型パソコン NEC LaVie S を買って、NEC のサポートが良かったので、次も NEC を選んだのだ。

仕事でパソコンを使ったことはない。パソコンに触れるような業種でもなかった。トラックドライバー、タクシードライバー、トレーラードライバーといった、車を運転する仕事しかしてこなかった。特にトレーラーの運転は好きだった。しかし、2014年9月16日、俺は脳出血を発症した。軽いが片麻痺へんまひという後遺症が残った。2か月の入院と、自動車運転の可否を判定するための 9か月が経ち、勤務に復帰する直前に、勤めている運送会社から、解雇を通告された。

俺の勤める運送会社は、コイルセンターに専属で入っている。コイルとは鉄製品の母材となる、薄く長い鋼鈑を巻きとったもので、コイルをスリットコイルや鋼鈑に加工するのがコイルセンターである。加工されたその鋼材を俺たちは工場に配達しており、トレーラーは最大30トン弱の荷を運ぶことができる。そして、そのコイルセンターの責任者が「一度なった人間はまたなる、その人間にうちの荷は任せられない」と会社に言ったらしい。そのコイルセンターの仕事以外の仕事は無いに等しい小さな運送会社だったから、俺は会社を解雇された。

鋼材トレーラー、ネットからパクったが、まさにこんな感じ

まあそれはいい、トレーラーの運転と会社の仲間は好きだったが、そのコイルセンターが嫌いだったから、負け惜しみじゃなく、せいせいした。無職になったので、失業手当を受け取りながら、再就職のために、厚労省系のあらゆる免許・資格を取りまくった。一番欲しかったラフテレーンクレーンのオペレータに必要な「移動式クレーン運転士免許」と「大型特殊免許」も取得できた。クレーン学校で操縦したラフテレーンクレーンで、俺はクレーンオペレーションと相性がいいと思った。ラフテレーンクレーンとは、主に建設現場で使われる移動式クレーンの一種である。下部走行体がキャタピラではなくタイヤなので、公道を自走できる。通称ラフターと呼ばれる。

ラフター = ラフテレーンクレーン(rough terrain crane)

しかし、若くもない未経験の俺を雇ってくれる会社があるはずがない。ラフターのオペレータは車の運転と違って、現場に出るとき最初からワンオペだ。なぜなら、運転および操縦席が単座だから。そして俺は難聴だ。クレーンのオペレータは無線の指示で、重量物を釣り、移動させる。ミスは許されない。果たして難聴の俺に、無線の指示をまともに聞きとることができるだろうか。いや、あまりにもリスクが大きすぎる。ラフターのオペになりたくてなりたくて免許を取った。しかし、現実を直視したとき、それは、土台無理なことだと思った。俺は、ラフターオペになることをあきらめた。

その後、トレーラーで廃材を運ぶ運送会社に雇ってもらって、一日だけトラックを運転したが、ダメだった。荷台に昇ることすらまともにできない。降りるときは足がすくんで降りられなくて、はしごをかけてもらって降りた。たった 2か月の入院生活が筋力を大きく落としていた。病院を退院後、ジムに通っていた。専属トレーナーも付けてもらっていた。でも、その効果はなかった。たぶん、俺の体力は、後遺症である片麻痺と入院で、一気に10歳以上、歳取ったのだ。トレーラードライバーでの復職もあきらめた。

エンジンまたはモーターである生体の筋肉は鍛えれば太くなる。しかし、そのモーターを動かすための電気系統である脳神経系を俺は損傷してしまった。脳神経系は筋肉のように鍛えることができない。脳出血直後の急性期のリハビリというのは、その損傷した脳神経系に代替回路を作るようなことらしい。その急性期のリハビリによって、かなり麻痺は改善した。しかし、そこまでである。退院後、どれだけジムで訓練しても、左だけパワーは戻らないし、手足ともに動かし方が下手だ。

くよくよしてもはじまらない、俺は 2015年4月、パソコン教室に入校した。

  1. 手指のリハビリのため

  2. これからの時代、パソコンが使えないと厳しい

  3. 町会の回覧板の押印名簿を、手書きじゃなくきれいなフォントで作りたい

この 3点の理由からであり、入校はおおむね成功だったと思う。そして、ネット通販のために、クレジットカードも初めて作った。

しかし、COVID-19パンデミック(コロナ禍)が、俺の生活にも影を落とした。パソコン教室には電車で通っていた。引き続きジムにも行っていた。2020年3月から、自己判断でどちらも行くのを止めた。運動不足は極まった。パソコン教室の受講生向けのブログサービスを毎日アップロードするのが楽しみになった。そしていま、コミュニティの狭い教室のブログのアップロードは止めて、note で毎日テキスト投稿している。

パソコンで金を稼ごうとは思っていない。ただ、パソコンで文章を書いていると気持ちがいい。そして、MacBook とか、ポメラとか、MagicKeyboard を付けた iPad とか、気持ちがぐらんぐらん揺れてしまう情報を目にしてしまうことが多いけれど、俺はこれからも NEC LAVIE でいい。いまの PM も、HZ と同じように、2回バッテリィ交換したら、後継機に替える。たぶん…。

パソコンのことを書くだけのはずだったのに、なんと、こんなことまで書いてしまったではないか。note、恐るべし。( ̄_ ̄)

柳 秀三




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