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僕のさいしょの恋愛詩の対象が、いま、夜の東京にいると思う

僕のさいしょの恋愛詩の対象が、いま、夜の東京にいると思う

青松輝「4」より

青松輝さんの「4」に収められている歌の中で、僕がかなり好きな歌です。

以下この歌から感じたことです。

まずこの歌を初めて読んだときに、「さいしょの恋愛詩の対象」という表現に目を惹かれた。これが恋人のことなのか、それとも恋は実らず片思いで終わってしまった相手のことなのか、読んだ人それぞれが想像するものがあるだろう。

「さいしょの」はもう自分とその相手との恋路は終わりを迎えていることを示す。
でも「恋愛詩」になるようなその相手との記憶は間違いなく甘酸っぱく、儚くもかけがえのないものなのだろうと想像せざるを得ない。

その相手はいま、「夜の東京」にいる。
この「夜の東京」が持つそこはかとない寒さや広さと「さいしょの恋愛詩の対象」のもつあたたかさや限定性との対比が堪らなく美しい。

「さいしょの」と「いま」。過去と現在の時間の隔たりをこう表現するのがすごくおしゃれで魅力的に感じられる。「いま」に対して「さいしょの」。悔しいほどに良い。

少し肌寒くはあるが、雨は降っていない、そんな夜。そんな夜に思いを馳せる対象はきっと「僕のさいしょの恋愛詩の対象」であるのだろう。

この歌全体を通して、世界観が完全に出来上がっていて、没入感が非常に強いと感じた。

こんな詩を作ることのできる才能が羨ましい、そう思った。

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