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あなたの代わりはいくらでもいる

いきなり衝撃的タイトルでびっくりされましたか?
誤解のないように最初に言っておきますが、
代わりはいくらでもいるというのは、あなたは
取るに足らない存在である、という意味ではありませんよ。
あなたも私も間違いなく、唯一無二の尊い存在です。

では代わりはいくらでもいる、という言葉で何を表現したいのかというと

あなたが役を降りたら誰か他の人が務めるだけの話だから肩の力を抜いていいし、必要以上の責任感や罪悪感を持たなくて大丈夫だよ!!

ということです。

人によって差はあると思いますが、人は生きていれば誰かの役に立ちたいとか、人に影響を与える存在になりたいとか思うもの。
そういった健全な貢献心というのは生きていく原動力になるので必要だと思います。

でも貢献心が行き過ぎれば犠牲的になったりもするし、逆に自分は影響力のある人間だと傲慢になったりもする。

私は、自分を犠牲にするのも傲慢になるのもあまり幸せな生き方とは思えないです。
自分のせいで誰かが辛い思いをしているとか、不幸にしてしまった…そんな風に罪悪感を抱くことって、皆さんもきっと経験ありますよね?

実際、そうだったとしても、でも自分が他人の人生に介入できる割合ってそんなに大きくないと私は思っています。
自分じゃなければ誰か他の人があてがわれていただけの話かもしれません。

みんな色々な経験をするために、お互いがお互いの人生を彩るための舞台の出演者を演じているだけ。
そう考えたら身に覚えがなくても、お互いの合意のもと、この人生のどこかで落ち合うことが決まっていたのかもしれません。

みんな自分が決めてきたことなんだ、と思ったほうが腹をくくって自分の人生を生きられる…
そんな気がしませんか?

あなたはわたし、わたしはあなた
ワンネスという考え方に少しでも
共感や理解を示すことができる方ならば

あなたの代わりはいくらでもいる

この言葉を聞いて寂しいと思うことはあったとしても、傷ついたり怒り狂ったりはしないはず。

だって
あなたはわたし
わたしはあなた
なんですから。

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親が子育てを放棄するとかはこの範疇に入りません。
でも親が、もしくは子どもが、相手を背負いすぎる必要はないと思っています。
息子が小さい頃は子育てにプレッシャーを感じていました。
自分の教育次第で息子の人生を左右してしまうと思ってましたから…。 
もちろん関係はあるけれど、全てではないんですよね。
家族でも、それぞれの人生を個々に生きる。
責任は自分にある。
重荷をおろして軽い足取りで生きていきたい。


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