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私を創ってきた事と本当の私になる事①

はじめに、自己紹介で早速、noteをnotoと間違えてしまいました🤣
誤字脱字は私の得意分野です😁
見つけたら、笑っていただければ幸いです。

『私を創ってきた事』

これからお話しする事は、その事を批判するために告白するのではなく、私がどんな環境で生まれ、育ってきて、物事の考えや思考が形成されたのか、これは私が氣づき学んだ一つの捉え方です。
ですので、団体名、氏名などは使いませんが、お察しください。

私は、学会っ子2世として生まれました。命名もその先生からいただものです。両親は共に活動家。朝から夜まで活動、お留守番は当たり前。3人姉妹の長女として育ちました。
私も純粋にその中で、生きてきました。未来部、学生局、女子部、婦人部と。結婚相手も学会の方。
途中、学会の中で人間不信になり、うつ状態、引きこもりにもなりました。その時初めて、死にたいと思い手首にナイフを当てました。
それを止めたのは、「人は幸せになるために生まれてきた」との先生のお話でした。そこから、お題目をあげる中「この苦しみは、人の心の痛みをわかるためだったんだ」と思えた時に感謝に変わりました。
この抜けたような感覚は今でも鮮明に覚えています。光が内側から宇宙へ繋がった瞬間でした。そんな体験は私の信心の確信を深めて行きました。

ですが、今、私は学会にはいません。離婚を機に、一切の関係をブロックしました。
あんなに純粋に、学会員さんのために活動していた私。先生を人生の師匠としていた私が、
です。

ここに宗教、組織、団体と言う落とし穴に、私の捉え方、思考形成が間違った方へと向かって行ったのだと思います。
その形成がいつしか、違和感へと変わり、幸せを感じる所か、日々の活動が苦しく、何を一番大事にするのか?全て学会、組織のために身を捧げる事が本当に幸せなのか?現実の教育費はどう稼ぐのか?
お題目をあげても葛藤が続きました。
でも、この苦しみは自分が悪いからだって、思っていたのです。自分を大事にすると言う指導より、宿業だから乗り越える。だから頑張る。そんなスパイラルにハマっていったのです。

私が純粋に楽しく活動していた頃、周りの人に認めてもらい、褒めてもらい、注目してもらう。頑張れば、前に出て目立つ。それが、いつの間にか、エゴの心を育てていたように思います。役職が上がる事が偉くなるのではない。とわかっていても、心の片隅にエゴが潜み偉くなっている錯覚が育っていたのだと思います。
その錯覚は、学会員は学会でない人より凄いんだ。と言うものになるのです。

そんな歪んだ形成をしてしまった私は、違和感を抱えながらも、子どもの教育費、生活費のために社会へ出る事になります。
その時、外へ仕事なんてするものではない。学会活動が1番。旦那の親に嫁の私が話しをして、経済の援助を受けるようにしなさい。とご指導?
を受けた時は、それは違うと反発が沸きました。
ごく一部の人の意見に過ぎない事でしたが、、、
今、思えば私が引き寄せた人なんですが。

その反発は、大きく人生を動かす事になりました。

つづく

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