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ナエドコを卒業して、私が気づいたこと

2年前の脳出血

私は2人の子供がいますが下の子を妊娠中に始まった娘の赤ちゃん返りをきっかけに産後にメンタルの病気になりました。育休明けに無理して復帰するもストレスが加わって体調を崩し、長期の休職後に退職しました。

長い療養期間中は体調が悪い時期がほとんどで子供達を保育園に預けている時間はずっと寝ている生活。子供達も手がかかったので、必死でした。。

そして、2年前に夜中に起きた時間に階段から転落し、脳出血になってしまいました。落ちたところは誰も見ておらず、私も全く覚えていなかったので気づいたら手術室のベッドの上でした。
退院してからも普通の生活が送れず、少しの時間起きてその間に家族の食事は作らないといけない毎日が待っていました。

脳の後遺症は見て分かりやすいものではないので、否定されることも多くリハビリを受けたいといっても専門の病院に繋いでもらうこともスムーズに行かず、諦めろと説得されることが何回も続きました。

診察を受けられる病院にようやくたどり着いたものの、入院するには家族の食事を作れないということがどうしても私には引っ掛かってしまいました。私がいなかった1ヶ月の間でも、めちゃくちゃになってしまっていたからです。
支援の方には回復のためには入院した方が絶対に早いから!と何度も説得されましたが、私は断って自宅で地域の支援を受けながらリハビリすることにしました。

次の課題は社会復帰すること

地域の支援を受けながら生活の練習を始めましたが、うまくいかないことばかりで変わってしまった自分に戸惑うばかりでした。なかでも、記憶障害や脳疲労はなかなかつらいものがあります。

料理ができるようになってきて、福祉サービスの生活訓練に慣れてきた頃に、今の私なら頑張って努力すれば社会復帰できるかもしれないと思い始めました。技術を身につけて仕事をしたいと思い、SHElikesで勉強を始めました。

ナエドコに入って

勉強する中で、ブランディングの講座でなるみさんに出会い、なんて魅力的な方なんだろうとファンになってしまいました。
そして、それからTUMMYってどんな会社なんだろう?ナエドコって?と興味が沸き、コアメンさんのTwitterも追いかけるようになりました。少しでもTUMMYに関われたら私は幸せだなと思っています。

ナエドコは入ってみて、こんな幸せな世界ってあるの?信じられないという気持ちでした。

私には食に助けられた思いがあって、パン作りのリハビリが料理の練習に繋がった経験があります。
そして、同じ後遺症で作る喜びを失っている仲間の力になりたい気持ちや、病気や障害で楽しみを持てない方たちと一緒に手作りをする教室をいつかやりたい夢があります。

ナエドコに入るまではこの話はほとんどした事がなく、受け入れてもらえないものだと思っていました。でも、ナエドコは全部受け入れてくれて、応援までしてくれるんです。皆さんがすごく暖かくて、本当に幸せな時間でした。

そういう充実した時間を過ごしているうちに、私が今通っている教室にこのまま通うべきなのか悩み始めました。私は後遺症があるため、話が流れるように続いたりすると覚えられないし、手つきを覚えるというのがすぐにはできません。
メモを取りながら説明を聞くのも私にはとても難しいのです。そして、進む速さについていけません。質問もうまくできない。

それを最初に説明はしたのですが、理解してもらうにはなかなか難しく。。
冷たくなるばかりで、なんだか全然楽しめない、どうしよう。。

私は悩み出したらわりとずーっと悩んでしまうので、まだ結論は出ていないのですが、やっぱり私に合う環境で続けていきたいと思うようになりました。ナエドコが快適すぎて、我慢しながら過ごす環境が私にはもう無理だなと思えてきたのでした。

前から通いたかった学校もありますし、私なりに進んでいけばいいや!という気持ちでいます。

来年の頭にはどうするか先生に伝えてスッキリして再スタートしたいと思います。

そして、来年はチームTUMMY、ピアスタッフのお仕事も始まります。勉強の方も頑張りつつ、両方とも楽しめたらいいなと思っています。

それでは、また!









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