悩まない 母親なんていない💗 だけどね·····敢えて悩まない🍀*゜
こんにちは🍀*゜
八月に入って ますます夏真っ盛り☀️🍉✨
今日は
思春期息子クン(高校1年)と 日々葛藤されてる
お友達の『どうしたらいいですか?』に
私なりに考えてみたことを書いてみる
の お話。
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友達が欲しいのに
自分から行動はしたくない。
みんな話しかけてくれない。
こんな息子にどんな言葉を
かけたらいいんだろうか?
私が思いつく限りはアドバイスしてきた。
外にばかり求めてる。
全く行動してないわけではないが
諦めるのが早すぎる。
どうしたらいいですか?
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そんな 投げかけでした。
その方(と、息子クン)の背景というのが
中学生後半、不登校でいて
親子で向き合いながら
ひとまず通信制高校に進学されて
そこから今度は
お家を離れ、下宿しながら高校に通う道を
決めて 歩み続けていらっしゃるとのこと。
それだってスゴいんだけど
日々、日々 成長していく中で
きっと とても繊細な息子クンなりに
いっぱい葛藤しながら いるんだなぁって
私は近くにいる訳ではないんだけど
時々 日々の想いを発信されてる彼女の
お話を拝見しながら
私自身の子供たちと過ごした日々を振り返り
想いをめぐらせるのです🕊✳️
私が思ったことは
ご自身もきっと色んな学びの中で
思い至った考え(ご本人が仰ってた)
『私は私。息子は息子。』
『息子自身がどう思うのか。どうしたいのか。』
それに尽きると 思うんです。
私の子供たちは もぅ既に成人し
私の手許からは離れ巣立って行きましたが
子供たちが小学生ぐらいの頃だったか·····
私の中で一つの指針を持っていました。
彼が生きていく中で
彼に降る雨は 彼が傘をさすなりすればいい。
私に降る雨は 私の傘をさす。
意味、伝わるかなぁ。
人生、晴れの日ばかりじゃない。
多少の雨も降る。寒い日も酷暑の日もある。
晴れは 分かりやすくHappyで心地よかったりするけど
雨をネガティブと決めつける必要なくて
雨に打たれているとき
『可哀想』『何とかしてあげなきゃ』と
反応して動くのではなく
敢えて動かないでいる。
愛でほっとく。見守る。
やってあげれない訳じゃないし
やってあげた方がよっぽど簡単、こっちも
スッキリする。
でも、ここなんだよな·····って思って。
一生懸命でやさしいお母さんは
ココ!
我慢しどころなのよ~\_(・ω・`)ココ重要!笑
『 思いつく限りのアドバイス 』
敢えてしない。
(気持ちは分かるよぉぉぉ~!!!! そして、
とは言え 過去私も時々やっちゃってた。笑)
本当はね。
息子クンには
『友達が欲しい(作りたい)』って思った時点で
もうそれを叶える世界を持ってる。
本当は全然大丈夫✨なの。
その分野で得意としないタイプだとして
すんなり行かないふうだったりするかも
だけど
その道すがらに いっぱいの実りを得られたりするものなので·····🍀*゜
でも、敢えて” 出来ない ” とグズグズ言ってみせてるだけ·····なんじゃないかなぁって。
意識の学びをされてる方なので
敢えて言わせてもらっていいかなぁ?
(愛と思って聴いてくれると信じて💗)
『言ってみせてる』。
それは もしかすると 潜在的に
お母さんがそれを望んでるからじゃないかな
って思うんです。
『私が何とかしてあげなきゃ』な世界をね。
(悩みと感じてるのに まさか!と感じるかな)
そして
その『言ってみせてる』手にまんまと乗せられてアドバイスするっていうことは
協同者になる(責任を請け負う)ことになるわけで。
本人(息子クン)は無意識の意図で
本気でそこに取り組まずいて
思った様にいかなくても
アドバイスくれた人(お母さん)のせいに
出来ちゃう『逃げ道』を作ってる訳です。
そぅなると 不毛なモヤモヤループ🌀
誠心誠意、思いつく限りのアドバイスする
在り方は
愛からの行動、思考であることに
間違い無い✨と思うし
その心は素晴らしいと思うんだけど
高校生にもなる子の友達作りに
責任なんて負えないじゃない?現実問題🙄
息子クンは友達を作っても 作らないでいても
どちらだっていい。
どちらだって幸せ。
そして この時期の子は特に
母親の前では 本当の自分を出さないで
いたりするものじゃないかなぁ。
本当は 分かってるし
本当は出来る。
今、そうは見えないようでも学んでる過程なんだと思うの。
彼の人生であり 私はわたし。
今までの人生の中で
母親が子供を幸せにしてあげる。
子供の『なにかの時』には
母親の私が救ってあげる。
助けになってあげる。
母親とはそういうものだと。
そして、その事で
母親としての自己価値を確認してきた。
逆に言えば 自己価値をそこに求めてきた
っていう部分が
多くの場合あるかも知れないなって。
だからと言って、それを
『悪』(イケナイこと)と思う必要もなくて
実際、だからこそ
子供たちは そんな母親の愛に守られて
安心・安全に育って生きて来れたわけだし。
すごく大切な部分だよね💗
(よくやった!!✨💕 と褒め褒めしよ💗)
でも、徐々に
必要な事や必要な分量って移ろいでいく。
母親の仕事としては
最終的に子供自身の生きるチカラを付けてあげること·····っていうか
本来は 生きるチカラを持ってるものだから
それを信じて そっと手を離すこと。
昔と違って
家事も全自動。育てる子供の数も少ない。
必然的に 子供ひとりに掛けられる
目も手も そして口も·····笑
知らずのウチに過剰になるんだと思うの。
だからこそ
意識的に引き算が大事かなって思うんです。
そして、やっぱり大切なのは
『私に降る雨は 私の傘をさす。』
母親になると特に·····かな。
『私』を 雨ざらしで放置しがち🙀笑
自分のやりたいことやらせてあげてる?
そもそも 自分のキモチ
”無いモノ”にしちゃい勝ちじゃない?
自分の気持ちに寄り添うこと。
そのままの自分を受け止め『️⭕️』をあげること。
わたし自身、わりと最近まで
それが出来てるとか出来てないとか自体
よく分かってなかったよ🙈💗笑
思春期の子供との実際の毎日は
目の前の 言葉や態度に気持ちが反応して
焦ったりモヤモヤしたり
どうしても しちゃうよね💗
それだっていい。
人間だもの。 (みつを 笑)
このモヤモヤや先の見えない不安
『そもそも誰の持ち物なのか』を見定めて
いっちょ腹括って見守る覚悟︎︎👍🏻 ̖́-
それを体験し、親の自分が成長する
そんな『今』なんだな~🍀*゜って
ユルっと構えつつ
俯瞰の位置に立ち返って
そんな子供たちも
そして 自分自身も愛でていく。
豊かで実りある人生
上等じゃねーか✨✨笑
と。
そんな事を思うのです。
何か、誰かのヒントになれたら幸いです✳️💕