エゴ


昔、小学校の壁に他己中という言葉が貼られっていたのを今でも思い出す。
小学生の時の自分はタコだのイカだの考えるだけだったが特に小学校の時に押されたのがそれだった。

小学生の頃も今もそうだが自己中と周りからは思われているだろう。
ただここ数年においては自分にとっての自己というものには意味がひっそり付いた。

「エゴ」「エゴイズム」という言葉を良く目にすると思う。
これは人の自分勝手さを表す言葉だ。
芥川龍之介の羅生門や蜘蛛の糸、夏目漱石のこころもそれについて描かれている作品だと思う。
だが大抵そういう作品ではエゴの愚かである部分が大いに描かれてしまっている。
だがしかし、決してエゴというものは悪だけとも限らないと私は考える。
善意もある種エゴの一種なんではないだろうか?

誰かのために何かをする、ボランティアはいい例だろうか。
人に何かをする、誰かが幸せになって欲しいと考えるのはエゴの一つだと思う。
そして社会というものもある意味でエゴによって成り立っているものだと思う。

ルールのエゴを出すのは決して恥ではない
だがいつかはエゴ同士で争ってしまうだろう。
そんな時にはまた別のエゴを傷つけていないか考えればもしかすると自を持って他と接することが出来るのかもしれない。

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