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土佐神社(とさじんじゃ)

こんにちは!
今回は私が行って良かった所を紹介しようと思います。土佐神社は、、高知県高知市一宮しなねにある神社です。

ご利益
家内安全、農産繁栄、建設、交通安全、病気平癒などです。

高知市北東部、南国市へと通じる逢坂越えの西麓に鎮座する[1]。『日本書紀』や『土佐国風土記』(逸文)の記述で知られるように古代から祀られた古社で、中世・近世には土佐国の総鎮守として崇敬された高知県を代表する神社である。

正確な創建年は不明ですが、雄略天皇の時代である5世紀後半(460年頃)といわれ、おそらく高知県で一番古い神社と思われます。 土佐神社については日本書紀や土佐国風土記にも記述があり、古くから土佐国の総鎮守として崇敬されています。土佐国を治めた歴代の領主からの信仰が篤く、とくに土佐の戦国武将・長宗我部元親公と土佐藩主・山内家から多くの寄進を受けました。 「土佐大神」「土佐高加茂大社」、「高加茂大明神」などとも呼ばれていて、現在の「土佐神社」という名称は明治以降の呼称です。高知では「しなねさん」や「しなね様」、「一宮(いっく)さん」として親しまれています。 神仏習合時代は四国霊場の札所で、納経は神宮寺や別当時(現在の善楽寺)で行っていました。 敷地はおよそ1万坪という広大さで、社殿の奥に広がる「志那祢(しなね)の森」を散策することもでき、高知県きってのパワースポットといわれています。 坂本龍馬が主役の大河ドラマ「龍馬伝」では土佐神社もロケ地になりました。

御祭神は古くは「土佐大神」といわれていました。「続日本紀」では奈良の葛城で雄略天皇と出会った「高鴨神」が不遜な態度で天皇の不興を買い、土佐に流されています。この高鴨神が土佐大神であるとされていました。 現在は土佐大神ではなく味鋤高彦根神(アジスキタカヒコネノカミ)と一言主神(ヒトコトヌシノカミ)の2柱が御祭神となっています。 味鋤高彦根神は大国主(オオクニヌシ)の御子で、「迦茂(カモ)大神」ともいう。 一言主神は「一言で物事を解決する」という託宣の神で、事代主命と同神という説もあり。 土佐神社には厄除け・縁結び・家内安全・交通安全・諸願成就の御利益があります。

鮮やかな朱色の鼓楼(ころう)も2代藩主山内忠義公が寄進したもの。慶安2年(1649年)に建立され、こちらも国の重要文化財に指定されています。 お寺ではこんな感じの建物の中に鐘がありますが、こちらは時を知らせるための太鼓があるそうです。だから「鐘楼」ではなく「鼓楼」なんですね。 二層目には山内家の家紋「三つ葉柏」がありました。

県道に面した楼門、かなり大きくて迫力があります。

この門は「神光門」といい、寛永8年(1631年)に2代藩主山内忠義公が建立したもので、国の重要文化財に指定されています。
楼門から拝殿までは長い参道が続いていて先が見えないほど。門から鳥居までの距離は300メートルほどだそうですが、もっと長く感じました。

この門の前は広いスペースになっていて、藩主が参勤交代のときに休憩するスペースだったとか。今でも高知では待ち合わせスポットとなっているそうですよ。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

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