粟井神社(アワイジンジャ)
こんにちは!
今回は私が行って良かった所を紹介しようと思います。粟井神社は、讃岐延喜式内神社二十四社の一つで、由緒ある神社です。
【ご利益】地域安寧、家内安全、学問成就
粟井神社(あわいじんじゃ)は、讃岐延喜式内神社二十四社の一つで一千年以上の昔より広く崇敬を集めてきた讃岐屈指の由緒ある神社です。かつては刈田郡(豊田郡。現在の観音寺市ほぼ全域と、三豊市の一部)の総氏神社としてその神域は宏大で、刈田大明神とも称されていました。天正年間、土佐の長曽我部が藤目城を攻略した際、社殿は兵火にかかり古記録は消失してしまっています。現在は約3000株の紫陽花が境内を彩り、あじさい神社として6月いっぱい県内外より多くの参拝者が訪れています。
由緒
創建時期は不明。讃岐忌部氏がこの地を開墾したさい、氏神の天太玉命を祭ったのが始まりと伝えられる。「粟井」は阿波国または安房国から転じたという。かつては刈田大明神と称し、苅田郡(刈田郡、神田郡とも呼称)の由来となったという。
かつての鎮座地は、現在の鎮座地より南方約600mの所という。大同2年(807年)に焼失し、寛弘元年(1004年)に杉尾神社(現・粟井神社境内社杉尾神社)の地(現在地)に遷座したという。
室町時代、藤目山の山頂には藤目城が築かれていた。天正6年(1578年)に長宗我部元親の手で落城する。この兵火で粟井神社も焼失し、建物のほか、記録や宝物も失う。後に、この藤目城二の丸跡が御旅所とされ、昭和初期まで利用していたという(現・粟井神社境内社藤目宮)。元和6年(1620年)生駒正俊により再建される。明治12年(1879年)に県社に列せられる。平成13年(2001年)、現在の社殿が築かれる。
住所
〒768-0052 香川県観音寺市粟井町1719−2
アクセス
高松自動車道大野原ICから車で13分(約7km)
最寄り駅
豊浜駅
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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