歴史
明治以降現在まで、150年余が、日本の最盛期黄金期であったと言える。
非常にローカルな偏狭な閉鎖空間である日本列島でも、花開く時があり、注目を浴び、評価されることがあったと言うことだ。
今後は、一隅を照らす存在として、思い上がらず、出しゃばらず、穏やかに、生きて行く道を模索すべきだろう。
日本スゴイ教の信者は、過去の栄光のノスタルジアにしがみつく、どちらか言えば幸せな境遇の人たちであると言えるが、時の流れは絶えずしてしかも元に戻ることはない。
いずれ現実を前にして、諦め、妥協して行くしかない。
世界の大舞台で、主役級の登場人物になれることはないし、なろうとして無理をすれば災いの元となるだろう。
緩やかな鎖国状態の、異次元異境の閉鎖空間、どれくらいの人口を養い得るかは、公正公平公開の度合、民主主義の達成の度合に正比例するだろう。
核汚染、気候変動、少子痴呆化など、課題は深刻で多々あるが、直接の外圧に晒されることはなく、それなりに何となく、対応解決して行けるのではないだろうか。
しかし、世界の様相は、今後大きく変わる。
恐らくそのスピードは、驚くほど速いだろう。
500年ほど続いた欧米人による世界支配が終焉し、地産地消の現地文明の連立状態の中で、経済とテクノロジーが激しく交差され、人類の生活様式の均質化が進むに違いない。
ウクライナ戦争によるヨーロッパの破綻、パレスチナ戦争によるアメリカとユダヤ人社会の破綻、これはもうカウントダウンに入っている。
戦争疲弊による当事者間の停戦終戦は難しく、仲裁者・立ち会い保証人を必要とするだろう。
その条件を満たしているのは、中国しかないが、外に出て積極的な役割を果たして行くには、中国自身にその余裕と必然が求められる。
サンフランシスコまで出向いた習近平だが、これから先が本番で、複雑な世界力学が待っている。
14億人のコスパは大きいが、世界全体は80億人いる。
文字通り物流人流の能力と言うことになる。
最新テクノロジーの汎用化大衆化は、中国の断トツの先行分野ではあるが、他民族他国民にとって中国は理解しにくい存在であることは確かだ。
漢字が世界文字になることは不可能で、言語や文明の差異は越えることは難しく、中国自身が歩み寄り、中国の方から入って行かねばならない宿命を背負っている。
キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、ヒンドゥー教にしろ、宗教は便利な居心地の良い道具ではあるが、反面その相剋は酷薄に陥る。
儒教も仏教も、その緩やかな曖昧さは、宗教とも言えぬほど特異であるが、そこに世界標準となり得る可能性が存在する。
日本の先駆的発展は、中国朝鮮に転移し、世界標準となる、それで十分ではないか。
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