さらば山の上ホテル

有休を取った日。
昨日の寒さはどこへ行ったのか青空も眩しく、お出かけ日和だ。
三田線の神保町駅で降りると、こっちの方だと当たりを付けた出口が想像と違う場所だった。
さぼうるがあったからなんとなくそれを目印に地図を思い浮かべると
ちょうど曲がったところがすずらん通り。
三省堂が建て替えのため更地になっているが、角にある古本屋があるビルは健在だ。

20年前、期待と不安に胸を膨らませて入学した母校の駿河台キャンパスを通り過ぎ、小道を左に入るとビルの陰で少し暗い突き当りに山の上ホテルはある。

無期限の休業に入るニュースを見たのは11月だった。
「これは天ぷらを食べないと!」六本木や銀座で食べるのは違う、本場で食べないとものすごく損した気持ちになって予約カレンダーに日付を打ち込むが、ことごとく満席。
ならばお持ち帰りのお弁当なら、と今日を受取日にして懐かしの駿河台にやってきた。

大学に入ったのに、(親に援助してもらって入らせてもらったのに)
私は就職ができなかった。売り手市場のあの年なのに就職ができなかった。
自分で何をやりたいのか分からず、かと言って働くということを現実的に捉えることができずに時間だけが過ぎて、卒業が迫ったちょうど今頃、とうとう心と体の調子を崩してしまい。「進路未定」で卒業だけした。

4月になり入社式のニュースが流れる頃、よろよろとベッドから起き、土気色をした顔で、死んだ魚のように濁った眼をした自分と鏡越しに目が合ったあの絶望感を今も私は忘れない。

それからなんとなくアルバイトの生活を送って、もう40歳に手が届くいい年齢になった。縁あって正社員で迎えてくれ、10年近く勤めた会社も来月退職する。転職活動はまだしていない。

ずっと、これまでの人生を、否定はしないが後ろめたい気持ちで生きてきた。「遠回りした自分」を表面上では認めながらも、脳みそにこびりついた他人への妬みや恨み、みじめな自分への怒り全部を受け止めることはできていない。

そういうわけだから、なんとなく、この駿河台あたりも訪れるのは避けていた。「もしあの時、こういう道を進んでいたら」「自分に気持ちを強く盛ることができていたら」そんな、もう一人の自分がいた可能性を見るのが嫌だったから。

山の上ホテル休館のニュースを見たとき、
ー私は、もし結婚することがあったら、山の上ホテルのような古くて、こじんまりとしながらも清潔で、趣のある所で結婚式を挙げたいと思っていたことー
そんなことを思い出した。
もう結婚も考えられない年齢になった今、この機会に山の上ホテルに行かないと、いつまでもうじうじした自分でいてしまう。そんな気持ちもあった。

久しぶりの神保町は平日の昼ということもあり人でいっぱいだった。
懐かしい山の上ホテルの看板を左に曲がって、ひっそりと佇むホテル。重厚な内装、クラシカルなスタッフの制服。少し低い?と感じる天井。
ケーキを買い求める列を横目に、予約の弁当を受け取った。
心の中でお疲れさまでした、とつぶやいて岐路につく。

とても晴れ晴れとした気持ちで電車に乗る。
私は私を大事にしよう、そう思った、そんな冬の1日の出来事。


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