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門出

東路の道の果てよりも、さらに少し奥の方、灰かぶりと名の付く城の城下町で成長した少年は、日本と全く異なる世界、異国に憧れを抱いた。いつの日か訪れたいと思いつつ、あらゆる手段を使ってそれを追い求めるうちに、憧れは次第に強くなったが、時代はそれを拒んだ。やっとの思いでその機会を手にしたのは、二十になる年、留学という形でそれは実現した。長年住み慣れたところから離れるのは名残惜しかったが、今しかないと決めて、九月十二日、残暑の成田空港から出発した。


イギリスのヒースロー空港に着いたのは、9/17日の7時過ぎくらい。大学までのバスが出発する11時までは、ベンチに座って適当に過ごした。バスの集合場所にいると、日本語が聴こえて少し安心した。そのまま大学の寮まで直行して、荷物などを置いたあと、すこし周りを散歩してみたが、さすがに疲れが出て寝た。

寮の部屋

2日目は、前日にバスで会った日本人と一緒にブライトン市内まで買い物に出かけた。途中でその人の知り合いとかと会ったりして、結局日本人4人になった。アメリカでずっと一人だったから、日本人といるだけでこんなに安心して動けるのかと思った。一人が英語ペラペラで、ブライトンに住んでいたことがあるらしく、いろいろ案内してもらいながら、買い物して、ビーチ沿いの店でフィッシュ&チップスとビールを食べたりした。18時からは留学生交流のイベントがあってそれに参加した。最初は日本人で固まっていたが、徐々にバラけていって、自分はずっと中国人と話していた。お互いにネイティブに話しかけに行くのは怖いよねぇみたいな話をした。その人が部屋に帰るタイミングで自分も帰ろうか迷ったが、ここで帰ると後悔すると思って、日本人とアメリカ人が話してるグループに参加した。そのアメリカ人はとても気前が良く、英語も聞きやすかったから、短い間だったけどよく話せたと思う。InstagramをQRコードで交換しようとしたら、こんなの初めて知ったと驚いていた。結局この日は、日本人の知り合いがめちゃめちゃ増えた。

ブライトンビーチ

19日はイギリスの女王、エリザベス二世の国葬が行われる日で、その日はお店が閉まるから気をつけてねと大学から連絡が来ていた。ロンドンに行って国葬を実際に見るという選択肢もあったが、そうはせず、学校主催のキャンパスウォークに参加した。そこでも2人の日本人と出会い、そのうち一人はサセックスの院生だった。歩いてるうちに割と打ち解けて、ブライトンでランチをしようということになった。ブライトンまでバスで行き、もう1人日本人と合流して、ビーチ沿いのレストランで食事をした。メニューが何を言っているのかわからなくて、お店の人に説明してもらったり、ロブスターを実際に持ってきてもらったりしたが、結局イギリス英語をうまく聞き取れず、なんとなく注文した。料理はどれも美味しくて、イギリスは飯がまずいというのは何処へ?。院生ともう一人の日本人は就活の真っ最中で、いろいろ悩み事があるらしくて自分も来年からは同じような悩みを感じるんだろうなと思った。寮に帰ると、キッチンで何人かが喋っていた。一人はフラットメイトでその他はその友達らしい。すでにもう何回かネイティブと話したが、自分が日本から来たと伝えると基本的に好印象を持たれる。「俺は日本の文化が好きだよ」とか「アニメ好きだぜ」とか。そういう点はこの時代にこの国に生まれてでとても良かったと思う。時代が違えば、出身国を言っただけで嫌われるかもしれないし。

何かわかんない魚(美味しい)

近くの郵便局までBRPを取りに行こうと、寮前のバス停に行ったら、日本語が達者な中国人と会った。その人も同じ場所にBRPを撮りに行くらしく、一緒にバスに乗った。BROはすんなりと受け取れて、その後近くのレストランでハンバーガーを食べた。おいしい。アメリカと比べて、チップが無いのも地味にうれしい。その後、その人に教えてもらったArgosというお店で、フライパンやら鍋やらがセットになったものを買った。全部で17ポンドくらいだったから、かなり安い。一旦寮に戻って昼寝をし、留学生交流イベントに少しだけ顔を出したあと、ブライトン市内を巡るバスツアーに参加した。2階建てのバスで、ビーチや港を2時間ぐらいで巡った。おそらく景観法か何かで、建物の高さや色が統一されているおかげで、街全体に統一感があるし、空は広い。和洋折衷のパビリオンやビクトリア様式のビーチ沿いの建物は、ワールドバザールの雰囲気があった。

ビーチ沿いのステージ

Fresher’s fair という、サークル(こっちだとsociety) の新歓フェスみたいなのが開催されていてあ。シンプルなスポーツ系から、マルクスの思想を復活させようの会みたいな変なのまでいっぱいあった。どのサークルに入るのか結局決めれなかった。そもそも入るかどうかも迷う。そんなことより旅行したい。

大学のバーでジャズパーティー(Gin and Jazz)があってそれに参加した。ニューヨークのジャズクラブとは違って、みんな純粋にジャズを楽しむというよりかは、ジャズをBGMにして話に花を咲かせている感じ。ジントニックははじめて飲んだけど、美味しかった。3杯くらい飲んでみるとあら不思議、英語で会話しやすい。余計なことを考えずに済むから、スムーズに会話できる。インド、バングラデシュ、エジプトの人と話した。23時くらいにバーを出て、皆んなで寮に戻る道中、原っぱみたいなところに出てみたら星がいっぱい見れた。ブライトン市内の方に行けば都会的な生活ができるし、大学周辺は穏やかな田園が広がっていて、一石二鳥。

ジャズ

ブライトンのビーチからさらに海に飛び出した波止場に、遊園地みたいな場所があって、そこはブライトンのランドマークにもなっている。そこを大学が貸し切ってのパーティーがあった。パーティーといってもピア内のアトラクションが乗れるだけ。でも本当だったら一個一個のアトラクションにお金がかかるから、ほとんど全部のアトラクションに乗っておいた。日本みたいに安全運転のものはなく、容赦のない激しさが面白かった。ピアパーティーの後には、近くのクラブでナイトパーティーがある。パーティー好きにも程がある。行ってみると、セキュリティーがいて、DJがいて、ミラーボールがあって、レザービームが出てて、皆んな踊ってて、と完全に想像通りのクラブだった。日本でもこんなとこ行ったことないし、イギリスで体験する予定も特になかったが、割と面白かった。ウォッカとテキーラのショットをはじめて飲んだ。クラブのテンションで飲めたけど、あれを頻繁に飲みたいとは心底思わない。今は。

Shooshh というクラブ

ブライトンにはいくつかの日本食を売っているスーパーがあって、今日はその一つに行ってみた。小ぢんまりとした店内だったが、商品のバラエティは豊かで、お好み焼き粉や白滝まで陳列されていた。店員は日本人。とりあえず使いやすそうな白だしと鰹出汁の粉、冷凍唐揚げなんかを買った。「袋大丈夫です」とか「カードで」みたいなちょっとした日本語での会話が、授業参観で親が学校の教室にいる時みたいな、本来なら交わらない日常同士が交わった違和感を思い起こさせた。

日本食スーパーの後、近くを散策していると、Northlane という商店街に出た。お洒落なカフェや活かしたバー、センスのいい雑貨屋と衣料品店なんかが並んでいた。土日というのもあってか、人通りも多かった。日本のシャッター街や同じような店ばかりのモールとは違って、どの店もそれぞれ繁盛していて、通り全体に活気があった。

活気ある商店街

フラットには、共用のキッチンスペースがあって、そこに冷蔵庫があるから、何か取りに行く時は、自分の部屋からわざわざそこまで移動しなきゃならない。大した距離でもないけど、わりと億劫。水を取りに行っただけなのに、誰かいれば、挨拶して多少の世間話をする羽目になる。ロンドン出身だというガタイのいいテンション低めのフラットメイトに偶然あった時は、水を取りに来たことを後悔したが、話してみると割とフレンドリーだった。「イギリスはどう?」「日本が恋しい?」とフランクに質問してくれた。ただ思想が強めで、彼はアメリカが大嫌いらしい。そこまで詳しく聞かなかったけど、「長崎や広島のことがあるんだから、君もそう思うだろう?」と聞かれて、「いやーそうでもないかなぁ笑」みたいな会話をした。まあ確かに、かつて敵対国だったというのはアメリカを嫌う一つの理由足り得るかもしれないけど、生憎そこまでのナショナリズムを持ち合わせていない。いやむしろこれはGHQの政策が功を奏したと考えるべきなのか。水を取りに行っただけなのに、

寮の裏側


うちのフラットメイトは落ち着いた人が多く、他の日本人のフラットメイトは毎日夜中までどんちゃん騒ぎしているのと比べると全然過ごしやすい。

寮の目の前のバーでカラオケ大会があった。英語でなくても、どんな曲でも歌っていいらしい。最初の方は割と英語の曲ばかりが歌われていたが、途中スペインや中国の曲も流れた。自分も日本の曲を歌ってみたかったが、割と人が多く躊躇していた。すると1人の日本人が一緒に歌う人を探していたので、それに便乗することにした。歌ってみた感想は、普通に楽しかった。まさかイギリスに来て、ミセスの点描の唄を歌うことになるとは思わなかったけど、観客は割と盛り上がってたし、日本のカラオケとは全然違って新鮮だった。カラオケナイトは毎週やっているらしい。明日からやっと授業。

夕日


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