揺らぎ
真面目に何かを書こうとすると何も書けなくなるので、日々自分の婚活について考えていることを適当に書き連ねていこうと思う。
要はセルフカウンセリング。
婚活をしていると常に自分の人生と向き合わざるを得ない。
誰と生きるかというのは間違いなく人生においてトップクラスに重要な選択だし、相手に自分をどう見せるか、どういう未来を見せるかというのは自分がどう生きたいかということと切り離せない。
でもどう生きたいのか、と言われてもよく分からない。
私の人生はいつも「とりあえず最善の選択をしている」という状態に過ぎなかったような気がする。
自分のやりたいこととかは色々あるんだけれど、それが人に説明しづらいから、社会的に問題ない姿に擬態して何とかやり過ごしていたみたいな感じは否めない笑
そんなこと正直に初対面の男性に言うわけにもいかないし、結局適当にまたあるべき姿を演出するみたいなことになってしまう。
なんか私ってとんでもなくいい加減な人間だなあ、と思う。
でもありのままの自分なんてロクでもなさすぎて披露するに値しないのだから仕方がない。
そもそも結婚したい理由が子供が欲しいというだけで、それがなければ生涯その時一番好きだと思った人と適当に一緒にいるような生活で良いわけで、具体的な結婚生活みたいなものにいまいち興味が持てない。
将来どこに住むかとか家事育児の分担とかそういう所謂「すり合わせ項目」みたいなものってどうでも良くないか?って思う。
お互い相手が大切になりさえすれば許容できるような瑣末なことを、恋も情も何もない状態であらかじめ価値観としてぶつけ合うのってナンセンスな気がする。
そんなことより相手そのものの質の方がはるかに大事だし、そもそも私からしたら普通の結婚において生活面のメリットなんてほぼないんだよなあ。
あと色々考えていると私は歪んだフェミニストの一形態なのではないかと思うことがある。
なんか分からないけど昔から妻子を養う気概のない男性にイライラしてしまうんだよね。
実際に養えるかは別として、絶対に共働きでとか生活費折半とか言われると萎えてしまう。
本音を言えば、そんな甲斐性なしで器の小さい男性の子供なんて産みたくない。
というか、その程度の覚悟しかないならもう種だけでいいのでシングルマザーとして子育てをしたいと思ってしまう。
こちとら命懸けで子供を産むのに、自分の小遣い気にしてそんなこと言うのなら父親面されたくないよ。
まあ異端な思想なんだろうし、そんな私は子供を産む機会を持てずに死ぬ運命なのかもしれない。
でも世の中の流れがどうであれやっぱり私はそう思うし、自分の気持ちは蔑ろにしたくない。
そもそも、世の中の常識のほとんどって、最善かどうかではなくて、国とか経済とかそういう大きなものの都合で出来ているんだと思う。
だからただ流されるだけでは大体不正解だし、そのうち常識に思考を侵食されて、自分の幸せとかよく分からなくなってしまうんじゃないかな。
私は、社会との関係で時に擬態が必要だったとしても、自分の感情についてはねじ曲げたり誤魔化したりしたくない。
自分自身の人生なのに自分に嘘をつく必要なんてどこにもないからね。
こんなことを書いているけど、私は個人主義的な人生がいいと思っている訳では全くない。
むしろ逆で、自分よりも子供とか家族を大切にするような人生こそが私の送りたい人生だと思っている。
でも大切にしたい相手がいないから困っている。
大切に思えない言動をされるから萎えてしまう。
本当は、好きな相手と好きなように生きていきたいだけなんだけど。
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