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6月29日(1996年) レギュレーション

1996年は、まだシーチケを所有していなかったため参戦数が少なく、このナビスコ杯の記憶もわずかしかありません。ただ、清尾さんの記事にある通り、8チーム中突破は2チームというレギュレーション、途中に中断期間がある変わった日程であったことは覚えている。

ナビスコ杯(ルヴァン杯)は、世界各地で行われているリーグカップの中で、同一企業協賛の最長記録としてギネスブックにも記載されているという。ヤマザキビスケット株式会社には頭が下がる思いだ。

ナビスコ杯は、ほぼ毎年レギュレーションが変わる。特にW杯本大会があるときは日程に制約があり、浦和が初の決勝進出を果たした2002年は通常ホーム&アウェーの準決勝が一発勝負、会場も抽選で決定という型だった。  この1996年はリーグ戦が初の1シーズン制を採用という事で、試合数確保のため(チームの入場料収入増の為)に組まれたレギュレーションだったようだ。ホーム&アウェー2試合合計の得点で勝ち点が決まるというのも、今からすれば理解不能なルールだった。

他にも不可解な組合せ等もあったが、しっかりと改善して、日本3大タイトルの一つとして今後も続いていく事を期待したい。

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