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女賢しくて牛売り損なう? 『「虎に翼」第1週感想』


「100年先も覚えてるかな?知らねぇけれど、さよーならまたいつか!」


市川房枝らが女性参政権獲得を目的として婦選獲得同盟を設立してからちょうど100年、日本国憲法が発布されて約70年、そして、三淵嘉子が女性初の家庭裁判所長に任命されてから約50年の年、2024年。前期連続テレビ小説「虎に翼」についての所感を書いていきたい。

今年度から新社会人である立場から見ると味わい深い作品。新卒ってみんなどこかみんな借りてきた猫みたいに「スンッてなる」から。数年前の自分が見ていたらまた違う感想をもったんだろうなとも思う。目の前の比較的手に入りやすい幸せか、本心から望んでいる地獄か。

事前情報から予想していた通りテキトーに見てしまえば一種のfeminismドラマに映りかねない。けどその見方は作品との向き合い方として不適切だと思うわけです。寅子(伊藤沙莉)の結婚を急ぎ、結婚を嫌がり学問を過剰に好む寅子の奔放さを咎めるのはむしろはる(母,石田ゆり子)で、直言(父,岡部たかし)は比較的娘の婚儀について無頓着であるというか、学問の道に進むことを歓迎している?娘の言うことを最大限聞き入れてやろうという姿勢かな?(こういうフランクな役にもってこいの俳優岡部たかしさん大好きです)とにかく寅子を縛っているのは女性のはるなんだ。このキャラクター配置がめちゃくちゃ効いていると思う。

はるの母(寅子にとっては祖母)ははるの結婚を旅館にとっての得を産むためのものと考えていた。どこの家と縁組すれば最も得かと。はるはそんな母の姿勢が不満だったし、だからこそ自分は娘の幸せを一番に考える母親であろうとしている。はるにとってのその「幸せ」が「結婚」なのだ。だから寅子には早く結婚をしてほしい。いまのところこのドラマに出てくる女性たちは総じて「強い」。しかし、当時の社会はその強さを外部にあらわにすることを求めていないわけですね。寅子が結婚を幸せだと思えない理由は、それすなわち「公の場で急に女性たちが「スンッてなる」違和感」です。それを、家族の中で、父親である直言を差し置いてほぼ大黒柱状態のはるの姿を猫写しているおかげで素直に共感できる。安直なフェミニズム批判を回避できている。女性は「強い」。なのにそれをなぜか隠している。男性による抑圧という側面でなく、社会的に抑制されてきたことを強調している。

そして、あくまでも”猪爪寅子という一個人が「結婚が女の幸せ」論に違和感を感じているだけ”で、それを疑問視していない女性のほうがこの時点では多勢であるということも忘れてはいけない。花江(寅子の親友,森田望智)(森田望智のあっけらかんとした感じが好き。うふふふごめん遊ばせ感というのか?溢れ出る上品さに魅了される)にとっての結婚は女性への待遇への諦めというより真にその「結婚が女の幸せ」という価値観を信じているからに見えるし、おそらくあの直道(兄,上川周作)の元だったら本当に幸せでいられる気がする。互いの価値観に貴賤はないのである。これは寅子とはるの関係も同じで、お互いが考える幸せの形が違うだけで、互いの価値観を尊重して棲み分けることは必ずできるのだ。「私みたいになりたくないってこと?」というはるのセリフに対して用意されていた「私の母は優秀です!」という寅子のアンサーはすごく感動した。「どうしても欲しいものがあるからしたたかに生きなさい」結婚したい花江も大学にいきたい寅子も同等なのである!直明(弟,永瀬矢紘)は、屈強なはる、お淑やかな花江、闊達な寅子の背中を見て育つんだなあ。

女学校で寅子や花江は学問をすることができるけど、その実態は良き嫁になるためにある程度の教養を身に着けさせるためだけの機関に過ぎない。お見合い相手(藤森慎吾)も「妻とは様々な社会問題について語り合う関係を築きたい」と言っていたが寅子が見識を披露し過ぎると、それを女のクセに生意気だと言う。あくまで男性の管理下におけるくらいの賢さで十分なのである。「らんまん」の万太郎も実は似たような境遇だと言えないだろうか。万太郎はあくまで酒屋の主人となるべき人間であって、ある程度の学問を寺子屋で学んでくれたらそれでいい。学者になりたいなんて言ってくれるなというのが家族の本音だった。

上位の男性、下位の女性。性別による階層とは別に身分による別という観点から女中の稲(田中真弓)の存在についてもこの先必ず言及されるはず。稲は女性、女中でありなおかつ高齢でもある。オープニング映像にうつる様々な女性の姿は稲周辺への言及への示唆にも感じる。他にも、女学校の先生が大学に進む寅子に「学をつけすぎるのはいかがなものかと」というけど、彼女もそうして苦労した一人なんだなぁとも思う。女学校の先生もちらっとうつる老婆も芋屋も婦人も女学生に至るまでこのドラマでは画面の全ての女性が主役なんだ。モブは一人もいないんだ!!

虎に翼では三淵嘉子(寅子のモデル)にスポットライトが当たるわけだけど、彼女が明治大学で法律を学ぶことが出来たのも先人の女性たちの努力があったからのはず。しかし、彼女たちは弁護士になることはなかった。今日に至るまで多くの女性たちが果敢に男社会に挑戦して、倒れてきたのだろう。桂場等一郎(松山ケンイチ)は「いつかは女性が弁護士になる時代がくるが、今じゃない。君は失敗する」と言う。寅子(=三淵嘉子)は成功したから、名を残してこうしてドラマになったが、こうした男性によるゆるーい抑制によって芽は摘まれてきたのだ。また、同時に「人権」というものは人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果である。権利獲得のために倒れてきたのは男性もまた同じであった。


「さよなら100年先でまた会いましょう。心配しないで」
「100年先も覚えてるかな?知らねぇけれど、さよーならまたいつか!」


これらは決して猪爪寅子という一個人のセリフでなく、この100年闘ってきた全ての女性たちからのメッセージなのである。いや、女性たちだけではない。人種、信条、性別、社会的身分又は門地を問わず全ての国民がその主語になり得るのである。志半ばで倒れた者たち、志を持っていたがそれを押し殺さなければならなかった者たち。「虎に翼」と「さよーならまたいつか!」はその全ての者たちの骨を拾う作品だと私は思う。

ところでカタブツのマツケンと、振り回される仲野大賀からしか得られない栄養素ってあると思いませんか?

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