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ルードヴィヒはゆるがない ミュージカル ベートーヴェン ザ ピアノを観た

ベートーヴェンは、何十年も前に第九交響曲の合唱に参加した時から、特別な存在だった、当時本を読み漁り、それから、チェロを弾くようになり、何回第九を弾いたかな。  

特別なベートーヴェンを、特別な俳優中村倫也が演じる、それも歌まで歌うとなれば、観に行かないわけにはいかない。東京芸術劇場プレイハウスでの公演と、ライブ配信を観た。

ルードヴィヒは嘆く、叫ぶ、怒る、それをかつて見た事のない熱量で演じ、場を支配する中村倫也、でもあなたは大丈夫という確信があるので、中村さんがんばれとは思っても、どこか安心して見ていることができた、前半は、、、

史実では、ウィーンで社交界で有名になってからも、ベートーヴェンは勉強を続けている。面倒な作曲技法を先生に習いに行って毎週課題をこなしている。また、「書く」のが間に合わなかったピアノ協奏曲のピアノパートを、白紙の楽譜を見ながら弾いたという、言い伝えもある。
ものすごい力を持っていたんだろうと思う、だから、ベートーヴェンが本当に困ったのは作曲面でなく、人との付き合い、作曲料などの交渉事だっろうと思う。あの有名な遺書の中でも耳に問題がある事を知られる事をまず恐れていた。

お酒が好きで、仕事を得るために社交も大事だったベートーヴェンには、コミュニケーションが取りにくいことが本当にたいへんだったんだろう。

どんなにルードヴィヒが嘆いても、大丈夫あなたは、大丈夫、ちゃんとあの曲を聴かせてくれるから

話がそれるが、有名な運命の4楽章はピッコロが大活躍する、ピッコロは、とても音域が高く特に最後の部分で音階で駆け上がるフレーズは印象的で大音量のオーケストラの中から、くっきりと聴こえてくる。高い音から聴力は失われるというので、あのピッコロは心の中では聴こえても、ベートーヴェンには聞こえなかったんじゃないかな。でも、書いた。

前に運命を弾いた時に、プロのと言っても名を知られているわけではない指揮者がスコアを丸ごと暗譜していて、何小節目からと楽譜無しで指示していた事があった。ベートーヴェンも、全て頭の中に入って聴こえていたんだろうな。

ところが、後年甥のカールを養育するようになってからは、様相が変わる。
お芝居のように音楽を強要したせいと言うより、他に理由があったのか、ベートーヴェンは過干渉のきらいがあったらしい。実際、カールに関わっている時期には、ほとんど作曲しなくなっている。どれだけ必死に甥っ子に向き合っていたのか、お芝居を見ていても切なくなってしまう。

第九交響曲は1922年から24年にかけて作られていて、カールの自殺未遂は1926年、こういうところは演劇の虚構の面白さ。しかしその後ベートーヴェンはカールのために旅行や、転地をしてそれらの行動が死につながってしまった部分もあった、とも伝えられている。

作曲に対してと同じように、引き取った息子カールにも全力で向き合うベートーヴェンは、観ていて苦しい。

そんな時間の前後に関係なく、第九交響曲は怪物だ、4楽章の最初の和音、ベートーヴェンはその耳で聴きたかっただろうな、第九から数年後彼らは光の中に歩み去る。





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