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ケンジは何度も失うのだ 「ケンジトシ」を観て

舞台「ケンジトシ」を観てきた、世田谷のシアタートラム、同じ時期にシスカンパニーによるライブ配信も行われて、映像で見る事もできた。

注)芝居の内容に言及しています

北村想氏の戯曲は、皆わからないと言う、私も知らない言葉がたくさん出てきて、途方に暮れたが観るうちに、自分には何度も繰り返されるケンジとトシの別れの物語の様に思えた。初めはなんとも微笑ましいやり取りをするケンジとトシだが、2人の楽しいやり取りの中で、自作の詩の中で、吹雪の道行のなかで、永訣の朝で、雪渡りのダンスの後に、ケンジは何度もトシを失うのだ。その度に悲しみ、うろたえるケンジに心を掴まれる。ケンジは、その度にトシに励まされて次に進もうとするが、置き去りにされる。

ケンジの嘆きの中でも、テンパタールの月での、独白は心に迫る。それはケンジが文字通り涙をぽろぽろこぼしながら語るからでもあるが、ここ数年のパンデミックにも重なり、ケンジの嘆きを自分達の気持ちに重ねるからかもしれない。

しかしこの戯曲は何なのだろう、もう1人、物語を進めていく石原莞爾は、満州への侵攻を企てそれが日本の侵略戦争への引き金になってしまった人物。石原は、彼なりの理想を持っていたらしいが、叶わなかった。石原はトシに大きな戦争を始めるのか?と問い詰められる。今の私には、石原の企てと始まってから1年経ってしまったロシアのウクライナへの侵攻が重なって見えてしまう。そして、パンデミックである、この戯曲は予言の書だったのだろうか。

しかし、中村倫也という役者とは凄いものだ、あの様に涙を流しながら語ると言うのは高度な技術、職人技なのだろうけれど、しかし気持ちに真実が無ければ表現はできないのだろう。感情の昂りと表現のぎりぎりバランスを保ち、泣いている様子を見せて、そして本当に悲しむ。そんな事をして、精神が保てるのか?すごいものを見せてもらった。

トシを失って悲しむケンジだが、次の場面ではイーハトーブについて生々と説明し別人の様である。そして一番大きな声で、決然と、グスコーブドリの様に生きたいと言っている、ように思える。おや、ここはブドリの様に死にたいとも言い換えられる、石原さんそんな事、語っていたな。

所で、このお芝居には2つの歌が出てくる。ひとつは、「月夜の電信柱」宮沢賢治の作詞作曲、ふたつめは、「花巻農学校精神歌」宮沢賢治作詞、川村悟郎作曲
前者は、武力によってユートピアを作ろうとした石原の象徴、後者は足元からイーハトーブ作りを目指したケンジの象徴の様に思える。出演者が、ワインを飲んだ後に8分の6拍子のこの歌を和やかに歌う。おやおや、ワインに歌となると、人々は法華経の枠を超えて、もっと広い世界に足を踏み入れたのだろうか。

最後に、シスカンパニーによるライブ配信が、ライブとは思えない美しい映像と音でとても有り難かったことを付け加える。











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